第四十二話 「人類社会における“借金”とは、しばしば未来時間を担保にした労働契約ですが、外側案件になると時空間そのものが抵当に入っている場合があります」
雨だった。
幡多郡大月町。
午後八時四十分。
商店街はほとんどシャッターが閉まり、古い街灯だけが濡れたアスファルトを照らしている。
海沿い特有の湿った風が吹く。
遠くで犬が鳴いていた。
「……で?」
リゼが傘を差しながら俺を見る。
「前から思ってたんだけど」
「はい」
「なんでアンタ、“お母さんの借金”で東央マテリアルなんか行くことになったのよ」
沈黙。
雨音だけが響く。
俺は少しだけ視線を逸らした。
「それ、普通の借金じゃなかったんですよ」
「やっぱりね」
「ちなみに人類は、“借金”という概念を妙に嫌いますが、文明そのものは借金で回っています。国家予算、住宅ローン、事業融資、奨学金。つまり現代社会とは、“未来の自分から前借りすることで成立している巨大時間経済圏”なんです。要するに人類は昔から、“未来の俺がなんとかするだろ”精神で文明を運営している」
「最悪な文明説明やめなさい」
俺は歩き出す。
古びた商店街の奥。
今は潰れたパチンコ屋の前を通る。
「母親は善人でした」
「……うん」
「善人だったから、騙された」
リゼの表情が少し変わる。
「大月町って、境界が薄いんですよ」
「境界断ちのせい?」
「逆です。境界が薄い土地だったから、俺みたいなのが生まれた」
雨が強くなる。
街灯の光が滲む。
「昔からこの辺り、“変な人間”が流れ着きやすかったんです。漁師、宗教家、逃亡者、芸術家、破産者、旅人。都市から零れた人類が、最後に海へ流れ着く」
「……」
「ちなみに港町文化って、世界的にちょっと独特なんですよ。外部文化が混ざりやすいので。“境界”という概念そのものが曖昧になりやすい。神戸も長崎もそうですし、ネパールの山岳交易路も似た傾向があります。人類は“物流”と一緒に思想まで運ぶので」
「さらっとネパール混ぜるわね」
その時だった。
商店街の奥。
黒い“建物”が見えた。
いや。
建物ではない。
空間そのものが歪んでいる。
看板だけが浮かんでいた。
【大月互助金融】
「……なによあれ」
「入口です」
「嫌な予感しかしないんだけど」
建物の窓は暗い。
だが内部だけ、妙に広い。
まるで空間が奥へ奥へ伸びているみたいだった。
俺は静かに言う。
「東央マテリアルは、“現実維持側”の企業です」
「……は?」
「正確には企業の形をした“観測安定装置”ですね。表向きは化学・素材・量子技術系グローバル企業。でも本質は、“世界が崩壊しないように補修してる側”です」
「ちょっと待って情報量」
「母親が借りたのは、普通の金じゃない」
空間が軋む。
黒い霧。
建物内部から、無数の帳簿みたいなものが浮かび上がる。
【存在維持債務】
【現実接続負荷】
【認識安定化費用】
【境界補修代行】
「うわ……」
「大月町では昔から、“外側に触れて壊れた人間”が時々発生していました。精神汚染、認識崩壊、存在希薄化。本来なら死ぬ。でも――」
帳簿の奥。
“誰か”がいた。
巨大な影。
輪郭が曖昧。
スーツ姿だけが見える。
「……誰?」
「この金融会社の親玉です」
「ラスボスみたいに言わないで」
「実際かなり上位存在です」
影は静かだった。
だが、その存在だけで空間が微妙に歪む。
世界側が“理解を拒否”している。
「彼は善人ですよ」
「見た目が全然善人じゃないんだけど」
「ちなみに人類は、“巨大な権力者=悪人”だと思いがちですが、実際には“善人すぎる人間”ほどシステム維持側へ回る場合があります。問題は、規模が大きくなると個人感情では運営できなくなることですね。国家も企業もだいたいそうです」
「また急に社会論始まった」
影が、静かに口を開いた。
『……久しいな、ノベェンタ』
声だけで空気が震えた。
リゼが顔をしかめる。
「なにこれ……頭痛い……」
「“外側の外側”だからですよ」
「意味わかんないんだけど」
「通常の外側存在ですら現実汚染を起こします。でもこの人は、“現実へ干渉できないほど外側”なんです。だから直接世界を維持できない」
「……え」
「だから“境界に近い人間”を使う必要がある」
リゼがゆっくり俺を見る。
「それが……アンタ?」
「ええ」
雨音だけが響く。
「母親は、俺を守るために契約したんですよ」
「……」
「境界適性持ちは、大抵短命です。発狂するか、存在が擦り切れるか、外側へ引っ張られる。でも東央マテリアル側に入れば、“現実側へ固定”できる」
「だから会社に……」
「借金という形にした方が、人類は従うからです」
「最低ね」
「極めて人類的です。ちなみに古代文明でも、“神との契約”を税や供物で管理し始めた瞬間に社会システム化しました。つまり人類は、“義務”へ変換しないと巨大構造を維持できない」
親玉の影が、静かに俺を見る。
『お前は……よくやっている』
「労働環境は改善してください」
『努力はしている』
「東央マテリアル、未だに部署によっては深夜二時まで働いてますけど」
『人類は放置すると勝手に働き始める』
「それはそう」
リゼが頭を抱えた。
「なにこの会話……」
「ちなみに日本人は、“休め”と言われても働く特殊個体群として世界的にも有名です。江戸時代ですら、副業文化と内職文化が発達していたので。つまり現代ブラック労働は突然変異ではなく、“真面目さの進化暴走”とも言える」
「最後の雑学で日本人全体を巻き込まないでくれる?」
ちなみに人類、“無料で読ませてもらったので逆に評価押しづらい”という謎の遠慮を発動することがありますが、創作者側はわりと「そのボタンで今日を生きてる」みたいな所あります。
動物で言うと、
カピバラが「ここ安全そう」と判断した温泉へじわじわ集まり始める現象に少し近い。
安心できる場所って、
生物かなり繰り返し来るので。
あとブックマーク文化って冷静に考えると凄くて、
現代人類、「この物語、あとでまた読みたい」を可視化できるんですよね。
数百年前の作家、
多分めちゃくちゃ羨ましがる。
なので、
もし「この空気ちょっと好きだな」と思って頂けたら、
評価やブクマなど頂けると嬉しいです。
作者の情緒と更新速度へ、
ほんのりバフが掛かります。




