第三十九話 「創作という行為は、しばしば“人類が合法的に妄想を通貨へ変換する技術体系”として機能します」
午前三時十二分。
東央マテリアル第三研究棟。
外は雨だった。
工場地帯特有の、鉄と湿気の混ざった匂いが夜気に溶けている。
自販機の白い照明だけが、妙に現実感を持っていた。
「……で?」
缶コーヒーを持ったリゼが、眠そうな目で俺を見る。
「その、“異常認識汚染”ってのは何なのよ」
「簡単に言えば、現代人類が“創作と現実の境界”を曖昧にし始めている現象ですね」
「全然簡単じゃないわね」
俺は紙コップのブラックコーヒーを啜りながら、研究棟の窓の外を見た。
暗い。
だが、この世界は昔から夜に異常が発生する。
なぜなら人類は、暗い場所ほど“想像力”を増幅させる生物だからだ。
「例えばですね、リゼ先輩」
「その呼び方やめなさい」
「人類史において、“物語を書く人間”というのは昔から存在していました。吟遊詩人、講談師、新聞小説家、ラジオドラマ作家、漫画原作者、脚本家。媒体は変わっても、本質は変わらない。つまり“他人の脳へ幻覚を移植する職業”です」
「言い方が怖いのよ」
「実際怖いんですよ。たとえば読者は、存在しないキャラクターの死で泣きます。存在しない恋愛で胸を痛める。つまり脳は、“現実か創作か”をそこまで厳密には区別していない」
「まあ……それは分かるけど」
「で、ここ数年、人類はついに“妄想の工業化”に成功し始めた」
その瞬間だった。
研究棟の蛍光灯が、一瞬だけ明滅した。
空間が、軋む。
嫌な感覚。
外側だ。
「……来ますね」
「え?」
研究室の壁に。
黒い“文字列”が滲み始めた。
まるで液体のインクが壁紙の裏から浮き出てくるみたいに。
【ランキング更新】
【日間一位】
【PV急上昇】
【AI生成率:87.2%】
【物語粒子圧縮開始】
「うわ、なにこれ……」
リゼが顔をしかめる。
「認識汚染です。しかもかなり現代型ですね」
「現代型?」
「昔の外側は、“神話”や“宗教”に擬態したんです。でも現代は違う。今の人類が最も大量に感情を注ぎ込むものは、“コンテンツ”です」
文字列が増殖する。
研究室の空間が、本棚みたいに歪み始めた。
無数のタイトル。
無数の表紙。
無数の“設定”。
世界そのものが、巨大な小説投稿サイトみたいに変質していく。
「人類は現在、“個人が世界規模で物語を量産できる時代”へ突入しています。しかもAIによって、執筆速度そのものが異常加速した。これは歴史的にかなり危険です」
「危険なの!?」
「危険です。なぜなら人類は基本的に、“面白いもの”へ無限に時間を吸われる生物だからです。古代ローマでも剣闘士、中世では見世物小屋、現代では動画配信。で、ついに創作まで半自動化され始めた」
「……なんか嫌な予感してきたわ」
「ちなみに、“小説家になろう”系文化圏は極めて特異です。日本人は昔から、“文章だけで脳内映像化する能力”が高い。これは源氏物語、落語、講談、紙芝居文化の系譜ですね。要するに、人類史でも珍しい“テキスト幻覚適性民族”なんですよ」
「テキスト幻覚適性民族って単語初めて聞いたわよ」
その時。
研究室中央に、“裂け目”が開いた。
黒い空間。
その向こうに見えたのは――
巨大な書庫だった。
天井まで積み上がる無数の本。
その中央に、一人の男が座っている。
ボサボサ頭。
ジャージ。
目の下に隈。
机にはエナジードリンクが十数本。
「……締切……」
男が呟く。
「更新……しなきゃ……」
「えっ」
リゼが固まる。
「この人が元凶!?」
「違います。被害者です」
男の周囲には、黒い文字の霧が渦巻いていた。
【もっと更新しろ】
【毎日投稿】
【PV低下】
【AI使ってでも書け】
【生活費】
【不安】
【承認欲求】
空間そのものが悲鳴を上げている。
「……あー」
俺は頭を掻いた。
「典型的な“創作者型認識侵食”ですね」
「そんな病名みたいに言わないで」
「創作者っていうのは、基本的に“脳を削って他人へ快楽物質を供給する生き物”なんですよ。しかも現代は、AIによって“発想速度”だけが先に加速した。結果、人類の脳が“物語生産速度”に耐えられなくなり始めてる」
「でもAIで楽になるんじゃないの?」
「半分正しいです」
俺は裂け目の向こうを見た。
「AIは確かに、“孤独な創作者の補助輪”になります。構成補助、誤字修正、ブレ修正、壁打ち。これは実際かなり革命的です。昔の個人作家は、全部一人で抱えていたので」
「じゃあ良いことじゃない」
「ただし問題は、“人類が楽になると、そのぶん期待値を上げ始める”ことです」
「うわぁ……」
「例えば昔は週刊連載だけで超人扱いだった。でも今は、“毎日更新”“高速展開”“SNS運用”“動画化”“コミカライズ適性”まで要求され始めている。つまり文明が便利になるほど、人類は“さらに労働を増やす”」
「大変ね人類」
「ええ。人類はだいたい、“便利になると余暇ではなく追加労働を生成する謎の生物”です。産業革命でもそうでした」
黒い霧がさらに膨張する。
書庫の本が、次々と歪み始めた。
タイトルが崩壊し、
キャラクターが溶け、
設定だけが空間を漂う。
「……まずいですね」
「どうするの?」
俺はゆっくり前へ出た。
「簡単です」
境界が、軋む。
黒い剣が現れる。
「創作っていうのは、本来“楽しい”から始まった文化なんですよ」
書庫全体が震えた。
「人類は洞窟壁画の時代から、“意味のない物語”を作って笑ってた。狩猟採集時代ですらですよ? つまり創作は、本来“生存効率”とは無関係なんです。にもかかわらず滅びなかった。これは極めて重要で、人類はたぶん、パンだけでは生きられない」
黒い文字列が揺らぐ。
「だから、“数字だけ”になると壊れるんです。PV、収益、ランキング、それ自体は悪じゃない。でも創作が“工業製品”だけになると、人間の脳は摩耗する」
男が、ゆっくり顔を上げた。
「……じゃあ、どうすれば……」
「適度に休むことです」
「普通!!」
リゼが叫ぶ。
だが俺は真顔だった。
「いや本当に重要なんですよ。創作者って、“休むと終わる恐怖”に飲まれやすいので。特にネット時代は更新停止=存在消滅みたいに感じ始める。でも実際、人類の文化史を見ると、“長く残った作品”って案外、作者がちゃんと生活してるんです」
「……」
「あとAIは、“代筆機”ではなく“補助脳”として使うとかなり強い。構成確認、設定整理、矛盾チェック。つまり“孤独を減らす道具”として使うと健全なんです」
黒い霧が、静かに消えていく。
書庫が安定する。
男は机に突っ伏したまま、小さく笑った。
「……寝るか……」
「寝てください」
「はい……」
裂け目が閉じ始める。
研究室に静寂が戻った。
リゼが呆れた顔で俺を見る。
「なんか今回、妙に現実的だったわね」
「現実と創作の境界が薄い時代ですからね」
「最後にそれっぽいこと言った」
「ちなみにネパールでは、“クマリ”という生き神文化が存在します。幼い少女を女神の化身として扱うんですが、これは“人類が物語を現実へ定着させる能力”の象徴でもあるんですよ。つまり人類は数千年前から、“設定を信じる生物”なんです」
「なんだか雑学が重いのよ」
ちなみに人類、“無料で読ませてもらったので逆に評価押しづらい”という謎の遠慮を発動することがありますが、創作者側はわりと「そのボタンで今日を生きてる」みたいな所あります。
動物で言うと、
カピバラが「ここ安全そう」と判断した温泉へじわじわ集まり始める現象に少し近い。
安心できる場所って、
生物かなり繰り返し来るので。
あとブックマーク文化って冷静に考えると凄くて、
現代人類、「この物語、あとでまた読みたい」を可視化できるんですよね。
数百年前の作家、
多分めちゃくちゃ羨ましがる。
なので、
もし「この空気ちょっと好きだな」と思って頂けたら、
評価やブクマなど頂けると嬉しいです。
作者の情緒と更新速度へ、
ほんのりバフが掛かります。




