第三十九話 「UMAというものは、“人類がまだ世界を完全には理解していない証拠”として機能しているので、雪山とかなり相性が良いんですよね」
インド北部。
カシミール地方。
ヒマラヤ山脈西部。
標高二六〇〇メートル。
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Gulmarg。
世界有数のバックカントリースノーエリア。
そして。
酸素と常識が少し薄くなる場所だった。
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「……寒」
野村部長が震えた。
白い息。
厚手のダウン。
ゴーグル。
完全防寒。
それでも寒い。
というか。
空気が痛い。
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野部遠汰――ノベェンタは、ゴーグル越しに雪山を見上げた。
「部長、それ典型的な“低湿度・低気圧環境における体感温度錯覚”ですね。高地では気圧低下によって熱伝導効率が変化し、さらに乾燥で皮膚表面水分蒸発が加速するので、“実温度以上に身体が熱を奪われている感覚”発生しやすいんですよ。あと雪山、“静か”だと思われがちですが、実際には風・雪面圧縮音・ゴンドラ振動・遠距離雪崩音など低周波ノイズかなり多いので、人類の脳へ持続的ストレス掛かる環境でもあります。ちなみにターキン、見た目かなり謎生物ですが、寒冷高地適応した大型哺乳類として有名ですね」
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「情報量で寒さ増した気がするんだけど……」
理沙がため息を吐く。
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現在。
東央マテリアル営業企画部は、新型高性能防水防刃繊維《TOWA-XF》のスポンサー営業で、世界的フリーライドイベントへ参加していた。
雪。
山。
巨大な尾根。
そして。
世界中のトップライダー達。
今回の目的は単純。
世界的スノーボーダー、ライアン・ヴェルナーとの契約交渉だった。
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「しかし本当に売れてますね、我が社の生地」
ノベェンタは雪煙の向こうを見る。
「ネパール案件以降、“軽量なのに異常耐久”って評判がSNS経由で拡散し、現在アウトドア市場で“命守る系ウェア”カテゴリ急成長しています。人類、極限環境へ行くほど“オシャレ”より“死なない”を優先し始めるので。あとアウトドア市場って、“性能を語るオタク文化”と“自然回帰幻想”が同居してるかなり特殊な界隈なんですよ。“UL装備三〇〇グラム削減したい”と“焚き火で心を癒やしたい”が同時存在してるので。ちなみにブルーシープ、高所岩場をほぼ重力無視みたいな角度で移動します」
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「途中から動物番組へ着地する構造だけ固定なんですね……」
佐伯が震えながら言った。
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その時だった。
ゴンドラ乗り場付近。
ざわつき。
人だかり。
スタッフ達が騒いでいる。
「……また出た」
「見たって!」
「いや絶対いるだろあれ!」
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ノベェンタの灰色の瞳が細くなる。
「なるほど」
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「何?」
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「UMAですね」
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「判断が早すぎるのよ」
理沙が即座に返す。
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「雪山、“説明不能な痕跡”と人類の相性かなり良いので。足跡、吹雪、低酸素、高白色環境による距離感覚バグ。この辺り重なると脳が“何かいる”方向へ補完しやすいんですよ。あとヒマラヤ圏、“雪男”伝承かなり多いですが、現地では宗教的自然観と混ざってるケース多いです。“未確認生物”というより“山にいるべき何か”扱いですね。ちなみにカシミール地方、霧と積雪で音の方向感覚かなり狂います」
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「もう半分くらい理解追いついてないです私」
佐伯が真顔で言う。
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その時。
外国人スタッフが駆け寄った。
「Mr. Nobe!」
青ざめていた。
「ライアンが滑走ルートから戻ってない!」
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空気が止まる。
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吹雪。
視界不良。
標高。
低温。
雪崩地帯。
普通なら。
遭難だった。
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「最後の位置は?」
「北西尾根エリア!」
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理沙が顔をしかめる。
「あそこ、バックカントリー上級エリアじゃない!」
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「はい。しかも本日気圧低下激しいので、雪面不安定化してる可能性ありますね。雪山遭難、“寒さ”より“判断力低下”から死ぬケースかなり多いので。低酸素・疲労・恐怖で脳の意思決定能力落ちると、“あと少し行ける”が連続発生する。ちなみに高山環境では、体内水分蒸発量かなり増えるので、冬でも脱水起きます」
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ノベェンタは静かに空を見る。
吹雪。
白。
そして。
微かに混ざる黒い揺らぎ。
「……なるほど」
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「いるの?」
理沙が聞く。
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ノベェンタは頷く。
「“外側”です。ただし敵意薄いですね」
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「薄い?」
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「はい。“観測誘導型”です。“未確認存在”として人類認識へ居座ろうとしてる。UMAって、人類の“世界にはまだ未知がある”という感情へ強く紐付いてるので。“説明できない何か”は、恐怖とロマン両方発生させるんですよ。あと雪男文化、実際には“山への畏怖”の人格化側面かなり強いです」
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その時。
吹雪の奥。
巨大な影が動いた。
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「……いた」
理沙が息を呑む。
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白い体毛。
巨大。
二足歩行。
人型。
だが。
その目は。
かなり困っていた。
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「……え?」
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影――雪男が、困惑した顔でライアンを抱えていた。
ライアン本人は気絶している。
だが。
怪我は無い。
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雪男は低く唸る。
『……返したい』
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「はい?」
佐伯が固まる。
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ノベェンタだけは普通だった。
「なるほど。“外側”ですが、かなり会話可能ですね」
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『落ちていた』
『凍る』
『だから運んだ』
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「かなり善良寄りですね」
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「いや待って!? UMAと普通に意思疎通してるんですけど!?」
理沙が叫ぶ。
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ノベェンタは雪男を観察する。
「しかし興味深いですね。“雪男”伝承、人類側では“恐怖対象”扱いされがちですが、実際には“遭難者を導く存在”系伝承も結構あるんですよ。山岳信仰圏、“山の怪異=完全悪”ではないので。あとヒマラヤ地域、“人間は山へ入らせてもらっている”感覚かなり強いです。登山文化、“征服”より“許可”感覚残ってる地域あります」
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雪男が少し縮こまる。
『……怖がられる』
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「でしょうね」
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『隠れる』
『でも最近、人類、撮る』
『飛ばす』
『追う』
『寝れない』
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「完全に野生動物側の苦情なのよねぇ……」
理沙が遠い目をした。
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雪男は本当に疲れていた。
『ドローン、多い』
『夜、うるさい』
『光る』
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ノベェンタは小さく頷く。
「SNS時代ですね」
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「分析の角度が現代社会なんだよなぁ……」
野村部長が呟く。
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ノベェンタは少し考え。
そして。
黒い剣へ触れた。
「では、“認識調整”します」
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「境界断ち?」
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「はい。ただし今回は排除ではなく、“曖昧化”ですね」
カチ。
黒い剣。
抜刀。
吹雪が止まる。
ノベェンタは静かに目を閉じた。
「《観測整合維持局雪山遭難届未提出案件対応型・未確認生物残業保護術》」
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沈黙。
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理沙が額を押さえる。
「そんな名前に影響されちゃ駄目だからね雪男」
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アインが冷静に補足する。
「なお先輩は現在、命名成功時のみ少し満足げな表情を見せています」
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「分析しないで!?」
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一閃。
黒い線が吹雪を切る。
瞬間。
周囲の記録機器が乱れた。
ドローン映像。
GPS。
カメラ。
全部へノイズ。
“雪男が居たかもしれない記録”。
その程度へ、世界認識が補正されていく。
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雪男が頭を下げた。
『……助かった』
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「いえ。人類、“未知そのもの”は結構好きなので。距離感さえ適切なら、わりと共存可能です」
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『……優しいな』
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ノベェンタは少し考え。
「いえ。どちらかというと、“放っておくと後味悪い”側です」
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「出たわね、その人類バグ」
理沙が笑う。
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数時間後。
ホテルラウンジ。
ライアン・ヴェルナーは無事救助。
しかも。
彼は完全に東央マテリアル製ウェアを気に入っていた。
「This jacket saved my life.」
「契約します」
即決だった。
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野村部長が震える。
「決まったァァァ!!」
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大手アウトドアメーカー。
世界配信。
SNS。
スポンサー契約。
全部連鎖。
東央マテリアル株価、翌週さらに爆上がりである。
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ラウンジ。
暖炉。
チャイ。
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野村部長は完全にご機嫌だった。
「いやぁ野部くん!! 来て良かったなぁ!!」
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「はい。人類、“極限環境で命助かった経験”へブランド忠誠度かなり発生するので。“性能信仰”って、実体験入ると宗教レベルまで強化されます。あとアウトドア界隈、“生還報告”がそのまま最強広告になる文化あるので。ちなみにヒマラヤ登山、“頂上到達”より“無事帰還”の方が本来は重要です」
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「今日は何言われても全部ありがたく聞こえるな……」
野村部長がしみじみ言う。
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窓の外。
吹雪の向こう。
一瞬だけ。
白い巨大影が手を振った気がした。
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ノベェンタは小さく会釈する。
「……ちなみにナキウサギ、冬前に草を大量備蓄するんですが、他個体の備蓄場所を微妙に盗み見してるケースあるらしいです。小さいのに結構ちゃっかりしてますね」
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「それ聞くと、なんか人類も頑張ろうって気持ちになるの不思議なのよね」
理沙が笑った。
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雪は静かに降り続いていた。
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ちなみに人類、“無料で読ませてもらったので逆に評価押しづらい”という謎の遠慮を発動することがありますが、創作者側はわりと「そのボタンで今日を生きてる」みたいな所あります。
動物で言うと、
カピバラが「ここ安全そう」と判断した温泉へじわじわ集まり始める現象に少し近い。
安心できる場所って、
生物かなり繰り返し来るので。
あとブックマーク文化って冷静に考えると凄くて、
現代人類、「この物語、あとでまた読みたい」を可視化できるんですよね。
数百年前の作家、
多分めちゃくちゃ羨ましがる。
なので、
もし「この空気ちょっと好きだな」と思って頂けたら、
評価やブクマなど頂けると嬉しいです。
作者の情緒と更新速度へ、
ほんのりバフが掛かります。




