第三十六話 「量子力学という学問、“観測した瞬間に世界が変わる”ので、だいたい人類のメンタルへ優しくないんですよね」
地球低軌道。
国際宇宙ステーション《ISS-Λ》。
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窓の外。
青い地球。
白い雲。
黒すぎる宇宙。
そして。
静かすぎる無重力。
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三日前。
NASA量子観測研究局。
会議室。
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エレナ・クロフォード主任研究員は、
完全に行き詰まっていた。
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「……あり得ない」
モニターへ映る波形。
量子演算ログ。
異常な相関値。
そして。
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【観測者を観測しています】
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意味不明な文章。
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研究員達は疲弊していた。
一部は泣き。
一部は宗教へ傾倒し。
一部は「現実は演算途中だ」と言い始めた。
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完全にまずかった。
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その時。
会議室の空気が、
静かに止まった。
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誰にも気づけないくらい自然に。
だが。
確実に。
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そこへ。
一人の青年が立っていた。
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黒髪。
灰色の瞳。
整いすぎた姿勢。
無駄の無い動作。
そして。
異様なまでに静かな気配。
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《観測整合維持局 第七補正執行室 統合現実監査官》
相良アイン。
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NASA職員達が固まる。
「……誰だ?」
「セキュリティは!?」
「いつ入った!?」
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だが。
アインは一切動じなかった。
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「現在、貴機関にて発生している量子観測汚染事案について、現実整合性維持権限に基づく監査介入を行います」
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沈黙。
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エレナが眉をひそめる。
「……何を言っている?」
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アインは静かにモニターを見る。
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「量子演算機《LUCID》は現在、“外側”との浅層接続状態へ移行しています。このまま解析を継続した場合、研究員の認知構造へ不可逆圧壊が発生する可能性があります」
「外側?」
「高次観測領域です」
「意味が分からない」
「正常です」
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研究員達がざわつく。
だが。
アインだけは、
静かに続けた。
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「なお、本件には適任の協力者が存在します」
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数秒後。
アインは小さくため息を吐いた。
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「……本来、呼びたくはありませんでしたが」
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嫌そうだった。
本当に少しだけ。
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「現在の事案規模では、ノベェンタ級観測者の介入が必要です」
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エレナが聞く。
「……誰なんだ、それは」
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アイン。
数秒沈黙。
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「長いです」
「は?」
「説明が」
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そして。
静かに付け加えた。
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「ですが、問題解決精度は高い」
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現在。
ISS-Λ。
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無重力空間。
壁へ逆さに張り付いたノベェンタが、
静かに呟く。
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「……なるほど。人類、“宇宙へ来れば視野広がる”みたいな理想論抱きがちですが、実際には“自分がめちゃくちゃ小さい”事実を物理的スケールで叩きつけられるので、精神衛生への負荷かなり高いんですよね。あと宇宙飛行士、帰還後に人生観変わるケース多いですが、あれ単なる感動ではなく“認知フレームが地球サイズへ強制拡張された後遺症”に近いので。ちなみに無重力環境、人類は鼻詰まりしやすいです。体液分布が上半身寄るので」
「初手からロマンが無い!!」
リゼが叫ぶ。
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アインは静かに言った。
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「NASA研究員達の精神状態は現在不安定です。可能な限り簡潔な説明を推奨します」
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ノベェンタは少し考える。
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「なるほど。“落ち着いてください、宇宙が怖いのは正常です”くらいへ圧縮すべきですね」
「そこまで雑ではありません」
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その時。
奥のハッチが開く。
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エレナ・クロフォード。
四十代。
隈。
徹夜。
完全に“科学者が見てはいけないものを見た顔”。
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彼はノベェンタを見る。
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「……君が」
「野部遠汰です。組織的略称によりノベェンタ呼称が定着していますが、これは情報圧縮による認知負荷軽減として合理的であり、例えば古代ギリシャ哲学者も長い名前を弟子側が勝手に略称運用していた例が——」
「長い」
エレナが即答した。
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リゼが吹き出す。
「NASAでもカットされてる」
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ノベェンタは軽く咳払いした。
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「失礼しました。緊張時、人類は言語出力量が増える場合あります」
「お前だけだと思うぞ」
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エレナは低く言う。
「《LUCID》は、“宇宙そのもの”を観測し始めた」
空気が止まる。
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「通常の量子計算ではない。“現実の基底構造”を解析対象へした結果、システムが……」
彼は唇を噛む。
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「“何か”と会話を始めた」
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沈黙。
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その瞬間。
モニター全体へノイズ。
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ピシ。
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そして。
現れる。
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巨大な“目”。
星雲みたいな瞳。
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『……ようやく、まともに会話できる個体が来た』
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リゼが飛び退く。
「うわっ!?」
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だが。
アインは静かだった。
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「対象確認。“外側”高次知性体です」
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ノベェンタは目を細める。
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「なるほど。かなり宇宙寄りですね」
『分類としては近い』
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声は低い。
だが。
敵意は無い。
むしろ。
かなり困っていた。
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『人類は、“真実”を観測したがる割に、観測結果への耐性が低すぎる』
「まあそうですね」
即答だった。
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「人類、“世界の秘密知りたい”欲求かなり強いですが、実際に宇宙規模の真理突きつけられると普通にメンタル崩壊するので。“自分は特別ではない”“宇宙は人類中心ではない”“時間すら絶対ではない”とか、文明史的にかなり何回もダメージ受けてます。地動説、進化論、相対性理論、全部“人類の自尊心を物理で殴るイベント”でした。ちなみに量子もつれ、アインシュタインですら“気味の悪い遠隔作用”呼ばわりしていて、現代でも“何で成立してるか直感的には全然分からないけど実験すると成立してしまう”という、人類理性への嫌がらせみたいな挙動してます」
「量子力学への言い方…」
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“目”が揺れる。
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『我々は困っている』
「何にです?」
『人類が、“理解できない真実”へ勝手に意味を見出し始めている』
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モニターへ浮かぶ文字。
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【宇宙は巨大な観測装置】
【我々は演算途中】
【個は存在しない】
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「……あー」
ノベェンタが嫌そうな顔をした。
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「典型的“高次情報による認知圧壊”ですね。人類、“自分の理解超えた情報”へ接触すると、急に極端思想へ飛ぶことあるので。“全部幻だ”“自我は不要だ”“現実はシミュレーションだ”辺りへ流れやすい。あと量子力学、“確率でしか未来を語れない”時点で、決定論好きな人類へかなりストレス与えてます。“頑張れば全部理解できる”という近代合理主義へ、“いや根本からランダムです”って返してくるので。ちなみにクマムシ、真空・放射線・極低温耐えるので“宇宙へ行けるぬいぐるみみたいな生物”扱いされがちですが、実際かなり理不尽寄り生命体です」
「クマムシ無敵だしね…」
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“目”が静かになる。
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『……なるほど』
『つまり人類は、“不完全性を前提として成立している種族”』
「はい」
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ノベェンタは頷いた。
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「だから“宇宙の完全解答”とか急に渡されても困るんですよ。“分からないまま、とりあえず今日を生きる”能力でここまで来たので」
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静寂。
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やがて。
“目”が少しだけ細まる。
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笑ったように。
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『……興味深い』
『では、“観測制限”を提案する』
「助かります」
『人類が、もう少し“曖昧さ”へ成熟するまで』
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その瞬間。
《LUCID》の暴走が止まる。
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赤色灯が消え。
宇宙ステーションへ静寂が戻った。
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エレナが座り込む。
「……助かったの?」
「はい」
ノベェンタは窓の外を見る。
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青い地球。
静かな宇宙。
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「人類、“知らないままでいた方が幸せな情報”結構ありますからね。あと宇宙、“答え”というより“問いを増やす装置”寄りなんですよ」
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リゼが苦笑する。
「アンタ、宇宙人とも普通に会話するのね……」
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ノベェンタは少し考えた。
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「まあ、人類も宇宙人も、“分かってほしいけど全部理解されるのは怖い”辺りかなり似てますので」
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アインが静かに頷く。
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「……理解可能です」
「かなり人類側来ましたね」
「不本意です」
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宇宙の闇。
星々。
そして。
観測しすぎるには、
まだ少し早い人類文明。
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その静かな青い星を見ながら、
ノベェンタは小さく呟いた。
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「ちなみに宇宙空間、“完全な無音”と思われがちですが、実際には機械音ないと宇宙飛行士かなり不安になるらしいです。人類、“ちょっとした生活音”で文明確認して安心する生き物なので。冷蔵庫の音とか、換気扇とか、あと遠くの誰かの気配とか」
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地球は今日も、
小さなノイズを鳴らしながら回っていた。
ちなみに人類、“無料で読ませてもらったので逆に評価押しづらい”という謎の遠慮を発動することがありますが、創作者側はわりと「そのボタンで今日を生きてる」みたいな所あります。
動物で言うと、
カピバラが「ここ安全そう」と判断した温泉へじわじわ集まり始める現象に少し近い。
安心できる場所って、
生物かなり繰り返し来るので。
あとブックマーク文化って冷静に考えると凄くて、
現代人類、「この物語、あとでまた読みたい」を可視化できるんですよね。
数百年前の作家、
多分めちゃくちゃ羨ましがる。
なので、
もし「この空気ちょっと好きだな」と思って頂けたら、
評価やブクマなど頂けると嬉しいです。
作者の情緒と更新速度へ、
ほんのりバフが掛かります。




