第二十九・五話 「観測者というのは、だいたい“自分が見られている事実”には最後まで鈍感なんですよね」
二〇一六年。
東京。
国立大学大学院。
量子情報理論研究室。
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九条理沙は、
自分のことを“合理的な人間”だと思っていた。
少なくとも。
あの男へ関わるまでは。
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「……ねぇ九条さん」
研究室の同期が、
死んだ目で言った。
「またいる」
「何が?」
「あの人」
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研究室の隅。
積み上がった論文。
空のエナジードリンク缶。
ホワイトボードいっぱいの数式。
そして。
野部遠汰。
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寝癖。
白衣。
死んだ魚みたいな目。
なのに。
異様に楽しそうだった。
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「……なるほど。量子情報理論という学問、“世界を理解する知的営為”っぽい顔してますが、実際かなり“人類がどこまで意味不明へ耐久可能か”の限界試験寄りなんですよね。観測問題とか典型で、“見るまで状態決まってません”って冷静に考えるとかなり怖い。あと人類、“分からないもの”へ数式貼ると急に安心し始める傾向あります。ちなみにラッコ、寝る時に流されないよう海藻巻き付けます」
「最後のラッコ必要だった?」
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九条は思った。
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絶対関わると疲れる。
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それが第一印象だった。
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だが。
問題は。
野部遠汰という男。
妙に人間を見ていた。
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深夜。
研究室。
午前一時。
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九条は机へ突っ伏していた。
共同研究。
実験失敗。
教授から修正。
連続徹夜。
完全に脳が死んでいた。
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その時。
横へ缶コーヒーが置かれる。
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「糖分とカフェインです。ちなみに人類、疲労極限時って“優しい言葉”より“具体的補給物資”の方が生存率上がります。“大丈夫?”より“水飲みます?”の方が脳へ通る時あるので。あと責任感強い個体ほど、“迷惑かけたくない”で自己完結側へ寄りやすい。ちなみにペンギン、一羽転ぶと周囲も結構転びます」
「……何で最後ペンギンなのよ」
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でも。
九条は少し笑ってしまった。
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それが。
最初だった。
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そして気付く。
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野部遠汰。
距離感がおかしい。
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人懐っこい。
でも。
踏み込まない。
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妙に優しい。
でも。
自分の話をしない。
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「……なるほど。人類、“他人の問題解決”は得意なのに、“自分の感情処理”だけ壊滅的な個体たまにいますよね。あとカラス、恩受けた相手かなり長期記憶するらしいです」
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九条は思った。
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この人。
かなり面倒臭い。
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そして。
危ない。
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だから。
見てしまった。
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今日いるか。
寝てるか。
また変な話してるか。
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気付けば観測していた。
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「……いや待って」
後年。
九条は冷静になって思う。
「私、かなり初期からストーキング寄りでは?」
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例えば。
ラーメン屋。
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大学近く。
カウンターだけの古い店。
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野部は、
よくそこへいた。
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「……鶏白湯か坦々麺か…なるほど。大学近辺ラーメン、“味”だけじゃなく“疲れた学生を黙って受け入れる避難所”として機能してる場合ありますよね。あとラーメン屋、“孤独な人類を長時間滞在させない”構造してるので回転率高い。ちなみにネパールにも“トゥクパ”というチベット系スープ麺料理ありまして、高地寒冷地帯では塩分と脂質補給としてかなり合理的なんですよ」
「注文終わってから喋ってください」
店主に怒られていた。
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九条は。
偶然を装って、
三回連続同じ時間へ行った。
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四回目。
野部が真顔で言う。
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「……九条さん」
「な、何?」
「最近ラーメン遭遇率高くないですか」
「そ、そう?」
「人類、“偶然を装った接触頻度”が増加する時、だいたい感情発生してますよね。あと猫、好意対象へわざと進路被せる個体います」
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九条はレンゲを落とした。
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「な、何言ってんのよ!!」
「統計的観測です」
「やめなさいその分析!!」
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だが。
問題は。
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野部遠汰。
自分へ向けられる好意へ、
本当に鈍い。
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飲み会帰り。
終電後。
夜道。
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九条は勢いで言った。
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「……私、野部といると結構楽しいんだけど」
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かなり分かりやすい。
普通なら。
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だが。
野部は真顔で頷いた。
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「なるほど。人類、“一緒にいて沈黙苦痛低い相手”へ長期親和性抱きやすい傾向ありますよね。恋愛、“ドキドキ”より“無言平気”側が持続率高い説あります。ちなみにオオカミ、群れ移動中ほぼ無言時間かなり長いです」
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「……」
「……?」
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九条は思った。
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この男。
本当に駄目だ。
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でも。
だから放っておけない。
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卒業前。
研究室。
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野部の机には、
大量の内定通知。
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東京。
横浜。
研究職。
大手企業。
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誰もが思った。
都会へ残ると。
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だが。
野部は高知へ行った。
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幡多郡大月町。
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その話を聞いた日。
九条は本気で怒った。
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「なんでそんな所行くのよ!!」
「母親事情です。あと人類、“自分だけ幸福側へ逃げる選択”へ罪悪感抱く個体かなり多いので。“自己実現”って単語、共同体責任感強い人間ほど実行難易度高い。ちなみに地方移住、“自然に癒やされる”より“まず車社会へ絶望する”から始まります」
「そういう話じゃない!!」
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野部は少し困った顔をした。
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「……九条さん」
「何」
「怒ってくれるんですね」
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九条は止まる。
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野部は少し笑った。
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「人類、“本当にどうでもいい相手”へ感情エネルギー使わないので。怒るって、実際かなり関係維持コスト高い優しさなんですよね。ちなみにゾウ、仲間いなくなると探し回る個体います」
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ずるい。
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九条は思った。
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こういう時だけ。
急に核心を突く。
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そして数年後。
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ヒマラヤ案件。
境界崩壊。
黒い太陽。
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全部終わった後。
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九条は、
東央マテリアルへ入社した。
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高待遇。
フリー活動可。
海外案件自由。
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だが。
理由は一つだった。
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夕方。
大月町。
港。
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防波堤へ座る九条。
少し先。
野部遠汰。
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港のイカを観察している。
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「ノベェンタ」
「はい」
「アンタ、自分がどれだけ面倒臭いか分かってる?」
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野部は少し考える。
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「……なるほど。人類、“面倒臭い相手ほど愛着形成しやすい”バグありますよね。世話焼き行動、接触時間比例で情移りするので。あとナマケモノ、移動遅いのに絶滅回避してるの結構不思議です」
「最後で全部ズレるの何なのよ……」
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夕日。
港。
潮風。
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九条は小さく笑う。
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そして思う。
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多分。
大学院時代からずっと。
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自分は。
この“世界を観測しすぎる男”を。
ずっと観測していたのだと。
人類、推し作品へ評価ボタン押す時だけ異様に理性と羞恥が戦いますよね。
「いやでも作者に圧掛けたくないし……」
「でも応援はしたいし……」
「ていうか今さら押すのも……」
みたいな。
ちなみにネコは「この人、安全そう」と判断した相手の近くで急に腹を出して寝始めますが、あれ生物学的にはかなり高レベル信頼行動です。
つまりブックマークも、だいたい同じです。
創作者側、
「うわっ……安心されてる……」
になります。
あと評価って、“面白かった”の記録でもありますが、
未来の自分へ向けた「昔これ好きだった」のタイムカプセルでもあるので。
もし少しでも、
「なんか好きだな、この空気」
と思って頂けたら、
ブクマや評価など頂けると嬉しいです。
作者、
かなり静かにゴロゴロします。




