第二十九話 「人類、“返済が終わった瞬間に人生も解放される”と思いがちですが、実際には“もう帰らなくてもいい場所”が発生した時の方が、よほど困るんですよね」
午後七時十一分。
高知県幡多郡大月町。
東央マテリアル第二社宅。
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雨だった。
梅雨前線。
湿った潮風。
古い換気扇の音。
遠くでカエルが鳴いている。
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野部遠汰は、
ローテーブルの上へノートPCを開いていた。
画面には株価チャート。
海外市場。
為替。
複数の証券口座。
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そして。
表示されている総資産額。
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「……なるほど」
小さく呟く。
「人類、“会社員やりながら投資で人生逆転した人”へ軽い胡散臭さ抱きがちですが、実際には“生活コスト低い地方+独身+趣味少ない+長期積立”揃うと、資産増加速度かなりバグる場合あるんですよね。あと高知西南部、家賃と誘惑コスト低すぎるので、都市部比で可処分所得残存率かなり高いです。ちなみにリス、一部種は数千個単位で木の実を埋蔵しますが、忘れることで結果的に森林再生へ貢献しています」
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スマホが震えた。
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母からだった。
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野部は少し止まり。
通話へ出る。
「はい」
『……遠汰』
声が少し震えていた。
『ごめんね、また』
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野部の表情が、
少しだけ変わる。
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「何かありましたか」
『今日、また来たの』
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千葉県市川市。
母はまだそこに住んでいる。
小さいアパート。
パート勤務。
そして。
数年前。
元夫——つまり野部の父側親族の保証問題から始まった借金。
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元々。
返済自体は滞っていなかった。
毎月。
少しずつ。
ちゃんと返していた。
だが。
数ヶ月前から、
急に取り立てが異様になった。
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『今月も払ってるのに、“今後危ないかもしれないから”って……』
母の声が小さい。
『急に強い言い方されるようになって……』
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野部は静かに窓の外を見る。
雨。
暗い港。
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「……なるほど」
灰色の瞳が細まる。
「“外側”ですね」
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最近。
“外側”は。
金融。
契約。
保証。
数字。
そういう、
“人類の不安へ直接接続しやすい構造”へ侵食を始めていた。
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「人類、“借金”へかなり強い恐怖反応持つので。生存基盤、将来、不安、罪悪感、家族責任全部直結する。しかも日本社会、“迷惑をかけている感覚”へ精神かなり削られる文化なので、“返してるのに責められる”状態、人間壊れやすいんですよね。あと金融業、“数字だけ扱ってる”ようで、実際には人類の感情流通システム寄りです」
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母は少し黙る。
『……でもね』
「はい」
『今、一緒にいる人には言えてなくて』
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野部は静かに聞いていた。
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母には、
今新しいパートナーがいた。
穏やかな人だった。
車整備工。
釣り好き。
少し天然。
そして。
借金のことを知らない。
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『せっかく普通に幸せなのに……』
母が小さく笑う。
『またこんな話したら、嫌われる気がして』
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野部は少し沈黙した。
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「……なるほど」
小さい声。
「人類、“新しく得た幸せ”ほど壊れるの怖がるんですよね。特に一回失敗経験あると、“これ以上迷惑かけたくない”思考強くなるので。あと親世代、“子供へ心配かけたくない”と“でも本当は助けてほしい”が同時存在してる場合かなり多いです。量子重ね合わせ並に矛盾してます。ちなみにゾウ、家族単位記憶かなり長期保持します」
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母が少し笑った。
『あんた、その動物の話ほんと昔から好きね』
「人類、動物比較すると自分達の変さ理解しやすいので」
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野部は、
静かにPC画面を見る。
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資産。
利益。
数字。
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数年前なら、
想像もしなかった額だった。
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東央マテリアル株。
海外アウトドア関連。
素材関連。
長期積立。
ヒマラヤ案件後の急騰。
そして。
異様なまでの市場観測能力。
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野部は小さく息を吐いた。
「母さん」
『うん?』
「全部返します」
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電話の向こうが止まる。
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『……え?』
「完全返済します。今月中に」
『遠汰、何言って——』
「可能です。現在資産状況的に問題ありません。あと人類、“借金完済”へ宗教的解放感抱きがちですが、実際には“未来不安の定期通知が消える”のが大きいんですよね。脳、“毎月減る数字”をかなりストレス記憶として蓄積するので」
『で、でも……そんな大金……』
「あります」
即答だった。
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母が黙る。
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「……人類、“子供はいつまでも守る側”だと思いがちですが、実際には人生後半、“助けられる側”へ反転する瞬間普通に来るので。あと親、“子供へ頼る=負け”みたいな価値観持ってる世代かなり多いですが、本来共同体って相互扶助システムなので、一方向だけだと壊れます」
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雨音。
静かな夜。
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『……ありがとう』
母の声は、
少し泣いていた。
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三日後。
完全返済完了。
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野部は市川へ来ていた。
久しぶりの千葉。
電車。
人混み。
駅前。
コンビニ密度。
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「……なるほど。都市部、“何でもある”代わりに“自分が居なくても回る感覚”かなり強いんですよね。地方、“居ないと気付かれる”ですが、都市、“消えてもログ流れる”感覚あるので。あと東京圏、人類密度高すぎて逆に孤独感増幅する場合あります」
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母は何度も頭を下げていた。
隣には、
新しいパートナー。
穏やかな男性。
「遠汰くん、本当にありがとうなぁ」
「いえ」
野部は少し笑う。
「人類、“誰かの人生立て直す”って表現好きですが、実際には“大きく壊れないよう横で支える”くらいしか出来ないので。あと家族問題、“完全解決”より“致命傷回避”積み重ねの方が現実的です」
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その帰り。
野部は一人、
東京駅ホームへ立っていた。
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そして。
ふと気付く。
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——もう。
高知へ居続ける理由が、
消えていた。
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借金は終わった。
責任も。
義務も。
全部。
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「……なるほど」
小さく呟く。
「人類、“ここを出たら自由になれる”と思って生きてる期間ありますが、実際には“出てもいい状態”になった瞬間の方が困るんですよね。目的消失すると、“じゃあ何故ここに居るのか”を再定義必要になるので。あと長距離通勤文化、日本人かなり異常適応してます。一時間半通勤を“普通”扱いする文明、冷静に考えると狂気寄りです。ちなみに渡り鳥、一度覚えたルートかなり長期間維持します」
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スマホが震える。
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アイン。
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『野部先輩』
『現在、営業二課で野村部長が発狂しています』
『海外案件メールが127件です』
『あと九条さんが“柏島のイルカまたバズってるわよ”と言っています』
『早く戻ってきてください』
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数秒。
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野部は、
小さく笑った。
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「……なるほど」
ホームの向こう。
夕焼け。
新幹線。
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「人類、“帰らなきゃいけない場所”より、“帰りたいと思ってしまう場所”の方が厄介ですね」
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東京の空。
高知の海。
市川の母。
大月町の港。
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その全部を抱えたまま。
野部遠汰は、
静かに帰りの切符を握り直した。
人類、推し作品へ評価ボタン押す時だけ異様に理性と羞恥が戦いますよね。
「いやでも作者に圧掛けたくないし……」
「でも応援はしたいし……」
「ていうか今さら押すのも……」
みたいな。
ちなみにネコは「この人、安全そう」と判断した相手の近くで急に腹を出して寝始めますが、あれ生物学的にはかなり高レベル信頼行動です。
つまりブックマークも、だいたい同じです。
創作者側、
「うわっ……安心されてる……」
になります。
あと評価って、“面白かった”の記録でもありますが、
未来の自分へ向けた「昔これ好きだった」のタイムカプセルでもあるので。
もし少しでも、
「なんか好きだな、この空気」
と思って頂けたら、
ブクマや評価など頂けると嬉しいです。
作者、
かなり静かにゴロゴロします。




