第三話 「再現性のない人生ほど、観測価値が高い」
午前一時二十分。
異世界。
都市。
空にはまだ巨大な裂け目が残っていた。
赤黒い雲はゆっくり渦を巻き、世界の外側から誰かが覗き込んでいるような圧迫感を空へ滲ませている。
だが。
ひとまず侵食は止まっていた。
石畳では兵士たちが瓦礫を運び、魔導士たちは壊れた結界柱を修復している。
焦げ臭い空気。
粉塵。
血と魔力の残滓。
終末の直後特有の、“静かな騒音”。
その片隅。
ノベェンタは普通に柿ピーを食べていた。
カリ。
ポリ。
ノア教授が頭を抱える。
「世界救った直後の間食が雑!!」
「塩分と脂質って極限環境だとかなり重要なんですよ。あと人間って“危機直後ほど咀嚼欲求出る”ことあるんですが、あれ生存確認行動の一種らしいです。“まだ食える=まだ生きてる”って脳が判断するので。ちなみに宇宙食って味濃いめじゃないと無重力環境で風味感じにくいらしいですよ」
「最後に宇宙足すな!!」
「会話って情報密度だけだと疲れるので、無駄情報による認知緩衝材が必要なんです」
「無駄情報側が強すぎる!」
リゼが隣でため息を吐く。
銀髪が夜風に揺れる。
紅い瞳。
黒い角。
魔族。
だが現実世界では、量子情報理論研究室所属の大学院生——九条理沙だった。
「でも、さっきの“観測履歴による存在保存理論”、少し乱暴じゃない?」
ノア教授が固まる。
「理解できるのか?」
「位相保存を“記憶”へ寄せすぎ。観測情報って、結局は観測者脳内への圧縮保存だから、“存在継続”というより“情報痕跡の局所固定化”に近いと思う」
ノベェンタの目が少し輝く。
「なるほど……つまり“魂”って実体というより、高次圧縮された観測履歴群として扱える可能性ありますね。しかも他者間共有で位相補強されるなら、“誰かに覚えられている存在”ほど情報崩壊しにくいのかもしれません。あと人間って他人の黒歴史はよく覚えてるのに、自分の失敗は脳内補正しがちなんですよ。自己保存本能ってすごいですね」
「急に黒歴史へ着地するな!」
「認知バランス調整です」
「便利ワードみたいに使うな!」
ノア教授が遠い目をした。
「また始まった……」
この二人だけ。
難解な会話が成立する。
兵士たちは全員、「何言ってるかわからないけど多分すごい話なんだろうな」という顔をしていた。
ノア教授が石畳へ座り込む。
「……で、お前ほんとに会社員なのか?」
「はい。東央マテリアル第二営業企画部です。主に工場間調整と資料作成と責任の空中分解処理を担当しています」
「業務内容に闇が混ざってる!」
「日本企業特有の文化です。責任って明確化されると人間逃げるので、“全員が少しずつ察して曖昧に持つ”方向へ進化した組織構造ですね。あとハシビロコウって基本動かないんですけど、狩りの時だけ急に本気出します」
「会社の話に鳥を混ぜ込むな!」
ノベェンタは少し考える。
灰色の瞳が、復旧作業する兵士たちを見る。
「でも、会社ってかなり面白いですよ」
「極限状態ほど、人間の本質が見えるので」
静かな声だった。
「余裕が消える」
「疲れる」
「責任押し付け合う」
「でも、その中で誰かを助ける人が必ずいる」
風が吹く。
空の裂け目が軋む。
ノベェンタは小さく笑った。
「私は、そういう瞬間が好きなんです。あと極限環境で配られる缶コーヒーって妙に美味しく感じません? あれ味覚じゃなくて“安心感”飲んでるらしいですよ」
ノア教授が少し黙る。
それから、疲れたように笑った。
「……そういうとこなんだよな、お前」
リゼだけは静かに聞いていた。
大学院時代から。
この人はずっとそうだった。
世界を分析しているのに。
誰よりも人間を好きだった。




