第二十一話 「標高が高くなると沸点が下がるように、人の倫理観も気圧の影響で多少は揮発するものです」
現実世界における野部遠汰は、東央マテリアル営業企画部の平社員である。
そして。
彼の直属上司が、野村部長だった。
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野村部長は、異世界側で出会ったノア・ヴェルステインと、驚くほどよく似た顔をしている。
違うのは服装くらいだ。
片方は白衣。
片方はいつも茶系のヨレたスーツ。
だが。
胃痛の深さだけは、完全に一致していた。
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野部は確信している。
世界が違っても、“自分みたいな不確定要素を管理する人間”には、必ず相応の精神摩耗が割り振られるのだと。
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ネパール。
カトマンズ。
排気ガス。
香辛料。
祈祷旗。
クラクション。
雑踏。
そして、標高一三〇〇メートル特有の、ほんの少し薄い空気。
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野村部長が、疲れた顔で言った。
「……野部くん。聞こえてるか。なぜ市場調査の行き先がネパールなんだ。もっとこう……分かりやすく成長率高い国あっただろう。ベトナムとか」
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野部遠汰——ノベェンタは、雑踏を観察しながら頷く。
「部長、その視点は極めて合理的です。ただ現在のネパールって、“未整理な成長”と“伝統共同体”と“急速な情報流入”が同時進行してるので、市場変動耐性を観測するにはかなり優秀なんですよ。あと高地環境って、酸素不足で人類の意思決定バグりやすいので、“不確実環境での判断傾向”を見るには最適です。ちなみに高山病、人類が“脳へ酸素送れない”だけで世界観まで暗くなり始める現象なので、意識ってわりと物理依存なんですよね。あとカトマンズの道が妙に複雑なの、古代防衛都市説ありますが、実際は一九三四年の大地震後に無計画再建された影響かなり大きいです」
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野村部長、無言。
数秒後。
「……長い」
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「はい」
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「あと途中で二回くらい話終わったと思った」
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「情報が連鎖増殖型なので」
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「厄介なプレゼン形式だな!?」
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野部は真顔だった。
「要約すると、“ここで通用すればだいたいどこでも通用する”です」
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「いきなり体育会系精神論へ着地したな!?」
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「ちなみにチベット高地圏の人々、EPAS1遺伝子変異によって血液粘度上げずに酸素運搬効率高めてるので、高地適応って実質“人体の静かな進化実験場”なんですよ」
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野村部長が空を見る。
「……もう、“ちなみに”が怖い」
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「はいはい」
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その時。
古いレンガ造りのカフェ、《ヒマラヤ・ティーハウス》が見えてきた。
暖簾をくぐる。
スパイス香る空気。
甘いチャイ。
木製テーブル。
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そして。
テーブルで待っていた女が、軽く手を上げた。
「お疲れ様です、野村部長」
九条理紗。
現地コーディネーター。
国際案件専門のフリーエージェント。
そして。
野部と同じく、“普通ではない案件”へ慣れ過ぎてしまった女だった。
「野部さんも相変わらずですね」
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「人類、“環境変わっても会話テンポ変わらない相手”へ妙な安心感持つので。海外出張とか転校初日とかでも、“いつものノリ”で話してくれる人いるだけで、脳って“自分の世界まだ切断されてない”って判断しやすいんですよね。特に異文化圏って、匂い・言語・音・交通ルール・空気密度まで全部微妙に違うので、人間かなり無意識疲労してるんです。だから“会話リズムが変わらない存在”って、実質的に移動式セーフゾーン寄りなんですよ。あと船乗り文化でも、長期航海中は内容ない雑談してる方が精神安定しやすかったらしいです」
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理紗が小さく吹き出す。
「ちゃんとネパール来てるのに、会話だけ日本の深夜テンションなのよ」
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「認知負荷は安定しています」
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「してないのよ周囲が!」
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理紗はタブレットを差し出した。
表情が少し硬い。
「エベレスト街道入口付近の村で、変な現象が起きてる」
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野部の瞳が細くなる。
「内容は?」
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「住民が“私有”の概念を失い始めてるの」
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野村部長が眉をひそめた。
「私有?」
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「お金、家畜、服、食料。全部、“みんなのもの”として交換し始めてる。境界感覚が消えてるのよ」
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沈黙。
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そして。
野部が静かに口を開く。
「……なるほど。“個”の情報独立性崩壊ですね」
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「分かりやすく言え」
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「部長のボーナスが世界平均までならされて消滅する可能性があります」
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野村部長、即座に立ち上がる。
「それは止めろ!!」
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理紗が吹き出した。
「そこだけ反応速度おかしいんですよ!」
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野部は頷く。
「ブランド価値って、“これは自分のものだ”という認識で成立してるので。“全部共有”へ傾くと、市場経済そのものが溶け始めるんですよ。あと共同体意識って、本来は助け合い機能なんですが、極端化すると“個人境界消失”へ行くケースある。ちなみにアリ社会、個体単位より群れ全体で一つの生物っぽく機能する説あります」
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野村部長が額を押さえる。
「最後のアリで急に社会が怖くなるんだよ……」
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チャイが運ばれてくる。
甘い香り。
シナモン。
カルダモン。
理紗が静かに言った。
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「で、どうするの?」
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「現地確認です」
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「標高かなり上がるわよ」
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「はい。高地では水の沸点下がりますが、私の話量は減りません」
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理紗、即答。
「酸素マスク追加ね」
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野村部長が遠い目をする。
「……私は?」
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「部長はここで現地商工会との接続維持をお願いします」
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「待機か……」
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「ネパールでは“沈黙しながら頷く人”って、かなり信頼されやすいので。部長の“優柔不断ゆえの長考”は、ここだと“深く考えてる賢者感”へ変換されます」
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野村部長、静止。
「……野部くん」
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「はい」
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「それ褒めてるのか?」
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「量子的には重ね合わせですね」
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「しれっと量子力学でとぼけるな!!」
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理紗が肩を震わせる。
「ふふっ……」
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その時だった。
窓の外。
祈祷旗が、一瞬だけ不自然に揺れた。
風が止まっているのに。
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野部と理紗だけが、それに気づく。
視線が交差する。
来ている。
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まだ、野村部長には説明できない種類の“何か”が。
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野部は静かに立ち上がった。
「行きましょう、九条さん」
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「ええ」
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「ちなみに高地では紫外線量も増えますが、人類って視界広い場所行くと妙に哲学始める傾向ありますよね。あとヤクって見た目怖いですが結構温厚です」
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理紗がため息を吐く。
「……ほんと、酸素より先に情報量で息苦しくなるのよね、アンタ……」
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ネパールの空。
祈祷旗が風に揺れる。
文明と、共同体と、境界線。
二人は、ヒマラヤの奥へ向かって歩き出した。
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“何か”が、静かに人間同士の境界を溶かし始めている村へ。
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ちなみにWeb小説作者、「ブックマーク増えてる……」を見ると静かにめちゃくちゃ喜びます。
表面上は真顔でも、
内心かなり「ウオオオ!!」ってなってる。
あと評価・感想文化って、人類史的には割と革命なんですよね。
昔の創作者、“読者が本当に存在してるか分からない状態”で数年単位連載とか普通だったので。現代は「面白かった」が数秒で届く。文明の進化、そこだけ妙に優しい。
特に連載形式、
作者は毎回「この展開滑ってないか……?」「設定ブレてないか……?」と深夜に脳内会議してるので、“読んでるよ”の反応だけでかなりHP回復します。
MMORPGで例えると、
ブクマはセーブポイント、
評価はバフ、
感想は蘇生魔法です。
なので。
もし少しでも面白かったら、
ブックマークや評価など頂けると、
作者の現実接続率と次話生成速度がわりと上昇します。
創作者、案外ちょろい生物なんですよね。




