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『境界断ちのノベェンタ』 〜観測整合維持局 第七補正執行室 野部遠汰の場合〜  作者: nobunobuwo


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第百七十三話 「“未来”って、人類わりと“まだ来ていないもの”だと思いがちなんですけど。実際には“知った瞬間から現在を変え始める”ので。知性って、正解を持った時ほど慎重さが必要になるんです」



 東央マテリアル地下三階。


 第二給湯室。



 正式名称。


《位相間感情同期型空間転移接続設備》。


 通称。


 給湯室。



 人類。


 慣れると雑になる。



 アインが机へ封筒を置いた。


 深緑色。


 金箔。


 封蝋。


 古代文字。



 見るからに偉い。



 野村部長が眉をひそめる。


「毎回思うんだけどさぁ」



「はい」



「うちの会社、取引先の格式だけ神話へ突入してない?」



「しています」


 アイン。



「認めるんだ!?」



 佐伯が封筒を覗き込む。


「差出人は?」



「世界樹管理領域上位監督機関」


「ハイエルフです」



 沈黙。



 野村部長。


「最近の営業企画部」


「神話と直接メールしてる」



「かなり近いです」


 ノベェンタ。



「近いのかよぉ」



 アインは資料を展開した。


《未来保管書》


 俗称。


《攻略本》



 佐伯が嫌そうな顔をした。


「また名前からしてろくでもない」



「正常な判断です」


 アイン。



 ページが開く。


《未来予測成功率》


 九十八・七%


 九十八・九%


 九十九・一%


 九十九・三%


 そして。


《急落》


 十二%


 四%


 不明



 沈黙。



「うわぁ……」


 佐伯。


「攻略本が攻略本じゃなくなってる」



 アインが頷く。


「未来が読めなくなっています」



「原因は?」



「不明です」



 その時。


 ノベェンタが静かに資料を見ていた。


「……面白いですね」



「面白いで済む?」


 佐伯。



「済みません」


 ノベェンタ。



「済まないんだ」



 灰色の瞳が資料を追う。


「人類、“未来予測”というものを未来を見る能力だと思いがちなんですけど、本質的には現在の構造解析なんですよね。チェスAIも未来を見ている訳ではなく、現在盤面から可能性を計算しているだけです。だから予測精度が高いという事は、実は世界が安定しているという意味でもある。逆に新しい観測者や価値観が生まれると急激に不確定化するんです。あと生物進化でも似た現象がありますね。カンブリア爆発。何億年も比較的平和だった生態系へ“目”が登場した結果、見る側と見られる側の軍拡競争が始まって世界が激変したんですよ。つまり人類、生物史的には“視力が発明されたせいで地獄が始まった時代”を持っています」



 沈黙。



 佐伯。


「最後の豆知識いります?」



「かなり重要です」


 ノベェンタ。



 リゼが腕を組む。


「でも理屈は分かるわ。未来予測って決定論じゃないの。情報圧縮なのよ。変数が少ないうちは精度が高い。でも新しい主体が生まれた瞬間、その主体自身が新しい変数になる。しかも知性体は予測結果を知った上で行動を変える。だから未来視能力って万能どころか、相手が賢いほど壊れやすいの。予測された未来を知った参加者が、その未来を避けようと動き始めるから。未来を知るという行為そのものが、未来を変える原因になるのよ」



 静寂。



 ノベェンタ。


「大学院時代を思い出します」



「私は思い出したくないわ…」


 リゼ。



 その時だった。


 転移門が光る。


 砂。


 風。


 夕焼け。


 パンドーラ。


 そして。


 一人の男。


 ノヴァンだった。


 長い外套。


 砂漠の風。



 その背後には。


 井戸。


 市場。


 学校。


 灯火。


 人々が暮らしている。


 生きている。



 ノヴァンは静かに笑った。


「久しぶりだな」



「お久しぶりです」


 ノベェンタ。



 しばらく。


 互いに少しだけ笑う。


 戦い以来だった。



 ノヴァンは静かに言う。


「先に礼を言わせてくれ」



「器用な人格ですか」



「そうだ」



 ノヴァンは遠くを見る。


「井戸が増えた」


「学校も出来た」


「交易路も繋がった」


「飢える子供も減った」



「俺一人じゃ無理だった」


挿絵(By みてみん)



 静寂。



「だから返そうと思った」


 胸へ手を当てる。


「借りたままは性に合わない」



 だが。


 ノベェンタは首を振った。


「必要ありません」



「だが」



「本人が帰りたくないそうです」



 沈黙。



 ノヴァンが少し笑う。


「聞こえるのか」



「聞こえています」



「何と言ってる」



 ノベェンタ。


「ここが好きだそうです」



「あとノヴァンは全部一人で抱える癖があるので監視対象だそうです」



 佐伯が吹き出す。


「言いそう」



 リゼも笑う。


「言いそうね」



 ノヴァンは苦笑した。


「余計な所まで似てるな」



 だが。


 その表情は少しだけ柔らかかった。


 誰かが残ってくれた。


 それは。


 思った以上に救いだった。



 その時。


 野村部長が小さく呟く。


「……本物かぁ」



「部長?」


 佐伯。



「いや」


 野村部長は照れ臭そうに頭を掻く。


「前に駐車場で見た時から思ってたんだよなぁ」


「格好良いなぁって」



 沈黙。



 ノヴァン。


「……何の話だ?」



「気にしないでください」


 全員。



 そして。


 ノヴァンの表情が真面目になる。


「本題だ」



 砂漠の風が吹く。



「ハイエルフ達が騒いでいる」



「攻略本が壊れ始めている」



「未来が読めなくなっている」



 アインが頷く。


「原因は」



 ノヴァンは空を見上げた。


 夕焼け。


 遥か彼方。


 世界そのものを見るように。


「まだ分からない」


「だが最近」


「世界樹がおかしい」



 空気が少し変わる。



「世界樹?」


 リゼ。



「世界樹が」


 ノヴァンは静かに続けた。


「昔の記憶を見始めた」



 沈黙。



「記憶?」


 佐伯。



「神話以前」


「文明以前」


「生命以前」


「この世界そのものが持つ記憶だ」



 静寂。



 ノベェンタの瞳が細くなる。


「……アンカー」



 アインも頷いた。


「可能性があります」



 世界樹。


 感情増幅アンカー。


 ネウロン。


 モルモール。


 感情同期。


 鈴。



 全てが繋がっている。



 ノヴァンは続ける。


「最初は小さな変化だった」


「昔の海を見た」


「昔の山を見た」


「昔の空を見た」


「そんな話だった」



「だが最近」



 夕焼けが揺れる。



「自分は何者なんだろう」


「何故ここに居るんだろう」


「世界とは何なんだろう」



 静寂。



「そう言い始めた」



 誰も喋らない。


 そして。



 ノベェンタが静かに言った。


「なるほど」


「攻略本が壊れた理由」



「分かりました」



 沈黙。



「何なんです?」


 佐伯。



 灰色の瞳。


 静かに細まる。


「パンドーラは今」



「未来を知り始めたのではありません」


「世界を知り始めています」



 静寂。



「……違いあるの?」


 野村部長。



「あります」


 ノベェンタは世界樹資料を見る。


「大きな違いです」


「未来は一本の可能性です」


「ですが世界は無数の記憶です」



「そして知性体は」


「自分より大きな世界を知った時」


「初めて」



「自分とは何かを考え始める」



 静寂。



 誰も言葉を返さない。


 ただ。


 遠いパンドーラの空。


 夕焼けの向こう。


 世界樹が。


 何かを思い出すように。


 静かに光っていた。



 そして。


 誰にも聞こえない場所で。



 世界そのものが。


【モット】


【シリタイ】



 そう呟いた。


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