第百七十一話 「“自分”って、最初から存在するものじゃなくて関係の中で定義されるので。知性って、一人になって初めて自分を観測するんですよね」
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暗闇。
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何も無い世界。
レムナントは黙っていた。
たくさんの人格達。
たくさんの人生。
たくさんの記憶。
たくさんの後悔。
その全てを抱えて。
何千年も。
ずっと。
一人で。
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そして。
ノベェンタが静かに言った。
「選択肢があります」
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レムナントは顔を上げる。
「選択肢?」
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「はい」
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「あなたが集めた、その人達」
「私のところへ来てもらいます」
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静寂。
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レムナントは黙った。
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「そして」
ノベェンタは続ける。
「あなたはあなたとして生きる」
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「……意味が分からない」
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「分かります」
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「分かるのかよ」
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「私も言いながら少し難しいと思いました」
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静寂。
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レムナントが額を押さえる。
「本当に変わらないなお前」
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「よく言われます」
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そして。
ノベェンタは真っ直ぐレムナントを見る。
「人類、“完全な個人”という概念を当然のように使いますけど、実は量子論寄りに考えるとかなり怪しいんですよね。関係量子力学では状態というものは単独で絶対的に存在するのではなく、観測者との関係によって定義されます。つまり宇宙全体を俯瞰する神様視点みたいな絶対状態は仮定せず、全ては関係の記述なんです。人類も割と似ていて、親から見た私、友人から見た私、上司から見た私、恋人から見た私、それぞれ少しずつ違います。でも全部が私なんですよね。つまり“完全に独立した自己”というのは案外幻想で、人間は最初から関係の網目の中でしか存在出来ない可能性があります。だから孤独というのは誰も居ない状態ではなく、自分を定義していた関係が消えた状態なんです。そして今のあなたは、自分を定義する役割が“人格管理者”しか残っていない」
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静寂。
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レムナントは黙って聞いていた。
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「だから」
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「一度やめてみませんか」
「人格管理者を」
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静寂。
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「ベルタリュオンへ来てください」
「最近あちらも面白い状況です」
「個人感情に目覚めました」
「感情って何だろう」
「好きって何だろう」
「悲しいって何だろう」
「私は私なのか」
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「そういう事をみんなで学び始めています」
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「あなたも学べます」
「レムナントとして」
「ただ一人の存在として」
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長い沈黙。
そして。
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レムナントは。
初めて。
本当に初めて。
少しだけ泣きそうな顔をした。
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「……今さら」
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「今だからです」
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白い光。
世界が崩れていく。
たくさんの人格達。
たくさんの野部遠汰達。
その全員が。
静かに見送っていた。
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まるで。
長い旅の終わりを祝福するように。
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そして。
意識が浮上した。
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朝。
木の天井。
潮の匂い。
波音。
アインの家。
客間。
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野部遠汰は目を開いた。
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「……起きた」
リゼだった。
椅子に座っている。
目の下に少しだけ隈。
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ノベェンタは身体を起こす。
「おはようございます」
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「遅い」
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「すみません」
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「本当に遅い」
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静寂。
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そして。
リゼが少し笑った。
「おかえり」
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「ただいまです」
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窓から朝日が差し込む。
しばらく。
二人は黙っていた。
やがて。
ノベェンタが言う。
「関係量子力学」
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リゼが反応する。
「いきなり始まったわね」
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「かなり正しいかもしれません」
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「へぇ」
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「孤独を体験して確信しました。人類、“自分”を脳内へ収納された固定データみたいに考えがちなんですけど、実際には関係によって更新され続ける動的状態の方が近いです。例えば私はキノピーとの関係を失うと今の私ではなくなりますし、リゼとの関係を失っても今の私ではなくなります。つまり自己とは保存された本体ではなく関係性の重ね合わせに近い。量子状態そのものというより観測履歴のネットワークです。さらに興味深いのは、人類は孤独になると自分を見失うんじゃなく、自分を構成していた関係の多さを初めて認識するんですよね。今回かなり勉強になりました」
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リゼ。
数秒沈黙。
そして。
大学院時代の顔になった。
「その話なら反論があるわ」
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ノベェンタの目が輝く。
「おぉ」
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「関係量子力学は確かに観測者依存だけど、“関係しか存在しない”とまでは言ってないのよ。むしろ面白いのは、各観測者にとっては状態は実在している事。つまりリゼから見た野部くんは実在するし、キノピーから見た野部くんも実在する。でもそれらを全部統合した絶対野部くんは存在しない可能性が高い。だから自己って本質的には単数形じゃなくて複数形なのよ。さらに言うなら、人類の人格形成そのものが量子論というより複雑系に近い。脳神経ネットワークと社会ネットワークが相互作用して自己が発生する。つまり自己は物体じゃなく現象なの。だから孤独で苦しかったのは当然。野部くんという現象を成立させていた相互作用が急に全部切れたんだから」
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静寂。
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ノベェンタ。
数秒停止。
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そして。
「なるほど」
「大学院時代を思い出しました」
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「でしょうね」
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「少し嬉しいです」
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「私は嬉しくない」
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「何故です?」
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「朝から量子論を長々と語る人が目の前で復活したからよ」
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静寂。
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そして。
二人とも少し笑った。
長い夜が終わる。
窓の外。
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朝日が世界を照らしていた。
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