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『境界断ちのノベェンタ』 〜観測整合維持局 第七補正執行室 野部遠汰の場合〜  作者: nobunobuwo


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第百六十話 「“家族が増える”って、人類わりと“個人イベント”だと思いがちなんですけど。実際には“周囲の未来感覚”まで変えるので。共同体って、“誰かのこれから”を見るだけで結構生き延びるんですよね」


 高知県幡多郡大月町。



 夜。


 東央マテリアル第三研究棟。


 残業灯だけが、静かに廊下を照らしていた。


 カタカタカタ……


 端末音。


 空調。


 遠くの自販機。


 典型的な、地方研究施設の深夜だった。



 野村部長が、ソファへ沈み込んでいる。


「……人類、なんで月末になると書類増えるんだろうな」



 佐伯が即答する。


「月末だからです」



「身も蓋もない!!」



 リゼは、給湯スペースでココアを作っていた。


 ふわふわしている。


 だが妙に手際が良い。


「だいじょうぶですよ〜♡ 糖分は世界を救います〜♡」



 ノベェンタは静かに頷いた。


「はい。人類、“温かい甘味”で精神安定するケースかなり多いので。あと夜間作業、“飲み物共有”だけで連帯感上がりやすいです。深夜コンビニでホット飲料売れるの、単純に温度だけじゃなく“安心感”買ってる側面あります」



 佐伯がため息を吐く。


「毎回ちょっと良い話しかけたあと、社会行動学へ着地するんですよね……」



 その時だった。


 アインが、静かに研究室から出てくる。


 少しだけ、珍しく疲れた顔だった。


「……佐伯さん」



「はい?」



「少し、よろしいですか」



 空気が変わる。


 アインは基本的に、無駄な呼び止め方をしない。



 佐伯も、少し真顔になった。



 二人は、廊下奥へ歩いていく。



 自販機の光。


 窓の外、真っ暗な大月の海。



 アインは少し迷い——


「……確認が取れました」


「妊娠しています」



 空気が止まる。


 佐伯の目が、静かに見開かれた。


「……え」



挿絵(By みてみん)



 アインは淡々としていた。


 だが。


 指先だけ、

 少し震えている。


「母体状態安定。位相異常なし。ベルタリュオン因子干渉率も正常範囲内です」



 佐伯が思わず吹き出した。


「そこ医学用語と宇宙用語混ぜるんですか……」


 そして。


 少しだけ笑った。


「……そっか」



 アインが小さく頷く。


「はい」



 静かな夜。


 波の音。


 遠くで虫が鳴く。



 佐伯は、少し困った顔で笑った。


「……なんか実感わかないですね」



「正常反応です。人類、“未来情報”への感情同期に時間差ありますので」



「そこは普通に言ってください」



「……私も、まだ少し信じられていません」



 その言い方だけ、少し柔らかかった。



 翌朝。


 東央マテリアル社員食堂。



 野村部長が、コーヒーを吹いた。


「はぁぁぁぁぁぁぁぁ!?!?」



 食堂中が振り向く。



 リゼが飛び跳ねた。


「えぇぇぇぇぇ♡♡ おめでたいです〜♡ 宇宙規模でおめでたいです〜♡♡」



 ノベェンタも静かに頷く。


「はい。共同体、“新しい命”発生すると未来予測を延長しやすくなるので。あと地方圏、“子供生まれる”情報だけで近所のおばちゃんネットワーク急激活性化します」



 野村部長が涙目になる。


「めでてぇなぁ畜生ぉぉぉ!!」



 佐伯が苦笑した。


「まだ早いですって」



 アインは少し困った顔だった。


「……何故か研究棟全体の空気が柔らかくなっています」



 ノベェンタが静かに分析する。


「はい。“新しい未来”情報、人類かなり好きなので。特に閉鎖共同体、“次世代存在”だけで生存実感回復しやすいです。あと漁村文化圏、“子供は地域全体で育てるもの”感覚強い傾向あります」



 リゼが、ふわぁっと笑った。


「だいじょうぶですよ〜♡♡ いっぱい幸せになります〜♡♡♡」



 その瞬間。


 ピピピピピピ!!


 警報。


 研究棟全体の空気が変わる。



 アインの瞳が細くなった。


「……緊急回線」


 端末展開。


 そこへ映ったのは——


 異世界側世界樹管理区画。


 エルフ達だった。


 だが。


 様子がおかしい。


 結界が壊れている。


 白い森が焼けている。


 世界樹の根が露出している。


 そして。


 エルフ長が低く告げた。


「……盗まれた」


挿絵(By みてみん)



 空気が止まる。


 アインが即座に聞き返す。


「何を」



 沈黙。



 エルフ長は、静かに言った。


「お前達が置いていった、“予備の感情増幅アンカー”だ」



 野村部長の顔色が変わる。


「……は?」



 ノベェンタだけが、静かだった。


「……誰に」



 エルフ長は、少し迷い。


「砂漠の民だ」


「顔を隠した男だった。焼けた肌。長いマフラー。青い色のターバン」



 桐谷の言葉が、脳裏をよぎる。


 魂のカケラ。


 砂漠の民のリーダー。


 ノヴァン。



 アインの声が低くなる。


「……最悪です」



 佐伯が聞き返す。


「そんなに危ない物なんですか?」



 アインは静かに答えた。


「感情増幅アンカーは、“接続”を安定させる装置です」


「適性種が使用した場合——世界線位相そのものをシフト可能になります」



 沈黙。



 野村部長が、青ざめた。


「……いや待て待て待て」


「それもう会社商品のレベルじゃないだろ!!」



 ノベェンタは、静かに窓の外を見た。


 大月の海。


 黒い夜。



 その瞬間。


 チリンッ!!


 キノピーの鈴が、突然激しく鳴った。



 空気が凍る。



 リゼの表情が変わる。


「……来てます!」



 ノベェンタも、ゆっくり立ち上がった。


 灰色の瞳が、静かに細くなる。


「……はい」


「“向こう側の私”ですね」



 窓の外。


 研究棟駐車場。


 街灯の下。


 一人の男が立っていた。


 焼けた肌。


 青い色のターバン。


 口元を覆う長いマフラー。


挿絵(By みてみん)



 そして。


 ノベェンタと、よく似た灰色の瞳。


 男は静かに笑った。



「……見つけた」



 キノピーの鈴が、激しく鳴り続けていた。


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