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『境界断ちのノベェンタ』 〜観測整合維持局 第七補正執行室 野部遠汰の場合〜  作者: nobunobuwo


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第百四十三話 「“鈴の音”って宗教文化圏によってかなり意味違うんですけど、“ここに居ます”を空間へ伝える用途はわりと共通してるんですよね。人類、昔から“音で存在確認”してきた生物なので」


 午前六時四十二分。



 東央マテリアル。


 営業企画部。


 始業前。


 誰も居ないはずのフロア。


 なのに。


 何故か。



 リゼが、巨大バックパックを背負っていた。


「よし♡」


「着替え入れた♡」


「化粧品入れた♡」


「恋バナ用ノート入れた♡」



 佐伯が聞く。


「それ必要です?」



「旅って突然恋バナ始まるから必要♡」



「どういう理論ですか」



 その横。



 野村部長。


 なぜか。


 アウトドア用ベストを着ていた。


 大量ポケット。


 帽子。


 首掛けタオル。


 完全に、“海外市場調査に浮かれる中年男性”。


「いやぁ……久しぶりだなネパール!!」


「今回は視察じゃなくて買い付けだからな!!」



 アインが聞く。


「部長、何を買うんです?」



 部長。


 真顔。


「鈴だ」



 沈黙。



 佐伯。


「……鈴?」



「大量の鈴だ!!」



 ノベェンタ。


 静かに頷く。



「はい。今回の目的は、“存在固定媒体”の収集なので」



 エル。


 首を傾げる。


「存在固定……?」



 ノベェンタ。


 コーヒーを飲みながら続ける。


「人類、“音”で互いの存在確認してきた歴史かなり長いんですよ。鈴、鐘、拍子木、歌、足音、全部“そこに誰か居る”を共有する装置です。特に山岳文化圏、“視界より音”優先されるケース多い。霧、雪、崖で見失いやすいので。あとネパール仏教圏、鈴って“空間へ魂を定着させる”ニュアンス含む場合あるんですよね。“私はここに居る”“あなたを認識している”って意味です」



 キノピーだけが、静かに耳を動かしていた。



 ノベェンタは続ける。


「そしてネウロン問題って、本質的には“孤立観測暴走”なんですよ。“自分しか居ない”側へ寄り過ぎてる。だから必要なのは撃退より、“一緒に居る感覚”なんです。あと人類、完全無音空間長時間置かれると認知かなり不安定化するので、音って想像以上に精神固定へ関わってます」



 リゼが小さく呟く。


「……野部くん」



「はい」



「今回ちょっと真面目モード長くない?」



 ノベェンタ。


 少し考える。


「ヒマラヤ補正ですね」



「便利ワードみたいに使わないで!」



 その時だった。



 社宅側通路。


 カラン。


 小さい音。


 全員が振り向く。



 そこには。



 灰色キノピーがいた。


 卵を温め続けている、分身体。


 その腕の中。


 卵。


 ほんの少しだけ。


 光った。



 エルが息を呑む。


「……反応した」



 キノピー本体が、静かに言う。


「にゃ」


「鈴は、“帰る場所”の音にゃ」



 ノベェンタ。


 ゆっくり頷く。


「えぇ」


「だから今回は、“未来を救う買い物”です」




 数日後。


 ネパール。


 カトマンズ。


 雑踏。


 排気ガス。


 香辛料。


 祈祷旗。


 クラクション。


 そして。


 少しだけ薄い空気。


 懐かしい匂いだった。



 リゼが、深呼吸する。


「うわぁ……」


「空気ぐちゃぐちゃ…」



 ノベェンタ。


 頷く。


「都市文明と信仰文化と山岳共同体が全部重なってるので、かなり情報密度高いです。あとカトマンズ盆地、昔湖だった説かなり有力なので、“閉じた空間へ文明圧縮された都市”として独特なんですよ。匂い情報も強いので、人類わりと“鼻で異国認識”してる可能性あります」



 野村部長。


 既にテンションが高かった。


「見ろ野部くん!!」


「鈴屋だ!!」



 通り一面。


 鈴。


 鈴。


 鈴。


 金色。


 銀色。


 青銅。


 小さい物。


 巨大な物。


 音が。


 街中で揺れていた。



 部長。


 完全に目が輝いている。


「これは売れる!!」



 リゼが吹き出す。


「部長ほんとブレない…」



 その時だった。



「……ノベェンタお兄ちゃん?」



 全員が振り向く。



 そこにいた。


 ラミラ。


 少し背が伸びていた。


 だが。


 あの静かな瞳は変わらない。



「……ラミラさん」



 ラミラは笑った。


「覚えてた」



「はい。人類、“命助けられた相手”かなり長期記憶残りやすいので」



「そこ雑学になるの!?」


 リゼが即座に突っ込む。



 ラミラが笑う。


 本当に嬉しそうに。



 そして。



 小さい袋を差し出した。


 中には。


 二つの鈴。


 少し歪。


 手作り。


 でも。


 綺麗だった。



 ラミラは静かに言う。


「これはね」


「“私はここにいる”って意味」


 風が吹く。


 祈祷旗が揺れる。


「昔、おばあちゃんが言ってた」


「鈴は、“魂が迷子にならないようにする音”なんだって」


 ラミラは、少しだけ恥ずかしそうに続けた。


「あとね」


「ノベェンタお兄ちゃんが来てから」


「お母さん、またいっぱい名前呼んでくれるようになったの」



「前は、“そっち”とか、“あの子”とか多かったけど」


「最近、“ラミラ”ってちゃんと呼んでくれる」


 小さい笑顔。


「だから」


「ありがとう」



挿絵(By みてみん)



 ノベェンタ。


 ほんの少しだけ、目を細めた。



 ラミラは慌てたように続ける。


「あと!」


「お母さんが、“また来たら絶対ご飯食べさせなさい”って」


「ダルバート作って待ってるって言ってた!」



 リゼが笑う。


「うわぁ♡」


「いいお母さん♡」



 ラミラは、ちょっと誇らしそうだった。


「少し辛いけどね」


「じゃあ、お母さんのダルバート、みんなでたべよ!」



 風。



 香辛料の匂い。


 街の喧騒。



 ノベェンタは、静かに鈴を見た。


 チリン。


 小さい音。


 なのに。


 何故か。


 胸の奥へ、真っ直ぐ届いた。



 その時。



 キノピーが、

 


 静かに近づいてきた。


 ノベェンタ。


 しゃがみ込む。



 そして。



 鈴を、キノピーの首へ結んだ。


 紐は。


 東央マテリアル製。


 高耐久特殊繊維。


 世界を救う、営業企画部承認素材。



 チリン。



 音が鳴る。


 その瞬間。


 卵が、もう一度光った。



 エルが息を呑む。


「……同期率、上昇」



 ノベェンタ。


 静かに鈴を見る。


「人類、“私はここに居る”を誰かへ伝え続けて文明維持してきたので」


 灰色の瞳が、少しだけ優しかった。



「たぶん世界も、同じなんですよね」


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