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『境界断ちのノベェンタ』 〜観測整合維持局 第七補正執行室 野部遠汰の場合〜  作者: nobunobuwo


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第百三十六話「“昨日の自分”と“今の自分”ですら完全一致しないなら、人格とは最初から流動体なのかもしれませんね」


午後十時二十一分。



 東央マテリアル。


 営業企画部。


 残業終盤。


 窓の外。


 雨。


 静かな夜だった。


 蛍光灯。


 コピー機待機音。


 冷めたコーヒー。


 人は、ほとんど帰っている。



 会議室。


 そこだけ、少し暖かい灯りだった。


 机の上。


 天然石。


 麻紐。


 小さな工具。


 リゼの、夜間マクラメワークショップ。


 参加者。


 ノベェンタだけ。


「……いや人類、“編む”行為で精神安定しやすいので。籠編みとか刺繍とかも反復作業による軽度瞑想効果ありますし。あと古代文明、“紐”へ記録や祈りを持たせる文化かなり多いんですよね」


 するする。


 妙に器用。



 リゼは、少し笑う。


「野部くん、意外と向いてますねぇ♡」



 ノベェンタ。


 真顔。


「人類、“生存へ必要ない技術”ほど文明成熟度高いので」



「また急に文明論へ飛ぶぅ♡」



 外。


 雨音。


 しとしと。


 静かな時間だった。



 その時。


 バチッ。


 灰色雷光。


 ノベェンタの指先から、火花が走る。



 リゼ、止まる。


 最近、増えていた。


 長く喋るほど。


 感情が高ぶるほど。


 ノベェンタの周囲へ、現実ではない何かが滲む。


 数式。


 異世界文字。


 灰色粒子。



 まるで。


 “境界”そのものが、薄くなっているみたいに。



 そして。


 その夜。


 初めて。


 “割れた”。


 バチィッ——!!


 灰色閃光。


 空間歪曲。


 会議室の空気が、一瞬だけ粘つく。



「……え?」


 リゼ。


 目を見開く。



 ノベェンタ。


 二人居た。


 一人は、いつものノベェンタ。


 ワイシャツ。


 眼鏡。


 疲れた会社員。



 もう一人。


 粗末な麻服。


 革靴。


 小さなランタン。


 村人だった。


 しかも。


 若い。



 どこか、怯えている。


 村人ノベェンタは、周囲を見回す。


 そして。


 静かに理解した。


「あ……」


「ぼくの番なんだね……」


 声。


 小さい。


 寂しそうだった。



 リゼ。


 凍る。



 村人ノベェンタは、少し笑う。


「……そっか」


「はじまっちゃったんだ……」


 輪郭が、薄くなる。


 灰色粒子へ変わる。


 消えていく。



挿絵(By みてみん)



 ノベェンタ本人は、気づいていない。


 ただ。


 少しだけ、頭を押さえた。


「……あれ」


「今、一瞬かなり強い既視感ありました」



 リゼ。


 声が出ない。


 村人ノベェンタ。


 もう、半透明だった。


 最後。


 ノイズみたいな声だけが、微かに残る。


「……でもきっと……」


「未来が……」


 プツン。


 消えた。



 雨音だけが響く。



 リゼの指先が、震えていた。


 知っていた。


 この現象を。


 大学院時代。


 まだ若かった頃。


 研究室で、ノベェンタへ起きた異常現象。


 誰も居ない部屋から、複数人格反応。


 脳波不一致。


 観測毎に変化する精神位相。


 ありえない現象。



 だが。


 リゼだけは、ずっと薄々感じていた。


 ノベェンタの中には。


 “誰か”が居る。


 しかも一人じゃない。


 何百。


 いや。


 もっと。


 違う世界線。


 違う人生。


 違う生きを方をしていた、無数のノベェンタ。



 それらが。


 今のノベェンタへ、既に流れ込んでいる。


 そして最近。


 ノベェンタが、長いセリフを喋るたび。


 感情が高ぶるたび。


 現実へ、イメージが滲み出ていた。


 雷。


 数式。


 魔法陣。


 世界樹。



 つまり。


 境界が、薄くなっている。


 中の人格達が。


 “現実へ近づき始めている”。



 そして今。


 逆に。


 消えた。



 リゼは、理解してしまった。


「……人格の収束が始まってる……?」



 もしそうなら。


 最後に残るのは、誰なのか。


 いや。


 残った“それ”は、本当に今のノベェンタなのか。


 怖かった。



 ノベェンタは、何も知らないまま。


 コーヒーを飲んでいる。


「……? リゼさんどうしました?」



 リゼ。


 笑えなかった。




 深夜。


 社宅。


 ノベェンタの部屋。



 キノピー。


 窓辺。


 夜空を見ていた。


 そこへ。


 リゼが来る。


 静かな声。


「……キノピーちゃん」


「知ってたんですね」



 キノピー。


 ゆっくり振り返る。


 金色の瞳。


 その奥だけ。


 神話みたいに、古かった。



「にゃ」


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