第十三話 「人類は“教える側”になった瞬間、自分が何も理解していなかった事実へ突然気付きます」
午後六時二十三分。
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東央マテリアル本社工場。
外は雨だった。
春の終わり。
湿気を含んだ空気が工場地帯へ重く沈み、
巨大配管の隙間を抜ける蒸気が白く滲んでいる。
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営業企画部。
定時は過ぎていた。
だが当然のように、誰も帰っていない。
人類は、
「定時」
という概念を発明した後、それを守らない文化を形成した珍しい生物である。
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遠汰は缶コーヒーを開けながら呟いた。
「……なるほど。“新人教育期間”って、実際には教育される側より“教える側の認識崩壊”が発生しやすいんですよね。人間、自分が無意識で出来てることほど説明できないので。“なんとなく空気で理解してたルール”を言語化要求された瞬間、急に社会システムの曖昧さへ気付き始める。あと日本企業、“昔からこうだから”を仕様書代わりに使う傾向かなり強いです。ちなみにタコは瓶の開け方、一回覚えるとかなり長期記憶します」
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野村部長が半ギレで言った。
「ほんとタコ情報なんなんだよ……!」
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午後六時。
会議三連続。
役員修正二回。
電話十七件。
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もう魂が、半分くらい蒸発していた。
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その横で。
アインが静かにノートPCを見ている。
新人なのに、異様に仕事が速い。
速すぎる。
しかも。
“誰がどの言い方すると機嫌悪くならないか”
の学習速度が異常だった。
「野部先輩」
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「はい」
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「“一旦持ち帰ります”という発言ですが、実際には六割程度“今は決めたくない”を意味していますね」
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「かなり正確です」
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「“検討します”は?」
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「三割くらい断ってます」
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アインが頷く。
「興味深いです。人類、直接拒絶より“関係維持優先型曖昧表現”を多用しますね」
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遠汰は缶コーヒーを飲む。
「日本社会、“空気損傷コスト”高いので。あと会議って、実際には結論出す場より“誰がどこまで怒ってるか確認する場”になってるケース結構あります。ちなみにニホンザル、視線圧だけで上下関係調整するらしいです」
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野村部長が机へ突っ伏した。
「会議を猿社会で説明される会社つらい……」
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周囲社員たちは思っていた。
(なんかまた変な会話してる……)
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だが。
不思議と嫌な感じはしなかった。
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その時だった。
フロア奥。
「……え?」
小さな声。
営業企画部、新人女性社員——佐伯美咲。
今年入社。
まだ研修バッジも外れていない。
彼女が、固まっていた。
モニターを見たまま。
顔色が白い。
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「どうした?」
野村部長が近づく。
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佐伯は震える声で言った。
「……データ、消えました」
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空気が止まる。
「は?」
「マジ?」
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「来週提出の原価調整資料、全部……」
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「バックアップは!?」
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「……取って、ないです……」
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静寂。
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あまりにも、
“新入社員らしい絶望”
だった。
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野村部長が頭を抱える。
「胃が死ぬ胃が死ぬ胃が死ぬ!!」
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周囲がざわつく。
「三週間分だぞ……」
「役員会資料も入ってたよな……?」
「うわぁ……」
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佐伯の目に涙が浮かぶ。
「す、すみません……私……」
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その瞬間。
ピシ。
空気が軋んだ。
誰にも聞こえない。
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だが。
遠汰とアインだけは、同時に顔を上げた。
見えていた。
佐伯の背後。
薄い黒い亀裂。
そこから滲む、無数の囁き。
『失敗した』
『迷惑をかけた』
『社会に向いてない』
『もう終わりだ』
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現代型侵食。
暴力ではない。
“自分で自分を壊す方向”へ静かに誘導するタイプ。
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しかも。
会社という閉鎖環境と、最悪に相性が良い。
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アインが小さく呟く。
「……認識寄生型。《外側》が、“自己否定構造”へ接続しています」
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遠汰は小さく息を吐いた。
「最近ほんと現代社会への適応速度高いですね……」
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その瞬間。
佐伯のモニターが、一瞬だけ黒く染まった。
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画面の奥。
“目”が開く。
誰にも見えていない。
だが遠汰には見えた。
巨大な黒い“何か”。
人間の不安を覗き込み。
失敗を増幅し。
孤独へ沈める側の存在。
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『お前は不要だ』
『お前だけ失敗する』
『みんな迷惑している』
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佐伯の肩が震える。
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侵食が深い。
あと数分で、完全に“自分で自分を壊す側”へ落ちる。
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遠汰は静かに立ち上がった。
「……なるほど」
缶コーヒーを机へ置く。
「人類、“失敗=存在価値否定”へ直結しやすいんですよね。特に新入社員期って、“社会へ居場所あるか”を脳が常時判定してるので、小さいミスでも終末感覚えやすい。あと日本社会、“迷惑かける恐怖”かなり強めに教育される傾向あります。ちなみにオオカミ、群れから孤立するとストレス値かなり上がるらしいです」
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野村部長が叫ぶ。
「今その狼情報いる!?」
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その一瞬。
フロア全員の視線が、野村部長へ集まった。
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笑い。
ため息。
空気。
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その隙だった。
遠汰の右手が、机の下へ滑る。
誰にも見えない位置。
指先だけが、黒い境界へ触れる。
空気が、ほんの一瞬だけ冷えた。
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アインだけが気づく。
灰色の瞳が、静かに細まる。
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遠汰は小声で呟いた。
「——《境界断ち》」
音は無い。
光も無い。
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ただ。
佐伯の背後に絡みついていた、黒い“何か”だけが。
スッ——と。
切断された。
『———』
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一瞬だけ。
黒い“目”が歪む。
そして。
跡形もなく消えた。
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同時に。
佐伯の肩から、 力が抜ける。
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世界が戻る。
雨音。
キーボード音。
コピー機。
残業の空気。
現実。
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遠汰はそのまま、普通に佐伯のPCへ近づいた。
カタカタ。
高速タイピング。
「……あー、なるほど。自動同期ズレですね。クラウド側へ古い一時保存残ってます」
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「え?」
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「完全消失ではないです。あと人類、“全部終わった”と思った時ほど、実際にはまだ終わってないケース結構あります。脳って危機時、可能性より最悪側へ予測飛びやすいので。ちなみにハムスターもパニック時かなり視野狭くなるらしいです」
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佐伯もおもわず反射で突っ込む。
「なんで毎回小動物が添えられるんですか……」
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数秒後。
画面が戻る。
フォルダ復元。
資料一覧。
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「あ……」
佐伯の目が見開かれる。
「あ、ある……」
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フロア全体がざわつく。
「戻った!?」
「野部さん何した!?」
「すげぇ……」
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遠汰はコーヒーを飲む。
「一時保存拾っただけです」
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アインだけが静かに見ていた。
侵食消失。
認識安定率回復。
完全切断。
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佐伯は何度も頭を下げる。
「すみません……ありがとうございます……」
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その時。
遠汰は少しだけ真面目な声で言った。
「……まあ、人類って普通にミスしますからね」
フロアが少し静かになる。
「会社って、“失敗しない人”より、“失敗後まだ戻ってこれる人”の方が重要だったりするので。あと社会って、意外と“誰かが昔同じ失敗してる”パターン多いんですよ。だからマニュアルって、大体“先人類のやらかし記録集”なんです。ちなみに航空業界、安全マニュアルかなり“過去の地獄”積み重ねで出来てます」
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野村部長が遠い目をした。
「最後の航空業界で胃が重くなるんだよなぁ……」
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その瞬間。
佐伯が少し笑った。
本当に少しだけ。
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だが。
その笑顔で。
フロアの空気が、ちゃんと“現実側”へ戻った。
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アインが小さく呟く。
「……侵食率、消失」
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「はい」
遠汰は頷く。
「人類、“責められなかった”だけで戻る時あるので」
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アインは少し沈黙する。
そして。
「……非合理的です」
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「ええ」
遠汰は少し笑った。
「でも人類って、“許された記憶”で結構長く生き延びるんですよ」
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窓の外。
雨はまだ降っている。
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だが。
営業企画部の空気だけは、少し柔らかくなっていた。
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今日もなんだか、平和だった。
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「人類、“評価”とか“ブックマーク”って単なる数字だと思いがちなんですけど、実際には“読んだよ”とか“面白かったよ”とか“続きを見たいよ”を可視化したコミュニケーションなんですよね。昔の物語は王様とか貴族とかスポンサーが支えていたんですが、現代は読者が直接それを出来るようになった。かなり面白い文明進化です。あと創作者、人類が思うより単純なので、評価が一つ増えるだけで数日くらい元気になりますし、ブックマークが増えると『読んでる人いたんだ……』って静かに感動したりします。なので、もしこの物語が少しでもあなたの時間を面白く出来ていたなら、評価やブックマークを頂けると嬉しいです。知性体、“誰かに届いた”と分かると次の物語を書きたくなる生き物なんですよね」




