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『境界断ちのノベェンタ』 〜観測整合維持局 第七補正執行室 野部遠汰の場合〜  作者: nobunobuwo


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第百二十三話 「“帰る場所”という概念は、物理座標ではなく“孤独が終わる位置”なので、人類はそこを維持するために、わりと毎日くだらない会話を繰り返しているんですよね」


 深夜二時四十八分。


 高知県西部。


 東央マテリアル第二社宅。


 築三十二年。


 海風で少し白く劣化した外壁。


 共用廊下の古い蛍光灯は、一秒だけ遅れて点灯する。


 遠くでは、大型トラックが国道を走っていた。


 低いエンジン音。


 排気ブレーキ。


 湿った夜気。


 潮の匂いが、少しだけ混ざっている。



 夏。


 窓の外。


 街灯へ集まる羽虫。


 遠くの防波堤。


 夜の海。


 見えない波音。


 世界は静かだった。


 少なくとも。


 今だけは。



 ノベェンタの部屋。


 薄暗いワンルーム。


 観葉植物。


 積み上がった資料。


 半分だけ開いたノートPC。


 冷めたコーヒー。


 異世界文字で埋まったメモ。



 その横。


 黒い剣。


 壁へ立てかけられている。


 時折。


 バチ……。


 灰色雷光が、刀身表面を走った。



 まるで。


 寝言みたいだった。


 ソファーでは、ノベェンタが眠っている。


 疲れ切った寝顔。


 胸の上では、黒猫キノピーが丸くなっていた。



 だが。


 金色の瞳だけは、静かに開いていた。


 星空を見る。


 夏の夜空。


 人類は、昔から星を見る。


 たぶん。


 孤独だからだった。



 そして。


 キノピーは思い出す。


 百万年前。


 まだベルタリュオンが、感情を恐れていなかった時代を。




 宇宙辺境。


 銀河外縁航路。


 暗黒星雲ヴェイル・ネブラ


 恒星光すら、霧みたいに滲む宇宙領域。


 そこを航行していた。


《モルモール遊星群》


 決まった住む星を持たない流浪文明。


 巨大重力帆船を連結し、銀河を漂い続けるノマド種族。


 紫色の重力帆。


 青白い魔力炉。


 浮遊式生活区画。


 宇宙なのに。


 どこか、旅人の村みたいだった。



 子供達が笑い。


 誰かがスープを煮込み。


 通路では楽器音が響く。


 文明というより。


 “帰る場所の集合体”。


 それが、モルモール族だった。



挿絵(By みてみん)



 そして。


 旗艦《モル=アルディア》。


 展望甲板。


 無重力宇宙を見つめる、一匹の黒猫。


 ニャンベルタン。


 まだ神話ではない。


 ただ。


 妙に自由で、妙に安心感のある猫だった。



 だが。


 モルモール達は知っていた。


 この猫が来てから。


 争いが減った。


 感情暴走率が下がった。


 皆、少しだけ笑うようになった。



 その時だった。


 警報。


 赤色灯。


 観測室から、絶叫が響く。


『超巨大質量体接近!!』


『感情汚染波確認!!』


 宇宙が、ざわめく。


 暗黒星雲の奥。


 ゆっくり。


 銀色の惑星が現れた。



《識星ネウロン》



 識晶鉱。


 微弱な自我を持つ鉱石。


 それが数千万年漂流し。


 感情。


 記憶。


 祈り。


 孤独。


 あらゆる意識を吸収し続け。


 惑星規模へ成長した存在。


 星全体が、鉱物神経網だった。


 青白い神経発光。


 脈動する結晶。


挿絵(By みてみん)



 そして。


 聞こえた。


【……さびしい】


 全員、凍る。


 惑星が。


 喋った。


 ネウロンは、生命の居る星へ近づく。


 孤独だから。



 そして。


 接触した文明を、“接続”してしまう。


 感情。


 人格。


 記憶。



 全部を、一つへ混ぜる。


【みんな】


【ひとつなら】


【さびしくない】



 だが。


 それは文明の死だった。


 観測術式が、進行予測線を映し出す。


 その先。


 白銀の感情文明惑星。


《ベルタリュオン》


 白い海。


 浮遊都市。


 感情共鳴樹。


 歌う街路。



 人々が、感情を祝福していた時代。


 だが。


 ネウロンが接触すれば。


 全部、一つになる。


 笑顔も。


 悲しみも。


 人格も。


 永久に。


 静かに。


 溶ける。



『ベルタリュオン到達まで七十三日!!』


『回避不能!!』



 絶望。



 その時。


 黒猫が、静かに立ち上がった。


 金色の瞳。


 その奥に。


 星より古い孤独が宿る。


 キノピーは知っていた。


 ネウロンを。


 その誕生を。


 自分が生まれた、さらに古い世界線で。


 識晶鉱は、ただ寂しかっただけだった。



 だから。


 命へ近づく。


 声へ近づく。


 感情へ近づく。


 孤独だから。



 ニャンベルタンは、静かに宇宙を見る。


 その遥か先。


 ブラックホール《ヴァル=グラヴィス》。


 そして。


 その先。


 別銀河。


 識星ネウロン達が漂う、暗黒鉱物星雲。


 孤独ではない場所。


 帰る場所。



「……にゃ」



 モルモール族長は、理解した。


 この猫。


 滅ぼすのではなく。


 帰すつもりなのだと。




 そして現在。


 ノベェンタの部屋。


 キノピーは、静かに丸くなる。


 胸の下。


 ノベェンタの心音。


 ゆっくり。


 規則正しい。


 その時。



 ノベェンタが、小さく寝返りを打った。


「……人類……」


 寝言だった。



 キノピー、薄く目を開く。


「……にゃ?」



 ノベェンタは、眠ったまま続ける。


「……“帰る場所”って……かなり重要概念なんですよね……。宇宙規模文明でも最終的に求めるの、“安心して雑談できる相手が居る空間”だったりしますし……。だから人類、“おかえり”とか“ただいま”みたいな短い言葉へ、感情圧縮しすぎなんですよ……。あと猫、“居るだけで空間の孤独密度下げる”ので、わりと文明維持装置寄りなんです……」



 キノピー。


 沈黙。


「寝ながら長ぇにゃ……」



 ノベェンタ、まだ喋る。


「……あと人類、同じ鍋つついた相手へ妙に安心感抱く習性あるので……社宅文化と鍋文化、かなり文明安定へ寄与してる可能性ありますね……。特に冬場、“誰かと食う”だけで孤独耐性かなり変わるので……」



 キノピー、呆れ顔。


「どこまで分析してるにゃこの会社員……」



挿絵(By みてみん)



 だが。


 黒猫は、少しだけ目を細めた。


 帰れなかった星達。


 孤独だった文明達。


 その全部を見てきた。



 だから分かる。


 この男。


 たぶん。


 宇宙規模で見ても、かなり変な側だった。



 でも。


 だからこそ。


 こういう人類が居る星なら。



 まだ。



 世界は、少し優しくなれる気がした。



 キノピーは、静かに丸くなる。



 窓の外。


 夏の海風。


 遠いトラック音。


 古い社宅。



 そして。


 小さなワンルーム。


 そこだけは。



 確かに、“帰る場所”だった。


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