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『境界断ちのノベェンタ』 〜観測整合維持局 第七補正執行室 野部遠汰の場合〜  作者: nobunobuwo


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第百八話 「対話というものは、“答えを出す行為”ではなく、“相手が何を失いたくないか知る行為”なので、人類は静かな夜ほど本音へ近づきます」


 深夜零時十六分。



 東央マテリアル。


 地下第三層。


 特殊対策部。


 静かだった。


 かなり。


 換気扇。


 冷蔵庫。


 遠くの機械音。


 それだけ。



 佐伯達は、先に帰宅していた。



 野村部長も、珍しく空気を読んだ。


「今日はぁ……二人で話した方が良さそうだしねぇ」


 そう言って。


 自家焙煎コーヒーだけ置いて帰った。


 机の上。


 まだ少し温かい。


 浅煎り。


 果実っぽい香り。



 静かな夜だった。


 窓際。


 アインが立っていた。


 白銀外套。



 だが。


 いつもより、少しだけ弱く見える。



 ノベェンタは、静かにコーヒーを飲んだ。


「……帰還命令、正式確定ですか」



 アインは、小さく頷く。


「はい」


「猶予は、長くありません」



 コーヒーの湯気だけ、ゆっくり揺れていた。


 ノベェンタは、静かにアインを見る。


「本音は?」



 アイン。


 止まる。


 本音。


 その概念。


 昔の自分なら、不要だった。


 だが今は。


 分かってしまう。


 言葉にしない感情が、存在する事を。



 アインは、少しだけ目を伏せた。


「……分かりません」


 小さい声。


 珍しく曖昧だった。


「ベルタリュオンへ帰還すれば、生存率は上昇します」


「ですが」


「現在の私が維持される保証は無い」


 静かな声。


 でも。


 少し震えていた。


「地球へ残留すれば、“今の私”は維持できる可能性があります」


「ですがベルタリュオン文明との接続を失う」


「……それが正しい選択なのか、判断できません」



 ノベェンタは、静かに聞いていた。


 否定もしない。


 励ましもしない。


 ただ。


 聞く。



 アインは、少しだけ困ったように呟いた。


「最近、“戻りたい”という感覚が薄れているのです」



「以前の私は、“任務完了後に帰還する”だけでした」


「ですが現在」


「……ここを離れる想像をすると、胸部周波数が乱れます」



 ノベェンタは、静かに頷いた。


「ホームシックの逆ですね」



 アイン、少し止まる。


「……逆?」



「人類、“帰る場所”って出生地とは限らないので。長く居た場所、安心した場所、笑った場所。この辺、脳内で“帰属認識”へ変換される場合ある」



 アインは、静かに周囲を見る。


 コピー機。


 ソファ。


 雑多な資料。


 キノピー用クッション。


 佐伯が置きっぱなしにした菓子袋。



 騒がしい場所。


 非合理。


 だが。


 静かすぎない。


 それが今。


 少し安心する。



 アインは、小さく呟く。


「……異常です」



 ノベェンタは、少しだけ笑った。


「人類側基準だとかなり正常です」



 静かな夜。



 その時。


 アインは、ふと聞いた。


「……ノベェンタ」


「貴方は何故、“感情”をそこまで肯定できるのですか」



 ノベェンタは、少しだけ考える。


 そして。


 静かに答えた。


「多分、自分が“普通の一人分”じゃないからですね」



 アイン、止まる。


「……どういう意味ですか」



 ノベェンタは、窓の外を見た。


 夜景。


 遠い光。


 そして。


 静かに言った。


「自分、多分“単一人格”じゃないので」



 アイン。


 瞳が揺れる。



 ノベェンタは、静かに続けた。


「昔から、“知らない記憶”みたいな感覚あったんですよ」


「行った事ない景色を懐かしく感じる」


「知らない知識が、最初から頭にある」


「見た事ない世界を、“妄想”すると異常にリアル」


 静かな声。


 だが。


 重い。


「最初は単なる空想だと思ってました」


「でも外側案件へ関わり始めて、少しずつ分かってきた」


 ノベェンタは、静かに目を細める。


「多分、自分の中には“他世界線の人格情報”が大量に混ざってる」



 アイン。


 完全停止。


「……人格融合体?」



 ノベェンタは、小さく頷いた。


「転生、というより“多意識転移同時流入”ですね」


「本来なら分裂するはずだった人格群が、奇跡的に統一されて今の自分になってる」



 空気が、少し重くなる。



 アインは、理解し始めていた。


 だから。


 ノベェンタは異常だった。


 雑学量。


 適応力。


 共感力。


 妄想密度。


 認識耐性。



 全部。


 一人分ではない。



 ノベェンタは、静かに笑う。


「だから多分、自分の中、“異世界転生主人公”みたいな人格も普通に混ざってるんですよ」



 アイン、少しだけ困惑。


「……それを、恐ろしくは感じないのですか」



 ノベェンタは、少し考える。


 そして。


「昔は感じてました」


「でも今は、“自分の中に色んな誰かが居る”って、人類らしい気もするので」


 静かな声。


「人類、“完全な単独個体”じゃないんですよ」


「親の影響」


「友達の言葉」


「好きな作品」


「救われた記憶」


「憧れたキャラ」



「全部混ざって、“今の自分”になる」



 アイン。


 静かに聞いていた。



 ノベェンタは、少しだけ笑う。


「だから感情って、多分“他人を自分へ混ぜる力”なんですよ」



 アイン。


 胸部周波数。


 大きく揺れる。


 理解してしまった。


 自分が。


 佐伯の影響で変わった事を。


 対策部で変わった事を。


 ノベェンタの影響を受けている事を。



 つまり。


 “混ざり始めている”。



 アインは、小さく呟く。


「……だからベルタリュオンは、貴方を必要としていた」



 ノベェンタは、静かに頷いた。


「多分、“適合成功例”に見えたんでしょうね」


「でも実際は違う」


「自分は、“一人で完成した存在”じゃない」


「大量の他者影響を受け続けた結果、偶然まとまった人格なので」



 静かな夜。



 アインは、ゆっくり目を閉じた。


 ベルタリュオン文明。


 感情を削り。


 個を削り。


 安定を選んだ文明。


 だが。


 ノベェンタは逆だった。


 他者を混ぜ。


 感情を抱え。


 妄想を許し。



 結果。


 強くなった。



 アインは、静かに呟く。


「……理解不能です」



 だが。


 少しだけ。



 羨ましかった。



 その時。


 机の上。


 キノピー。


 寝言。


「にゃ〜……人格多くても、おやつは一人前にゃ〜……」



 そして。



 アインは、ほんの少しだけ笑った。


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