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『境界断ちのノベェンタ』 〜観測整合維持局 第七補正執行室 野部遠汰の場合〜  作者: nobunobuwo


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第百五話 「故郷を失った種族というものは、“何が間違いだったのか”を永遠に考え続けるので、ベルタリュオン人は地球へ“昔の自分達”を探しに来ています」


 東央マテリアル。


 地下第三層。


 午後七時二十八分。



 静かな残業時間。


 キーボード音。


 コーヒー。


 エアコン。


 そして。


 少し眠い空気。



 佐伯は、資料を閉じながら伸びをした。


「ん〜〜〜……」



 疲れた。


 かなり。



 その時。


 向かい側。



 アイン。


 白銀外套姿で、静かに端末を見ていた。


 以前より。


 どこか、柔らかい。



 佐伯は、少し迷ってから聞いた。


「……アイン先輩」


「ベルタリュオンって、どんな星なんですか?」



 アインの指が止まる。


 数秒。


 沈黙。


 そして。


「……静かな星です」


 その声は。


 少しだけ。


 遠かった。


「空は銀色です」


「恒星光が弱く、大気層で拡散反射するため、昼でも薄明状態が続く」


「都市は巨大です」


「重力制御技術によって垂直方向へ発展した」


「空中回廊」


「浮遊交通層」


「共鳴塔」


「全てが機能最適化されています」



 佐伯、静かに聞いている。



 アインは続けた。


「ベルタリュオン人は」


「身体維持を、個体だけで完結できません」


「波動周波数制御によって生体安定を行うため、都市全体で共鳴補助場を形成している」


「つまり」


「星そのものが、巨大生命維持装置へ近い」



 少し怖い。


 だが。


 どこか、悲しかった。



「昔は違いました」


 アインの瞳。


 遠くを見る。


「ベルタリュオンにも、感情文化は存在していた」


「家族」


「恋愛」


「音楽」


「祭り」


「芸術」


「雑談」


「ですが」


「長すぎた」


 白い指先。


 少しだけ、震える。


「ベルタリュオンは、地球より百倍近い歴史を持つ文明です」


「長い時間の中で、生存効率を優先し続けた」


「悲しみは判断遅延」


「恋愛は執着」


「遊びは資源浪費」


「雑談は非効率」


「そう定義されていった」



 佐伯は、少し眉を寄せる。


「でも」


「それって、生きてる感じしなくないですか?」



 アインは、静かに止まった。


 その言葉。


 昔の自分なら。


 理解不能だった。


 だが今は。


 少しだけ、分かる。


「……はい」


 小さく。


 答えた。


「だからベルタリュオンは」


「地球を観測し始めました」



 空気が、少し変わる。



「地球人類は不安定でした」


「非合理でした」


「感情的でした」


「なのに」


「滅びなかった」



 アインの瞳。


 少しだけ、熱を持つ。


「何故」


「あれほど傷つきながら」


「まだ笑えるのか」


「ベルタリュオンでは、理解不能だった」



 佐伯は、小さく息を呑む。


 そして。


「……他世界線って」


「本当にいっぱいあるんですか?」



 アインは、静かに頷いた。


「地球だけでも、無数に存在します」


「人類の意識は、常時観測分岐を発生させている」


「選択」


「感情」


「認識」


「妄想」


「願望」


「恐怖」


「それら全てが、世界線分岐要因になる」



 佐伯、停止。


「……えっ」


「じゃあ」


「私が“あの時こうしてたら”とか考えるやつ……」



 アインは、静かに頷いた。


「存在します」


「“別の選択をした佐伯美咲”も」


「“東央マテリアルへ入社しなかった佐伯美咲”も」


「“ノベェンタと出会わなかった世界線”も」


「全て実在する可能性があります」



 佐伯。


 少し怖くなる。


「……じゃあ今の私って」


「たまたま?」



 アインは、静かに首を横へ振った。


「違います」


「“選び続けた結果”です」



 その言葉。


 少しだけ、 救いみたいだった。



 アインは続ける。


「そして」


「ノベェンタは異常でした」


「通常人類より遥かに高い世界線接続性を持つ」


「概念受容能力」


「認識固定率」


「多重人格的整合性」


「複数世界線意識の統合安定化現象まで確認されている」



 佐伯、遠い目。


「やっぱ野部さん人類カテゴリじゃないですよね……」



「かなりノベェンタです」


 真顔だった。



 佐伯、少し笑う。


「で、」


「アイン先輩は、なんで地球へ来たんです?」



 アインは、少しだけ視線を落とした。


「私は」


「壊れにくかった」


「感情抑制率」


「観測安定性」


「世界線移動耐性」


「認識侵食抵抗値」


「全て高水準だった」



「つまり」


「感情へ飲み込まれないと判断された」



 佐伯は、静かに聞く。



 アインは続けた。


「ですが」


「失敗しました」


「完全に」



「……何が?」



 アインは、少しだけ迷った後。


 小さく呟いた。


「地球が」


「温かすぎた」



 アインは、静かに続ける。


「雑談」


「食事」


「笑い声」


「無意味な会話」


「心配」


「優しさ」


「それら全てが」


「ベルタリュオンには、もう残っていなかった」


「だから」


「私は」


 少しだけ。


 本当に少しだけ。


 寂しそうに笑った。


「地球側へ適応してしまった」



 佐伯は、何も言えなかった。



 その時。


 給湯室。


 ガチャ。


 野村部長。


 登場。


 両手。


 大量のパン。


「みんなぁ〜♡」


「新作の塩パン買ってきたよぉ〜♡」



 空気。


 一瞬で、いつもの対策部へ戻る。



 キノピー、机下から高速出現。


「にゃっ!? 炭水化物にゃっ!?」



「猫はパン食べません」



「心は食べるにゃ〜!!」



 佐伯、吹き出す。



 リゼも、静かに笑っていた。



 そして。


 アインも。


 小さく。


 本当に小さく。



 笑っていた。


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