第9話 隣に立つ人
朝、庭に出ると、ミレイが立っていた。
手には木剣。だが構えてはいない。
「もう一回、でしたね」
「……言ったな」
「言いましたよ。いつでも、って」
縁側にテオが座っている。
寝起きの顔で、目だけは開いている。
「父ちゃん、がんばれ」
「母ちゃんは応援しねえのか」
「母ちゃんは勝つから」
カイルは木剣を取った。
テオの言葉は、たぶん正しい。
「本気でいいんだな」
「本気でないなら、やりません」
ミレイは木剣を右手にぶら下げたままだ。
足だけが、少し開いている。
カイルは踏み込んだ。
一歩目で、ミレイがいなくなった。
いや、いる。半歩横にいる。
木剣は空を切った。
「速いだけですね」
「うるせえ」
二度目。
今度は読んで、横に振った。
ミレイは、振った木剣の内側に入ってきた。
肘が、カイルの手首を押す。
握りは、離さなかった。
「……今日は落とさねえ」
「ええ。覚えましたね」
カイルはそのまま木剣を返した。
ミレイが、初めて一歩下がる。
木剣の先が、前髪をかすめた。
「惜しかったです」
「惜しいで済ますな」
「父なら、取られてましたよ」
ミレイは、ぶら下げていた木剣を上げた。
初めて、構えた。
「本気で来てるんですね」
「言っただろ」
「じゃあ、わたしも」
三度目は、打ち合いになった。
木と木がぶつかる音が、庭に続く。
十合。二十合。
テオは縁側で、口を開けたまま見ている。
カイルの木剣が、ミレイの肩へ落ちた。
ミレイの木剣が、カイルの喉の前で止まった。
どちらも、止まっている。
肩まで、指一本。喉まで、指半分。
「……引き分けか」
「わたしの方が、一寸早かったです」
「一寸かよ」
「一寸です」
ミレイは木剣を下ろした。
カイルも下ろした。
息が上がっている。ミレイは上がっていない。
「母ちゃんのかち!」
テオが縁側で跳ねた。
「今のは引き分けだろ」
「母ちゃんのかち!」
「……はいはい」
カイルは額の汗を拭いた。
「お前、強くなってねえか」
「今が一番いいんです」
「子育ての合間に?」
「合間だから、いいんですよ。長くは振れないので、一回一回を大事にします」
「それだけか」
「それと、あなたに負けてから、肩の力が抜けました」
「負けて強くなるのかよ」
「負けたことがなかったんですもの。初めて、力の抜き方を覚えました」
ミレイは、少し嬉しそうだった。
「手、抜いてませんよね」
「抜いてねえ」
「抜いたら、分かりますからね」
「知ってる」
「最後まで構えなかったな」
「父に教わりました。剣は最後でいい、と」
「最後って何だ」
「抜かずに済むのが、一番いい剣だそうです」
カイルは、少しの間、黙った。
「……剣聖が言うと、重いな」
「あの人、一度も本気で抜いたことがないんですって」
「お前のために、俺に抜かせたくせに」
「それは、父の負けです」
ミレイは手を差し出した。
カイルはその手を取って、起き上がった。
「昔のお前なら、今ので何て言った」
「弱い男に興味はない、ですね」
「今は」
「今は、好きですよ。弱くても」
「弱くねえ」
「負けましたよ」
「一寸だろ」
ミレイは、ふふ、と笑った。
テオが縁側から降りてきた。
「父ちゃん」
「何だ」
「なんで魔法使わないの?魔法なら母ちゃんに勝てるのに」
カイルは、テオを見た。
五歳の目は、本気で聞いている。
「魔法は、一人で勝てる」
「うん」
「剣は、隣に誰かを立たせられる」
「……?」
テオは首をかしげた。
カイルは、言い方を変えた。
「魔法で全部燃やしたら、隣に誰もいられねえだろ。熱いから」
「うん」
「剣なら、隣に誰かいても大丈夫だ。一緒に戦える」
「……うん?」
「分かんなくていい。いつか分かる」
テオは納得していない顔で、庭の隅に走っていった。
ミレイが、カイルの隣に立った。
「その誰かには、ホムラも入ってますね」
カイルは、少し黙った。
「……ああ」
「わたしも入れてくださいね」
「お前は隣に立つより、前に出る方だろ」
「ふふ」
ミレイは否定しなかった。
「山、来るんですね」
「ひと月もねえ」
「火を、使うんですか」
「使わずに済ませる」
「済まなかったら」
カイルは、木剣の柄を握り直した。
ミレイは、答えを待たなかった。
「一人で使わないでくださいね」
「……誰に聞いた」
「セナさんです。グラントさんが、そう言ったって」
「筒抜けじゃねえか」
「帳場とうちは、昔からそうですよ」
カイルは頭をかいた。
この家では、隠し事ができたためしがない。
「父ちゃん!」
庭の隅から、テオが叫んだ。
右手を上げている。
指先に、小さな火が点いていた。
「おい!俺のいる時だけって――」
「いるじゃん!」
カイルは口を閉じた。
たしかに、いる。
「……消せ」
「はーい」
火が消えた。
ミレイが、横で笑いをこらえていた。
「あの子も、隣に立つつもりですよ」
「まだ小さい」
「いつか、ですね」
「……ああ。いつかだ」
朝日が、庭に入ってきた。
二本の木剣が、縁側に並んで立てかけてあった。




