第4話 全部、怯えてる
朝一番。第十三厩舎の前。
リオは、ちゃんと起きていた。
「起きてるじゃねえか」
「セナが起こした」
「だろうな」
カイルは黒い馬から降りた。
馬ではない。ナイトメアだ。
たてがみの先が、火のように赤く揺れている。
「クロ。待ってろ」
カイルが首を叩くと、ナイトメアは鼻を鳴らした。
厩舎の奥から、セナが大きな獣を引いてくる。
「はい、これ。はち」
灰色の馬に見えた。
ただし、足が八本ある。
「スレイプニルか」
「うちの厩舎で一番速いの。山道も平気よ」
「契約は?」
「してない。頼んだだけ」
リオがはちの首に手を置いた。
はちは目を細めた。それで話がついたらしい。
「名前、はちって」
「ユナがつけた。足が八本だから」
「分かりやすいな」
門のところで、ユナが手を振っていた。
リオは手を振り返した。
カイルも振った。ユナは、カイルには振り返さなかった。
*
北の街道を、二頭が並んで走る。
リオは、はちの背中で目を閉じていた。
「落ちるぞ」
「はちが落とさない」
「そういう問題か」
「そういう問題」
カイルはあきらめた。
昔からこうだった。
学園でも、いつも寝てたな。
「お前、まだ頭巾上げるのか」
リオは街道に出た時から、外套の頭巾を上げていた。
もう顔を隠す理由はないはずだ。
「癖だ」
「誰も見てねえぞ」
「見てなくても、癖は癖」
リオは目を閉じたまま答えた。
カイルは笑った。
「ユナ、俺には手を振らなかったな」
「パパを連れていく人だから」
「俺が悪いのか」
「ユナの中では」
「テオもな。昨日、母ちゃんの方が強いって顔してた」
「強いだろ」
「……言うな」
リオは目を閉じたまま、少し笑った。
昼前に、山が近くなった。
街道の脇を、何かが横切った。
「ホーンラビットだ」
リオが目を開けた。
角のある兎が、五匹、六匹と街道を渡っていく。
人間を見ても、止まらない。
「次」
リオが空を指した。
鳥の群れが、南へ流れていく。
「鳥まで降りてくるのか」
「降りてるんじゃない。逃げてる」
リオははちを止めた。
街道の先を、じっと見る。
また何かが渡った。今度は鹿だ。
「カイル。全部、怯えてる」
「怒ってるやつは」
「一匹もいない」
リオの声が低い。
カイルは腰の剣に、一度だけ手を置いた。
*
森の入口で、二人は降りた。
ここからは、獣を連れて歩く。
十歩も進まないうちに、リオが止まった。
「鉄の匂いがする」
「鉄?」
「罠だ」
リオは草をかき分けた。
地面に、鉄の罠が口を開けていた。
誰かの手で、丁寧に隠してある。
「狩人の罠だな」
「この国の狩人は、こんな場所に罠を置かない」
「じゃあ、どこの」
リオは答えなかった。
代わりに、顔を上げた。
「……鳴いてる」
カイルには聞こえない。
だがリオは、もう歩き出していた。
茂みの奥。
二つ目の罠が、何かを咥えていた。
フォレストウルフの仔だ。
後ろ足が挟まっている。灰色の毛が、血で黒くなっていた。
「ぐるる……」
仔狼が牙をむいた。
リオは、牙の届く所まで近づいて、座った。
「リオ」
「黙ってろ」
リオは何もしない。
仔狼を見ているだけだ。
仔狼も、リオを見ている。
「何してる」
「待ってる」
「何を」
「向こうが決めるのを」
「何を決めるんだ」
「俺が、敵かどうか」
カイルは口を閉じた。
長い時間に思えた。
仔狼の唸り声が、少しずつ小さくなった。
リオが右手を上げた。
指先から、細い光の糸が一本、伸びる。
「契約か」
「違う。話を聞くだけの糸だ」
糸が、仔狼の額に触れた。
仔狼の体から、力が抜けた。
「カイル。罠を開けろ。ゆっくり」
「ああ」
カイルは両手で罠をつかんだ。
鉄がきしむ。
本来は、道具を使って開ける罠だ。
それを、騎士団長は素手で開けた。
「相変わらず、化け物だな」
「褒めてるのか」
「褒めてる」
リオが仔狼の足を抜いた。
腰の袋から布を出して、手早く巻く。
「折れてない。噛まれただけだ」
「噛まれた?」
「罠は、噛むんだよ」
リオは仔狼を抱き上げた。
仔狼は、もう唸らなかった。
リオの手を、ぺろりと舐めた。
「こいつ、昨日の四十頭の仲間か」
「あれだけの群れなら、仔もいる。逃げる時に、置いていかれたんだろ」
リオは仔狼を地面に下ろした。
仔狼は、三本足で歩き出した。
一度だけ振り返って、東へ走っていく。
「母親が、東の森にいる」
「分かるのか」
「教えてもらった」
リオは立ち上がった。
その顔を見て、カイルは少し身構えた。
「リオ。何か落ちてる」
罠のそばに、折れた矢があった。
羽根が、赤と白。
この国の矢ではない。
「ルヴィナの矢だ」
リオが拾い上げた。
声が、さっきより低い。
「国境を越えてるのか」
「越えてる。罠も、矢も」
「山で何があったか、だいぶ見えてきたな」
リオは矢を袋に入れた。
それから、森の奥を見た。
「罠は、放っておけば仔が死ぬ。狩人は、仔が死んでも拾いに来ない」
「お前、怒ってるな」
「怒ってない」
「十五年前から、怒ってる時はそう言う」
リオは答えなかった。
はちの首を叩いて、歩き出す。
「上に行く」
「主のところか」
「主のところだ」
カイルはクロの手綱を取った。
たてがみの火が、少しだけ強くなった。




