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第3話 炎を出す剣技はありません

 家に着いたのは、月が高くなってからだった。

 王都の南。騎士団の宿舎から少し離れた、庭のある家だ。


 門を開けて、カイルは足を止めた。

 庭の隅に、小さな光があった。


 赤い光だ。

 揺れている。


「……テオ」


 光が消えた。

 五歳の息子が、暗がりで固まっている。

 右手を後ろに隠していた。


「父ちゃん。おかえり」

「今のは何だ」

「なんにも」

「手を出せ」


 テオは動かない。

 カイルは歩み寄って、その手を取った。

 指先が熱い。


「火を、出してたな」

「……ちょっとだけ」

「誰に習った」

「習ってない。勝手に出た」


 テオは顔を上げた。

 叱られる顔ではなく、少し得意そうな顔だった。


「騎士団の人が言ってたんだ。父ちゃんが、街道で、すごい火の壁を――」

「テオ」


 カイルの声が低くなった。

 テオの得意そうな顔が、消えた。


「火は、出したら戻らねえ。燃えたものは、元に戻らねえ」

「……うん」

「分かってねえだろ」

「……分かんない」


 正直なやつだ。

 カイルは息を吐いた。

 息子の手を、両手で包む。


「出すなとは言わねえ。俺のいる時に出せ」

「いいの?」

「俺がいない時は駄目だ。約束しろ」

「約束する」


 テオは大きくうなずいた。

 それから、小さな声で聞いた。


「父ちゃんも火、出すじゃん」

「出さねえ。あれは剣だ」

「剣が燃えてるだけ?」

「そうだ」

「ふうん」


 テオは納得していない顔で、家に入っていった。


 *


「おかえりなさい」


 台所で、ミレイが顔を上げた。

 やわらかい声だ。手には包丁がある。


「テオを見たか」

「見ました。庭でこそこそしてましたね」

「知ってたのか」

「毎晩ですよ」


 ミレイは包丁を置いて、茶を注いだ。

 カイルは鎧を脱いで、椅子に座る。


「明日から山、ですか」

「二泊だ。リオと行く」

「リオさんと二人で山、は久しぶりですね」

「半年ぶりだ。向こうが来いって言うからな」


 ミレイは向かいに座った。

 目元が笑っている。


「テオがね、今日、聞いてきたんです」

「何を」

「父ちゃんは母ちゃんより強いの、って」

「……なんて答えた」

「昔、一度だけ勝負して、父ちゃんが勝ったのよ、って」


 カイルは茶を吹きそうになった。


「一度だけ、は余計だ」

「一度しかしてませんから」

「もう一回やるか」

「いつでも」


 ミレイはにこにこしている。

 カイルは、それ以上言わなかった。


 ミレイは湯呑みを両手で持った。

 昔の話をする時の、この人の癖だ。


「わたし、同じ歳の子には負けたことがなかったんです」

「知ってる」

「だから、自分より強い男以外、愛せないと思ってました」

「言ってたな。毎日」

「父にも、弱い男はダメだとそう言われて育ちましたから」


 ミレイの父は、剣聖と呼ばれた男だ。

 先代の騎士団長でもある。

 負けたのは、生涯で二度だけだ。

 一度はカイルの師匠に。一度はカイルに。

 どちらも、今でも根に持っている。


「あなたが父に挑んだ日、わたし、見てたんですよ」

「ああ。見てた」

「ぼろぼろでしたね」

「……なんとか勝っただろ。まあ、あれはほとんどマグレだったけどな」

「マグレでも、あなたは剣だけで勝ちました」

「十回やれば九回は負けてた。たまたま、最初の一回を引いただけだ」

「その一回を、わたしは見たんです」


 ミレイは少し笑った。


「だから、わたしも挑んだんです。悔しくて」

「お前、剣を折りに来ただろ」

「折るつもりでした」

「折れなかったけどな。そのまま俺が勝った」

「ええ。生まれて初めて、負けました」

「あの時のお前の顔、忘れねえよ」

「忘れてください」


 ミレイは湯呑みを置いた。


「それで、父が言ったんです。娘が欲しければ、もう一度わしに勝て、って」

「言ったな」

「あなた、二度目は魔法を使いましたよね」


 カイルは黙った。

 ミレイは待った。


「……あれは剣技だ」

「炎を出す剣技はありません」

「あるんだよ」

「父は三日、起き上がれませんでした」

「手加減した」

「してませんよ」


 してなかった。

 あの日のカイルは、剣も魔法も、持っているものを全部出した。

 何がなんでも、ミレイが欲しかったからだ。


 ミレイは声を立てて笑った。

 それから、少しだけ声を落とした。


「わたし、あの日、思ったんです」

「何を」

「この人、なりふり構わないんだな、って」


 カイルは茶を飲んだ。

 湯呑みの底を、見ていた。


「だから、好きになりました」

「……そうか」

「それだけですよ」


 ミレイは立ち上がって、台所に戻った。

 背中を向けたまま言う。


「テオの火、どうします」

「俺のいる時だけ出せ、って言った」

「知ってて怒ったんですか」

「怒らねえと、覚えねえ」

「そうですね」


 包丁の音がした。


「わたしは剣を教えます。火は、あなたが教えてください」

「俺は剣だ」

「知ってます。剣技の人ですものね」

「……分かった。危ねえから、俺が教える」

「はい」


 ミレイは背中を向けたまま、うなずいた。

 最初からそう言わせるつもりだったのだ。


「明日、朝一番で出る」

「起こしますね」

「自分で起きる」

「リオさんは?」

「今はセナがいる。あっちが起こしてくれるさ」

「そうでした」


 ミレイは包丁を置いて、笑った。

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