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第2話 山が、動いてる

「北の街道だ。フォレストウルフが四十頭、南へ走ってきた」


 カイルは椅子に座らずに言った。

 鎧のままだ。座ると音がうるさい。


「倒したの?」


 リオが聞いた。

 目はまだ半分しか開いていない。


「倒してねえよ。追い返した」

「どうやって」

「炎の壁だ」


 セナが帳面から顔を上げた。


「森は?」

「焦げたのは道だけだ。ちゃんと手加減した」

「ならいいわ」


 セナはまた帳面に目を戻した。

 リオは机に肘をついている。


「で、あいつら、逃げてたんだな」

「ああ。牙も見せなかった。耳を後ろに倒してた」

「……そうか」


 リオの目が、開いた。

 半分ではなく、全部。


 カイルはその顔を知っている。

 学園のころ、厩舎の前でだけ見せた顔だ。


「セナ。今月の分、出して」

「もう出してる」


 セナは帳面を机の真ん中に置いた。

 指で三か所を押さえる。


「東の村。ホーンラビットが畑に二十匹。先週」

「北の猟師から。ロックベアが川を渡って南へ。十日前」

「うちの厩舎。仔のジャイアントボアが一頭、道で拾われた。三日前」


 セナは指を離した。


「三件とも、北から南。それに今日の四十頭」

「山が、動いてる」


 リオがつぶやいた。

 カイルは腕を組んだ。


「動くって、どういうことだ」

「山には順番がある。一番強いのが上にいて、あとはその下」

「で?」

「上に何かあると、下のやつらは怖がる。それで降りてくる」


 リオは机の上で、指を上から下へ動かした。


「上ってのは、山の主か」

「たぶん。会ってみないと分からない」


「北の山で、何かあったんだな」

「何か、じゃ困るのよ」


 セナが帳面を閉じる。


「依頼の中身を言って。お金をもらう以上、何をするか決めないと」

「山で何があったか、調べてほしい。それが王城の頼みだ」

「騎士団は山に入れないの?」

「入れる。けど、獣の言葉が分からねえ」


 カイルは頬をかいた。


「調べるなら、聞ける人間が要る」

「聞けるのは、うちの人だけね」


 セナがリオを見た。

 リオは天井を見ていた。


「行く」

「行くなら帳面つけてよ。前は白紙で帰ってきたんだから」

「覚えてるから、いい」

「覚えてるのはあなただけでしょ」


 リオは答えなかった。

 答えないのは、負けた時だ。


「で、お金だけど」


 セナが算盤を引き寄せた。

 カイルが少し身構える。


「山、二泊。獣の聞き取り。報告書つき。……これね」


 セナは算盤をカイルに向けた。

 カイルは目を細めた。


「相変わらず高えな」

「相変わらず払ってるじゃない」

「王城の金だ」

「なら文句ないでしょ」


 セナは算盤を片付けた。

 それから、カイルの鎧を上から下まで見た。


「また裏口?」

「表は遠い」

「隣の扉でしょ」

「鎧が重い」

「毎回それね」


 カイルは黙った。

 毎回それだった。


 その時、扉が開いた。

 小さな音だった。


 栗色の髪の女の子が、顔だけ出した。

 目が眠そうだ。父親と同じ形をしている。


「パパ、また寝てた?」


 最初の言葉がそれだった。

 カイルは吹き出した。

 セナはため息をついた。


「寝てたわよ。今は起きてる」

「起きてる。ずっと起きてた」


 リオが言った。

 娘は信じていない顔で入ってきた。

 腕に、白い毛玉を抱いている。コットンバードのひなだ。


「だんちょうおじちゃんだ」

「おじちゃんじゃねえ。団長だ」

「だんちょう、おじちゃん」


 ユナはそれで納得したらしい。

 リオの膝によじ登った。

 リオは何も言わずに、片手で背中を支える。


「パパ、お山いくの?」

「うん」

「いつ?」

「明日」

「帰ってくる?」

「帰ってくる」


 ユナは腕の中の毛玉を持ち上げた。


「この子も、お山いく?」

「いかない」

「なんで?」

「まだ小さい」

「ユナも?」

「ユナも」


 ユナは少し考えて、うなずいた。

 それからリオの胸に頭をつけた。

 リオの手が、娘の頭に乗る。


 カイルは腕を組んだまま、それを見ていた。


 学園のころ、リオの帰りを待つ人はいなかった。

 宿の女将が、スープを温めていただけだ。


 今は、こんな顔で待つやつがいる。


「カイル」


 リオが呼んだ。

 娘の頭に手を乗せたままだ。


「明日、朝一番で出る。お前も来い」

「俺は騎士団長だぞ」

「知ってる。だから来い」

「理由になってねえ」

「なってる。王城の頼みなんだろ」


 カイルは黙った。

 セナが横で、小さく笑った。


「だんちょうおじちゃん」


 ユナが顔を上げた。


「パパのこと、ちゃんと起こしてね」

「……ああ。任せろ」


 カイルは、それだけは自信があった。

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