第15話 ――燃やせ
朝。北の森の入口。
騎士団は、百二十人になっていた。
王都の守りを削って、集められるだけ集めた。
「ピノ。お前は後ろだ」
「腕は一本ありますよ」
「後ろだ」
「……はい」
ピノは吊った腕のまま、後列へ下がった。
ボルドが、鉄の棒を肩に担いで前に出る。
「団長。今日も、殺すなって言うのか」
「言う。だが、危なかったらやれ。それも変わらねえ」
「……覚えておく」
「団長。国境の斥候が戻りました」
ヨルが、馬を寄せてきた。
顔色が悪い。
「言え」
「主は、三日前にドミニクの館を壊して出ました。館は全壊。麓の街も、半分が潰れたそうです」
「……輪は」
「嵌まったままです。暴れながら、山へ戻ろうとして北から来た。ここで人の気配を感じて、向きを変えたと」
「群れは」
「主に付いているんじゃない。主から逃げてるんです。逃げ道が、こっち側しかない」
カイルは、北を見た。
怒り狂った主が、山の獣を全部、こちらへ押し出してくる。
そういうことだった。
列の一番後ろに、テッサがいた。
石の人形と一緒に、道具袋を抱えている。
「テッサ!下がれって言っただろ!」
「輪を外す時は呼べって言ったじゃん!呼ばれなくても来る!」
「だからって前に――」
「後ろだよ!これでも後ろ!」
カイルは、それ以上言わなかった。
言っている時間がなかった。
地面が、揺れ始めた。
*
最初に来たのは、音だった。
木が折れる音。
一本ではない。何本も、続けて。
森の奥で、何かが木をなぎ倒しながら来ている。
次に、吠え声。
腹に響く。盾が、びりびりと鳴った。
「来るぞ!!」
森の入口の木が、根ごと倒れた。
その向こうから、主が出てきた。
グレートベア。
家が歩いてくるようだった。
灰色の毛。岩のような肩。前足の爪は、人の腕ほどある。
その頭に、黒い金属の輪が食い込んでいる。
輪の下の毛が、擦れて血が滲んでいた。
目が、何も見ていない。
口から、泡が垂れている。
吠え続けている。息を吸う間も、吠えている。
「……壊れてる」
カイルは、小さく言った。
主の後ろに、山があった。
山が動いている。
狼、鹿、猪、熊。種類が分からないものもいる。
千では、足りない。
全部、主から逃げていた。逃げる先が、ここしかない。
「盾、前!!」
カイルは剣を抜いた。
地面を、横に大きく振る。
炎の壁が立った。
これまでで、一番高い。一番広い。
街道の端から端まで、木の高さまで。
熱で、後ろの盾が歪んだ。
主は、止まらなかった。
炎の中に、そのまま入ってきた。
毛が燃える。焦げた臭いが、風に乗って来る。
構わず歩く。痛みを、感じていない。
「……駄目か」
主が炎を抜けた。
燃えたまま、吠えた。
後ろの群れが、主の開けた穴に続く。
カイルは炎を消した。
消さなければ、群れが炎の中で焼け死ぬ。
「団長!炎を!!」
「もう効かねえ!!棒で止めろ!横に流せ!!」
カイルは、主の前に立った。
*
主の前足が、落ちてきた。
避けた。
足のあった場所の石畳が、割れた。
破片が、頬を切った。
カイルは低くくぐり、剣の腹を輪に叩きつけた。
金属が鳴った。
腕が、肩まで痺れた。
輪は、割れなかった。
試作品とは違う。厚い。
「ホムラ!輪だ!!」
刃が、赤くなった。
だが、弱い。
輪に当てても、金属が少し黒くなるだけだ。
主が、首を振った。
それだけで、カイルは吹き飛んだ。
街道を転がる。
二度、三度。盾の列の手前で、ようやく止まった。
「団長!!」
「平気だ!!」
平気ではなかった。
口の中に、血の味がした。
立ち上がる時、膝が笑った。
主が、もう来ている。
*
一刻。
盾が一枚、砕けた。
騎士が三人、まとめて転がった。
猪が、その穴から抜けた。
「穴を塞げ!!棒で押せ!!」
ボルドの声が、嗄れている。
カイルは、主の前にいた。
主を、群れから引き離すために。
主が前に出れば、群れが続く。主が止まれば、群れも止まる。
だから、主を止め続けた。
前足。避ける。
牙。剣の腹で逸らす。
肩。避けきれず、横に飛ぶ。
二刻。
盾の列が、半分になった。
倒れた者は、三十を超えた。
街道の石畳は、もう見えない。獣の足跡と、血と、折れた棒で埋まっている。
主の爪が、カイルの鎧を裂いた。
左の脇腹。
鎧ごと、肉が持っていかれた。
「……っ」
声は出さなかった。
出す息が、惜しかった。
三刻。
腕が、上がらなくなっていた。
剣を、両手で持っている。
片手では、持てない。
主は、まだ吠えている。
輪の下の血が、首まで流れている。
主も、削れている。だが、止まらない。
止まる、という機能を、輪が奪っている。
「ホムラ。まだ行けるか」
刃の赤が、薄い。
朝は火のようだった色が、今は夕日の色だ。
精霊が、疲れている。
「……悪い。もう少しだ」
主が、また前に出た。
カイルは、また前に出た。
前足が、来た。
かわしきれなかった。
体が、また飛んだ。
今度は、盾の列まで転がった。
主は追ってこない。
群れに向かって、吠えている。
「団長!!」
ボルドだった。
倒れたカイルの腕をつかんで、引き起こす。
鉄の棒が、半分に折れている。
「もう無理だ!四十人倒れた!殺せ!!」
「まだだ!!」
「十三人どころじゃねえぞ!!このままだと、全員だ!!」
「分かってる!!」
「王との約束だろ!本当に無理な時は、やるって!今がそれだ!!」
カイルは、ボルドの腕を借りて立った。
立つのに、それが要った。
「……まだだ。無理な時は、俺が決める」
「団長!!」
「盾を頼む、ボルド。俺は、戻る」
ボルドは、歯を食いしばった。
それから、折れた棒を捨てて、盾の列へ走った。
ヨルが、横に来た。
何も言わない。
ただ、横にいる。
「ヨル」
「はい」
「まだだよな」
「……団長が、まだと言うなら」
それだけ言って、ヨルも戻った。
*
――燃やせ。
声が、頭の中で鳴った。
初めてだった。
鞘の熱でも、刃の色でもない。言葉だった。
「……ホムラ」
――燃やせ。全部。終わる。
「お前が飲まれる」
――構わない。魔力をくれ。
刃が、震えた。
疲れている。なのに、うずうずしている。
――くれれば、戻る。もっと燃える。全部燃える。
「くれてやったら、お前が飲まれる」
――それでも、燃える。
「俺が構う」
――カイル。
名前を、呼ばれた。
十五年で、初めてだった。
――燃やすなら、今だ。
「……」
主が、吠えた。
群れが、吠えた。
盾の列が、また一枚、減った。
カイルは、剣を握り直した。
両手で。
腕が、上がらない。
上げた。
主が、来る。
その時、風が変わった。
北からの、獣の匂いと土の匂い。
その中に、違う匂いが混じった。
水の匂いだった。
「……遅くなった」
後ろから、声がした。
眠そうな声だった。
カイルは、振り向かなかった。
振り向く力が、残っていなかった。
「……遅えよ、リオ」




