第13話 魔法なしだと全然勝てねえ
朝の庭に、知らない男が座っていた。
縁側に、だらしなく腰かけている。
欠伸をしている。
「……師匠」
「よう」
ガルドだった。
六十は過ぎているはずだ。だが見た目は、半年前に来た時と何も変わらない。
飾り気のない上着。眠そうな目。往来ですれ違えば、十人が十人、覚えていない顔。
かつて、この国の誰より強かった男だ。
今は引退して、どこにいるのか誰も知らない。
「いつ来たんですか」
「さっき。奥さんが茶を出してくれた」
「……勝手に上がらないでください」
「気が向いたんだよ」
ミレイが台所から顔を出した。
少し、目が丸い。
「あなた。この方、本当にガルドさんなんですか」
「本物だ。残念ながら」
「父から、話だけは」
ガルドは、ミレイを見た。
欠伸をしかけて、止めた。
「剣聖の娘か」
「はい」
「……親父さんは、元気か」
「根に持ってます」
「だろうな」
ガルドは、また欠伸をした。
「で、カイル。お前、山がどうとか言ってるそうじゃねえか」
「誰に聞いたんですか」
「風の噂だ」
「師匠の風の噂は、たいてい帳場ですよね」
「気のせいだ」
「前に来た時も、帳場で聞いたって言ってましたよ」
「半年前の話を覚えてるな」
ガルドは縁側から降りた。
木剣を、一本拾う。
「ちょっと振れ。様子を見てやる」
「……朝から、ですか」
「朝だから、だ。夜は寝る」
*
テオが縁側に座った。
隣にミレイが座った。
観客が二人になった。
「本気でいいですか」
「魔法なしでな」
「……分かってます」
カイルは踏み込んだ。
ガルドは、動かなかった。
木剣を、少し傾けただけだ。
カイルの木剣が、その上を滑った。
「速いな」
「うるせえ、って言いたいとこですが」
「言えよ」
「うるせえ」
二合目。
カイルは、ミレイにやったのと同じ間合いの詰め方をした。
ガルドが、半歩だけずれた。
カイルの足が、ガルドの足に引っかかった。
転んだ。
「母ちゃんと同じやつだ!」
テオが叫んだ。
ガルドは、テオを見た。
「坊主。母ちゃんの方が上手い」
「ほんと?」
「ほんとだ。俺のは雑だ」
カイルは起き上がった。
三合目は、長かった。
十合。二十合。三十合。
ガルドは、一度も攻めない。
カイルの剣を、全部ずらす。
押せば流れ、引けば付いてくる。
四十合目で、カイルの木剣が手を離れた。
「……はあ」
カイルは、地面に座った。
ガルドは、息も乱れていない。
「魔法なしだと、全然勝てねえ」
「知ってる」
「十五年、剣だけ振ってるんですけど」
「知ってる。だから、十五年前より全然いい」
「勝てないじゃないですか」
「俺に勝つ必要はねえだろ」
ガルドは木剣を縁側に立てかけた。
「お前の剣は、人を崩す剣じゃねえ。止める剣だ。獣も、人も」
「……はい」
「俺のは崩す剣だ。獣は専門外」
「それ、昔も言ってましたね」
「昔から変わってねえからな」
ガルドは欠伸をした。
「で、山だ。お前、火を使うのか」
「……使わずに済ませます」
「済まなかったら」
「師匠まで、それ聞くんですか」
「みんな聞いてるのか」
「みんな聞いてます」
ガルドは、少し笑った。
「なら俺は聞かねえ。お前が決めろ」
「……はい」
「一つだけ。剣を捨てるな」
「捨てません」
「火を使う時もだ。剣を握ったまま使え」
カイルは、ガルドを見た。
ガルドは、もう空を見ていた。
「どういう意味ですか」
「分からねえなら、いい。分かる時が来たら分かる」
*
「奥さん」
帰り際、ガルドがミレイに言った。
「一本、いいか」
「……わたしとですか」
「剣聖の娘がどれくらいか、見ておきてえ」
ミレイは、エプロンを外した。
木剣を取った。
カイルは縁側に座った。
テオが隣に来た。
「父ちゃん。母ちゃん勝てる?」
「……分からん」
一合だった。
ミレイが踏み込んだ。
ガルドが、ずれた。
ミレイの木剣が、ずれた先を追った。
ガルドの肩に、止まった。
「……ほう」
ガルドが、初めて目を開いた。
眠そうな目が、少しだけ大きくなった。
「親父より、速え」
「父は、肩の力が抜けてませんから」
「なるほどな」
ガルドは木剣を置いた。
「カイル。お前、いい嫁もらったな」
「知ってます」
「俺から初見で一本取ったのは、お前が初めてだ」
「……それは、知りませんでした」
ミレイは、何も言わずに笑った。
少し、嬉しそうだった。
「じゃあな。気が向いたら、また来る」
「気が向かなくても来てください」
「それは無理だ」
ガルドは門を出ていった。
どこへ行くのか、やはり誰も知らない。
「父ちゃん」
「何だ」
「あの人、誰?」
「……俺の師匠だ」
「母ちゃんに負けてた」
「一合だけな」
テオは納得した顔をした。
カイルは、少しだけ納得できなかった。




