第12話 あなたは、止められる人です
帳場の机に、二つに割れた輪が置かれていた。
「で、これを見せたい相手って」
「もう来てる」
セナが帳面を閉じた。
階段を上る足音がした。軽くて、速い。
扉が開くより先に、声が入ってきた。
「輪!輪はどこ!?カイル、それ!?分解していい!?」
入ってきたのは、小柄な女だった。
作業着に、腰の道具袋。眼鏡を額に上げている。
後ろから、犬ほどの大きさの石の人形が、のそのそついてきた。
テッサ。
学園のころからの友人で、魔道具の職人だ。
子供のころから何でも分解する癖があって、三十を過ぎても直っていない。
今は王都で工房を持ち、窓口の道具を一手に見ている。
石の人形は、相棒のゴーレムだ。掘る、運ぶ。名前はドドという。
「テッサ。まず座れ」
「座る座る。で、分解していい?」
「見てからだ」
「十五年前から、カイルはそれ言うよね」
「お前が十五年前から、分解していいって言うからだ」
テッサは座らなかった。
机の前に立って、割れた輪を両手で持ち上げた。
それから、黙った。
長く黙った。
カイルが知っている限り、この人が黙るのは珍しい。
「……これ、人の手だね」
テッサが、低い声で言った。
「人の手って」
「魔道具はね、魔力の流れを道具に刻むの。いい道具は、流れが綺麗。水みたいに」
テッサは輪の割れ目を指でなぞった。
「これは、流れがぐちゃぐちゃ。力ずくで押さえつけてる。獣の中身を、無理やり」
「……糸じゃないのか」
「糸の真似。でも糸じゃない。糸は相手に聞くでしょ。これは聞かない。黙らせるだけ」
テッサは輪を置いた。
「この輪、小さいよね。試作品だと思う。熊に付けて試したんだ」
「試して、どうなった」
「黙らせられた側は、頭の中がおかしくなる。怖いも嫌いも感じなくなって、ただ動くだけ」
カイルは、あの熊の目を思い出した。
怯えていない。何も見ていない目。
テッサは見ていないのに、言い当てていた。
「本物は、もっと大きい。主の頭に嵌めるやつ」
「ああ」
「この試作品でこれなら、本物はもっとひどい。壊れるよ、つけられた子」
テッサは、主のことを「子」と言った。
会ったこともないのに。
「壊れるって、どうなる」
「分かんない。でも、黙らせ続けたら、中身が壊れる。壊れた中身で、体だけ動く」
帳場が静かになった。
石の人形だけが、床をこすっていた。
「……リオは」
カイルは、そこで気づいた。
リオがいない。
今日は、机に突っ伏してすらいない。
「セナ。リオはどこだ」
セナは、帳面を見ていた。
顔を上げなかった。
「池に行った」
「……池?」
「昔、あの人がいた場所。それ以上は、聞かないで」
カイルは、セナの顔を見た。
怒ってはいない。でも、口を結んでいる。
「一人で行くなって、言ったんだ」
「一人じゃないわ。はちと行った」
「それ一人だろ」
「あの人の『話を通す』は、終わってから通すのよ。昔から」
セナは、ようやく顔を上げた。
「帰ってくる。ユナに約束したもの」
「……」
「ちゃんと、話は通しに来るわ。全部終わってから」
カイルは何も言えなかった。
テッサが、横で小さく言った。
「リオらしいね」
「らしくねえよ!」
「らしいよ。昔からそう」
テッサは、石の人形の頭を撫でた。
「ねえカイル。本物の輪、外す時は呼んで。あたしじゃないと、頭ごと壊すよ」
「……ああ」
「あと、割れた方。これ、もらっていい?」
「持ってけ」
テッサは輪をつかんで、道具袋に入れた。
石の人形が、嬉しそうに床を叩いた。
*
家に着いた時、月はもう高かった。
「おかえりなさい」
ミレイは起きていた。
テオは、もう寝ている。
「遅かったですね」
「ピノが腕を折った」
「……そうですか」
「死んだやつは、いない」
「はい」
ミレイは茶を入れた。
カイルは、鎧を脱がずに座った。
「百で、あれだ」
「ええ」
「十日後に、千を超える」
「ええ」
「剣じゃ、足りねえ」
ミレイは茶を注ぎ足した。
カイルが言うのを待っていた。
「……全開で撃つかもしれねえ」
「はい」
「ホムラが、飲まれる」
「はい」
「森が燃えて、たぶん、俺も止まらねえ」
カイルは、茶を見ていた。
ミレイは、カイルを見ていた。
「あなた」
「何だ」
「あの時のこと、覚えてますか」
「どの時だ」
「父に、二度目に挑んだ時」
カイルは顔を上げた。
「あなたは、全部出しました。剣も、魔法も」
「……ああ」
「それでも、父を殺しませんでした」
「……」
「三日寝込んだだけです。殺せたのに、殺さなかった」
ミレイは、湯呑みを置いた。
「あなたは、止められる人です」
「……あの時と、今は違う」
「違いません。なりふり構わなくても、最後の一線は止める。わたしはそれを見て、好きになったんですから」
カイルは、答えられなかった。
ミレイは、それ以上言わなかった。
「寝てください。明日も稽古です」
「明日もかよ」
「今が一番いいんです。あなたを転がせるのは今だけ」
「……転がしてねえだろ。一寸だ」
「一寸です」
ミレイは笑った。
カイルは、ようやく鎧を脱いだ。




