第九話 鶴
今々、あるところに。
数台のモニターを眺める老婆がおりました。
そして、その老婆の前には――。
若く、美しい女性が立っていました。
艶やかな黒髪。
整った顔立ち。
凛とした佇まい。
大和撫子という言葉がよく似合う美女です。
女性は、老婆へ話しかけました。
「竹婆様。その……SNSで宝具の動画が流出しております」
「そうじゃのぉ……」
竹婆と呼ばれた老婆は、モニターを眺めながら答えました。
「千鶴。回収してきてくれんか」
「はい。分かりました」
女性は小さく頭を下げます。
そして、部屋を出ていきました。
◇
向かった先は、キッチンです。
千鶴はコップに水を注ぎ、一気に飲み干しました。
「……よし」
コップを置きます。
「行きますか」
水を飲んで、気合が入ったようです。
女性の名前は――江藤千鶴。
竹婆と呼ばれる老婆の護衛兼、世話係をしています。
千鶴は玄関へ――。
向かいませんでした。
ベランダへ向かいます。
「…………」
窓を開けました。
そこから見える景色は、実に見事なものでした。
地面は、遥か下。
高さは数百メートル。
そう。
ここは、タワーマンションの最上階なのです。
しかし、千鶴は景色を見るためにベランダへ出たわけではありません。
スマートフォンを柵の上へ置きます。
そして。
首に巻かれた、白い羽毛のようなストールへ触れました。
目を閉じます。
「鶴……鶴……鶴……」
小さく呟きました。
すると。
ふわっ。
ストールから、白い羽根が溢れ始めます。
「…………」
白い羽根は千鶴の身体へ広がっていきました。
胸元。
肩。
腕。
腰。
脚。
前方から後方へ向かうように、次々と全身を覆っていきます。
そして――。
バサッ。
そこに立っていた美女の姿は、もうありません。
代わりにいたのは。
一羽の――。
美しい、白い鶴でした。
もちろん。
ただの鶴ではありません。
『えーっと……スマホどこだっけ』
普通に喋ります。
声も千鶴のままです。
『あ、あった』
柵の上に置いたスマートフォンを見つけました。
『…………』
スマートフォンを見つめます。
『…………』
右の翼を見ます。
左の翼を見ます。
もう一度、スマートフォンを見ます。
『……あれ?』
何かに気づいたようです。
『これ……どうやって触るの?』
鶴なので、手がありません。
『…………』
初めて変身したわけではないはずなのですが。
馬鹿なのでしょうか。
『先に調べないと駄目な感じ……?』
ようやく気づきました。
『翼じゃ触れない……』
千鶴はしばらく考えます。
『手が欲しい』
そうでしょうね。
『……仕方ない』
千鶴が変身を解きます。
ふわっ。
身体の前方から、白い羽根が一枚、また一枚と剥がれ落ちていきました。
風に煽られ、空へ舞っていきます。
白い羽根の下から、千鶴の身体が現れていきました。
胸。
腹。
腕。
脚。
そして最後に、背中を覆っていた羽根が消えます。
元の千鶴へ戻りました。
「…………」
千鶴はスマートフォンを手に取ります。
そして。
「あ」
何かを思い出しました。
「変身解除すると、次に使えるまで時間がいるのよね……」
「…………」
気づくのが遅いですね。
◇
千鶴は部屋へ戻りました。
広いダイニングに置かれたソファへ腰掛け、スマートフォンでSNSを調べ始めます。
「あった」
そこには、何枚もの写真や動画が投稿されていました。
街を走る――鉄のロッカー。
空を飛ぶ――ファイル。
飛び跳ねる――文房具。
そして、それらから逃げ回る一人の男。
「……何これ」
もっともな感想です。
投稿者たちは撮影場所まで載せてくれていました。
これなら、すぐに追跡できそうです。
あとは――。
再び変身できるようになるのを待つだけ。
そして。
十分後。
千鶴は再びベランダへ出ました。
「よし」
気合を入れます。
「行きますか」
お約束なのでしょうか。
千鶴は白いストールへ触れ、目を閉じました。
「鶴……鶴……鶴……」
先ほどと同じように、白い羽根が身体を包んでいきます。
そして――。
一羽の鶴へ変わりました。
『よし』
足の爪で柵をつかみます。
大きな翼を広げました。
バサッ。
バサッ。
そして――。
大空へ飛び立ちます。
その姿は、まさに昔話に出てきそうな立派な鶴。
江藤千鶴は、阿倍野たちのもとへ向かって空を舞っていきました。
めでたし、めでたし。
「…………」
――おしまい。
「…………」
の、はずでした。
バサッ。
バサッ。
「…………」
鶴が戻ってきました。
千鶴です。
『…………』
鶴の姿のままベランダへ降り立ちます。
嘴を使って、どうにか窓を開けました。
そして、そのまま部屋の中へ。
ぺたぺた。
玄関へ向かいます。
『傘……傘……傘……』
どうやら、何かを忘れたようです。
玄関の傘立てには、一本の黒い傘がありました。
千鶴は翼を伸ばします。
『…………』
届きません。
というより。
つかめません。
『もう……』
翼を見ます。
『手が欲しい……』
先ほども聞きました。
仕方なく、嘴を使います。
黒い傘の持ち手へ嘴を引っかけました。
『んっ……!』
ずるっ。
『んんっ……!』
ずるずる。
『これで……行ける……』
「コーッ……コーッ……」
息がしづらいのでしょう。
本当に鶴のような声が出ています。
しかし。
傘立てに入った長い傘を、鶴の嘴だけで抜くのは難しいようです。
ぽとっ。
嘴から傘が落ちました。
『…………』
千鶴は傘を見つめます。
『もう……ほんと、迷惑ね』
あなたが一番迷惑です
本当なら、もう今回のお話は終わっていたのです。
◇
再び。
千鶴は変身を解除しました。
そしてまた、ダイニングのソファへ座ります。
スマートフォンを開きました。
「…………あれ?」
SNSを確認します。
先ほどまで大量にあったはずの投稿が――。
消えています。
「投稿が止まってる……」
さらに調べます。
写真も。
動画も。
次々と消えていました。
「竹婆様が何かしたの?」
どうやら、そう考えるのが自然なようです。
竹婆という老婆。
かなりの権力者なのかもしれません。
しかし。
千鶴にとっては困ったことになりました。
「……場所が追えない」
SNSの情報を頼りに、阿倍野たちを追跡するつもりだったからです。
「どうしよう……」
そのとき。
ピロン。
「ん?」
メッセージが届きました。
千鶴は画面を見ます。
送信者。
――竹婆。
そして、本文には。
『河川敷に二人でいるよ(笑) 二人とも男の子だね、タイマンしてる(笑)』
「…………」
さらに。
現在地を示す住所まで送られてきました。
「さすが竹婆様……」
千鶴は感心したように頷きます。
「……言葉、若いな」
同意見です。
◇
十分後。
千鶴は再びベランダへ立っていました。
今度は――。
黒い傘に、紐が結ばれています。
「…………」
その紐を、自分の身体へ結びつけました。
忘れ物対策です。
「よし」
千鶴は頷きました。
「行きますか」
本当にもう行ってください。
「鶴……鶴……鶴……」
白い羽根が、千鶴の身体を覆っていきます。
再び。
美しい一羽の鶴へ。
身体には、黒い傘が紐でくくりつけられています。
少々、格好悪いですね。
バサッ!
大きな翼を広げます。
そして――。
今度こそ。
空へ飛び立っていきました。
めでたし、めでたし。
「…………」
もう帰ってきませんよね?
「…………」
大丈夫なようです。
――おしまい。




