第十話 英雄
今々、あるところに。
河川敷で、不思議なものを持つ二人の男がおりました。
阿倍野浩二。
そして――荒川太一です。
街中を散々追い回され。
何度も通行人に写真や動画を撮られ。
阿倍野がようやく辿り着いたのは、河川敷でした。
すぐそばには川が流れ、その上には大きな橋が架かっています。
「はぁ……はぁ……」
阿倍野は息を切らしていました。
その背後には。
「ワンッ! ワンッ!」
鉄のロッカー。
「ケーン! ケーン!」
空を飛ぶファイル。
「キーッ! キーッ!」
飛び跳ねる文房具。
まだ追ってきています。
しかし。
「……ん?」
阿倍野は前を見ました。
そこには――。
荒川太一がいました。
川を眺めながら、こちらへ背中を向けています。
「…………」
阿倍野は首を傾げました。
「なんで先にいるんだ?」
不思議なことに。
追いかけられていた阿倍野よりも、荒川のほうが先に到着していたのです。
どうやら、鉄のロッカーたちを使って、阿倍野をこの場所へ誘い込んだようです。
「ふん……」
荒川が鼻で笑いました。
こちらへ背中を向けたまま、語り始めます。
「俺は川を見ると思い出す」
「…………」
「あの日の屈辱と――」
そこで。
荒川は振り返りました。
「この玉に出会った、奇跡を」
ポケットから琥珀色の玉を取り出します。
そして。
ちゅっ。
口づけしました。
格好をつけています。
なんだか腹が立ちますね。
「ふん……」
また鼻で笑いました。
「お前も気づいているだろう」
「何が?」
「俺とお前は――」
荒川は琥珀玉を掲げます。
「この時代に選ばれた存在だ」
「そうなの?」
阿倍野は首を傾げます。
「てか、話長い?」
「…………」
無視されました。
完全に自分の世界へ入っているようです。
「俺が――桃太郎」
荒川は自分の胸へ手を当てます。
そして、阿倍野を指さしました。
「お前が――浦島太郎だ」
「…………」
浦島太郎の伝説に登場する《玉手箱》を持つ、阿倍野浩二。
桃太郎の伝説に登場する《きびだんご》を持つ、荒川太一。
二つの昔話。
二人の男。
まるで、現代に二人の英雄が現れたかのように――。
河川敷へ、一陣の風が吹き抜けました。
「いや、俺は阿倍野浩二」
台無しです。
しかし荒川は気にしません。
「お前は、昔話をどう思っている?」
「いや、別に……」
「俺はこう思う」
「喋らせろよ」
聞く気がないのでしょう。
荒川は続けます。
「昔話は――作られた話だ」
「まあ、そうだろうな」
「なぜ作られたと思う?」
「知らね」
「それは――」
荒川は琥珀玉を見つめました。
「俺たちの持つ、この玉や」
今度は阿倍野の抱える箱を見ます。
「お前のその箱の存在を隠すためだ」
「へぇー」
荒川独自の意見です。
気にしないでください。
「かつて、英雄たちはこの不思議な力で争った」
「へぇー」
「誰が本当の、この世界の支配者なのかをな」
「へぇー」
「そして勝った者は、その偉業を――」
荒川は両腕を広げます。
「『昔々、あるところに』から始まる英雄譚として、後世へ語り継がれた!」
「へぇー」
これも荒川独自の意見です。
気にしないでください。
「そして今!」
荒川は阿倍野を指さしました。
「再び、同じ時代がやって来た!」
「…………」
「力を持つ者よ、戦え!」
「…………」
「そう聞こえてくるだろう!」
「全然」
即答でした。
神の声でも聞こえたのでしょうか。
荒川には、神より髪が必要そうですが。
「俺は英雄になる」
「へぇー。頑張って」
同じ気持ちです。
「ふん……分かってないな」
荒川は首を振ります。
「英雄の力を手に入れた俺とお前は――戦う運命にあるんだよ」
「……英雄の力ってなんだよ」
荒川は「運命」という言葉が大好きなようです。
「お前のその箱だ」
「…………」
阿倍野は玉手箱を見ました。
そして。
「ちょっと待てよ」
「あ?」
「おかしいだろ」
「何がだ?」
「浦島太郎って、英雄じゃないだろ」
「……何?」
阿倍野は腕を組みます。
「あいつ、あれだろ?」
「…………」
「亀助けて、竜宮城でくつろいでた奴だろ」
「…………」
「それで玉手箱開けて、老人になった奴のどこが英雄なんだよ」
阿倍野独自の意見です。
気にしないでください。
「……だから!」
荒川が声を荒らげました。
「昔話は、本当の力を隠すために作られた話だと言っているだろ!」
「へぇ」
「どこかにあるはずなんだよ! 浦島太郎が英雄だった証拠が!」
「ねぇよ」
「ある!」
「ねぇって」
阿倍野は鼻で笑いました。
「あいつ、大したことねぇって」
浦島太郎に謝ってほしいです。
「お前が浦島太郎の何を知ってるんだ!」
「多分、俺みたいな怠け者だぜ」
「はぁ!?」
「なんか、そんな気がしてきた」
「ふざけるな! お前が浦島の何を知ってる!!」
「お前こそ何知ってんだよ!」
「…………」
荒川は黙りました。
そして。
「……ていうか」
眉間に皺を寄せます。
「お前が普通、浦島太郎を擁護する側だろ」
「…………」
「なんで俺が擁護してたんだ?」
荒川の言っていることは正しいと思います。
「ちっ……まあいい」
荒川は話を戻しました。
「とりあえず、俺とお前は戦う運命にある」
また運命です。
「えー……」
阿倍野は露骨に嫌そうな顔をしました。
「やらなきゃ駄目?」
どうやら、断るつもりのようです。
英雄などという言葉が、ここまで似合わない男も珍しいでしょう。
「ふん。怖いならいいが」
「じゃあ怖いからやめとく」
「…………」
「…………」
「ちっ……こいつ……!」
挑発すら通じませんでした。
「もういい!」
荒川は片手を上げました。
その後ろで。
「ワンッ!」
鉄のロッカーが身構えます。
「ケーン!」
ファイルが空中を旋回します。
「キーッ!」
文房具たちが跳ね回ります。
「ちょっと待てよ」
阿倍野が手を上げました。
「あ?」
「お前ばっか能力使って、ずるいだろ」
「は?」
「俺なんか、なんにもないんだぜ」
「使えよ。玉手箱」
「駄目だ」
阿倍野は玉手箱を抱きしめました。
「これは一億円で売るんだ」
「…………」
「使用済みだと価値が下がるだろ」
まだ一億円を気にしています。
荒川は玉手箱を指さしました。
「まず、それもう使用済みだろ」
「え?」
「その汚れ見たら分かるだろ」
「…………」
阿倍野は玉手箱を見ました。
黒ずんでいます。
「……あ、確かに」
荒川を見ます。
「お前、頭いいな」
「誰でも分かるだろ!!」
そう言いたいです。
「まあ、そういうことだ」
阿倍野は玉手箱を脇へ抱え直しました。
「やるなら素手でやろうぜ」
どういうことでしょうか。
物語の設定を台無しにする提案は、やめていただきたい。
「ふん」
荒川は鼻で笑いました。
「そんな挑発には乗らん」
素敵な返しです。
「これも俺の英雄の力だからな」
「そうかよ」
阿倍野は少し考えました。
そして。
「俺が怖いんだな」
「安い挑発だな」
荒川は即答しました。
「勝てる戦いを、わざわざ不利にするほど馬鹿じゃないんだよ」
「…………」
この時。
荒川の頭から、最初の目的だった一億円のことなど、すでに消えていました。
金よりも。
阿倍野の持つ玉手箱よりも。
自分こそが特別な存在であると証明すること。
それが、荒川にとって何より重要になっていたのです。
「力を使えない己を恨むんだな」
荒川は両腕を上げました。
阿倍野へ向けます。
本人が思う、一番格好いい指揮者の構えです。
若禿なので、少々滑稽ですが。
「英雄になるのは――俺だ」
「……そうかよ」
阿倍野が呟きました。
「じゃあ、お前に一ついいこと教えてやるよ」
「なんだ?」
荒川は笑います。
「遺言なら聞いてやろう」
「…………」
阿倍野の表情が変わりました。
珍しく。
真顔です。
「お前みたいに――」
「…………」
「禿げた英雄はいない」
「…………」
荒川の顔が。
みるみる赤くなりました。
「ぐわぁぁぁぁぁ!!」
効きました。
「殺してやる!!」
荒川が腕を振り上げます。
「いけぇぇぇ――!!」
そう叫ぼうとした――。
その寸前。
カン。
「……ん?」
カン。
カン。
すぐそばに架かる橋の上から。
硬い靴底と鉄が触れ合うような音が響きました。
そして。
「やめなさい」
静かで。
美しく。
凛とした女性の声。
阿倍野と荒川。
二人が同時に振り向きます。
「…………」
橋の柵の上。
一人の女性が立っていました。
風に揺れる、長い黒髪。
整った顔立ち。
首元には、白い羽毛のようなストール。
そして手には――。
閉じたままの、一本の黒い傘。
女性は橋の柵の上から、二人を静かに見下ろしていました。
江藤千鶴です。
「……誰だ、お前」
荒川が声を上げました。
千鶴は静かに答えます。
「誰?」
一瞬、間を置きました。
「教えてあげます」
そして――。
飛び降りました。
「…………」
橋から河川敷まで。
およそ七メートル。
しかし千鶴に迷いはありません。
黒髪をなびかせ。
黒い傘を手に。
まっすぐ地上へ落ちていきます。
きっと。
華麗に着地する自信があったのでしょう。
そして――。
ズダンッ!!
「…………」
右足首が。
ぐにゃり。
曲がりました。
「っ!?」
そのまま。
ドサッ!
千鶴は地面へ転がりました。
「…………」
阿倍野。
「…………」
荒川。
二人とも無言です。
「いっ……!」
千鶴が右足首を押さえました。
「痛い……!」
ごろり。
「もう……足首……!」
ごろり。
「絶対折れた……!」
涙目です。
「もう……飛ばなきゃよかった……!」
「…………」
「格好よく登場しようと思ったのに……!」
そこで。
千鶴は気づきました。
阿倍野と荒川。
二人が無言で自分を見ています。
「…………」
千鶴の動きが止まりました。
「…………」
阿倍野。
「…………」
荒川。
「…………」
千鶴。
「……おほん」
咳払い。
千鶴は何事もなかったかのように、黒い傘を地面へ突きました。
それを杖代わりにして――。
「……っ」
ゆっくり立ち上がります。
明らかに右足を痛めています。
それでも。
背筋を伸ばしました。
長い黒髪を整えます。
そして、先ほどまでと同じ凛とした表情へ戻りました。
「…………」
「…………」
「…………」
こうして。
《玉手箱》を持つ――阿倍野浩二。
《きびだんご》を持つ――荒川太一。
そして。
変身能力を持つ――江藤千鶴。
特別な力を持つ三人が。
ついに、河川敷へ集まりました。
さて。
いったい何が起こるのでしょうか。
めでたし、めでたし。
……主要人物。
こんな奴らで大丈夫なのでしょうか。
――おしまい。




