第十一話 回収者
今々、あるところに。
不思議な力を操るものを持つ、三人の男女がおりました。
阿倍野浩二。
荒川太一。
そして――江藤千鶴です。
「…………」
三人の視線が交わります。
「…………」
緊張感は――。
それほどありませんでした。
千鶴のせいです。
橋の上から颯爽と飛び降り。
見事、着地に失敗。
足首を痛め。
地面を転げ回り。
その後、何事もなかったかのように平静を装っているのです。
「…………」
阿倍野と荒川は、固まったまま無言でした。
静寂が場を支配します。
「な、なんですか」
千鶴が口を開きました。
表情は凛々しいままです。
彼女なりに、クールな女性を演じようと頑張っています。
阿倍野が言いました。
「今の、ないよな」
「……何がですか」
「馬鹿みたいだったぞ」
「…………」
荒川も鼻で笑います。
「ふん。格好つけるなら、ちゃんと決めろよ」
どうやら荒川は、自分は決まっていると思っているようです。
「ちっ……」
千鶴が舌打ちしました。
「……まあ、いいです」
表情だけは崩しません。
「それより」
千鶴は二人を見ました。
「二人とも、私と一緒に来てくれますか?」
「えー。俺は嫌だな」
即答したのは阿倍野です。
「……なんでですか?」
「だって、お前、変な奴じゃん」
「っ……!」
千鶴の眉が動きました。
「変な奴じゃありません」
「えー、そうなの?」
阿倍野は橋を見上げます。
「あんな高さから飛ぶなんて、頭のおかしいやつだろ」
「…………」
「鳥になれるなら別だけど」
「…………」
江藤千鶴。
鳥になれます。
しかし。
何を考えているのか分からない阿倍野を説得するのが面倒になったのか、千鶴は荒川へ向き直りました。
「では、あなた――」
「なんで俺がお前に従わなくちゃいけないんだ」
「え?」
「関係ない奴はあっち行け」
荒川は手で追い払う仕草をしました。
「今は英雄同士で話してるんだよ」
「…………」
雑な扱いを受けました。
格好よく登場し。
場を支配する。
そんな予定だったのでしょう。
すべて裏目に出ています。
完全に舐められました。
そして。
二人は千鶴をいないものとして会話を再開します。
「だから、俺は英雄じゃないって」
「お前は英雄だ」
荒川は阿倍野を指さしました。
「その証拠に、玉手箱を持っているだろ」
「マジかよ。やだな」
「喜べよ!」
荒川は両腕を広げました。
「今から俺とお前の戦いは――昔々と未来永劫、語り継がれるんだからな!」
「ぷっ」
「…………」
小さな笑い声。
荒川が振り返ります。
「あ?」
千鶴でした。
口元を押さえています。
「英雄同士?」
千鶴は笑いを堪えながら二人を見ました。
「あなたたちがですか?」
「あ? なんだよ」
千鶴は髪をかき上げました。
長く美しい黒髪が、河川敷を吹き抜ける風に揺れます。
「何も知らない、弱い人が――」
千鶴は静かに笑いました。
「何を言ってるんですか」
「…………」
今度は。
格好よく決まりました。
「無理するなよ、ドジっ子」
「ドジっ子じゃないです!」
一瞬で崩れました。
「江藤千鶴ですよ。ちゃんと名前で呼んでください!」
「いや」
阿倍野は首を傾げました。
「今、初めて聞いた」
「…………あ!」
千鶴は気づきました。
まだ名乗っていませんでした。
そして。
「……ドジっ子ってなんですか!?」
「そっち?」
少し顔を赤くしながら、興奮気味に問い詰めます。
先ほどの格好よさは、もうありません。
「おい」
荒川が話を戻してくれました。
「お前が、俺より強い?」
「そうですけど」
千鶴は当たり前のように答えました。
「…………」
「…………」
「ふ……」
荒川が笑い始めます。
「ふははははははは!!」
「何がおかしいんですか?」
「桃太郎を継ぐ、この俺より強いだと!?」
荒川は琥珀玉を掲げました。
「俺は鬼すら倒せるんだぞ!」
千鶴は首を傾げます。
「ん?」
「なんだ?」
「鬼を倒したのは桃太郎であって、あなたではないですよね?」
「…………」
「それに」
千鶴は荒川の頭を見ました。
「あなたみたいに禿げた英雄って、いたんですかね?」
「ほらな」
阿倍野が即座に同意しました。
「お前もそれを言うかぁぁぁ!!」
荒川の顔が赤くなります。
「いけぇぇぇ!!」
その声と同時に。
「ワンッ!!」
鉄のロッカーが。
「ケーン!!」
空を飛ぶファイルが。
「キーッ!!」
跳ね回るペンたちが。
一斉に千鶴へ襲いかかりました。
「ふぅ……」
千鶴が小さく息を吐きます。
次の瞬間。
――スッ。
「…………」
何が起こったのでしょうか。
阿倍野にも。
荒川にも。
見えませんでした。
なので、説明しましょう。
千鶴をよく見てください。
先ほどまでと、何か変わっていませんか?
「…………」
そうです。
彼女が持っていた――黒い傘。
傘の部分と、柄の部分が分かれています。
そして。
千鶴が握る柄からは――。
一本の細長い刃が伸びていました。
仕込み刀です。
千鶴の周囲を見てみましょう。
ぱら。
ぱらぱら。
ファイルが。
ペンが。
そして、ロッカーの一部までもが。
真っ二つになって、地面へ落ちていきます。
千鶴は残った傘を開きました。
ばさっ。
ゆっくり落ちてきた破片を。
カン。
カン。
傘で優雅に弾きます。
黒髪。
黒い傘。
そして、仕込み刀。
大和撫子。
今度こそ褒めてあげてください。
ほら。
顔も決まっています。
「…………」
阿倍野が口を開きました。
「どこに隠してた、その刀」
「え?」
千鶴は一瞬驚き。
すぐに微笑みました。
「ふふ……」
少し嬉しそうです。
「だから、素人は困るんですよ」
調子に乗り始めました。
「本物の回収者は日常の中に生き――」
刀を軽く振ります。
「己の武器を隠すものなんですよ」
「…………」
「私も本物の回収者ってやつですからね」
――ダダン!
そんな効果音が鳴った気がします。
決まりました。
ドヤ顔です。
端正な顔立ちのおかげでしょう。
荒川と違って、絵になっています。
「ん?」
阿倍野が首を傾げました。
「回収者って何?」
「…………」
「あ!」
またです。
また説明するのを忘れていました。
しかも、邪魔したのはまた阿倍野です。
千鶴の頬が、みるみる赤くなります。
知らない人に専門用語で自慢したところで、何がすごいのか伝わりませんからね。
「えっと……回収者というのはですね……」
千鶴がもじもじしている――。
その隙に。
荒川が指を動かしました。
声は出しません。
卑怯ですね。
ですが。
戦いに卑怯も何もないのでしょう。
「ワンッ!!」
複数のロッカーが一斉に突撃しました。
「!」
千鶴が振り返ります。
気づかないはずがありません。
しかし。
彼女の右足首は、先ほどの着地で痛めています。
千鶴は痛めた右足を持ち上げました。
「…………」
左足一本で立ちます。
まるで――。
フラミンゴです。
鶴ではないのでしょうか。
「いけぇ!!」
荒川が叫びます。
複数のロッカーが千鶴へ迫りました。
その瞬間。
千鶴が――跳びました。
片足だけで。
ふわり。
一台目をかわし。
ザンッ!!
すれ違いざまに斬ります。
着地。
すぐに跳ぶ。
二台目。
ザンッ!!
三台目。
ザンッ!!
飛んできたペン。
シュッ!
斬る。
ファイル。
ザンッ!
斬る。
ロッカー。
ザァンッ!!
斬る。
一つ。
また一つ。
荒川が操っていた物たちは、すべて真っ二つになり――。
動かなくなりました。
「…………」
荒川の顔が引きつります。
「くっ……!」
悔しそうですね。
実に気持ちがいい。
千鶴は刀を軽く振りました。
「まあ」
余裕の笑み。
「こんなもんですよ」
「…………」
絵になりますね。
やはり、可愛い人は得です。
そして。
千鶴は持ち上げていた右足を――。
地面へ下ろしました。
ぐきっ。
「…………」
「…………」
「…………」
「いったぁぁぁぁぁぁぁ!!」
倒れました。
「痛い! 痛い! 痛い!!」
右足首を抱えて、地面を転げ回ります。
「病院行きたいぃぃ!!」
先ほどまでの剣豪は、どこへ行ったのでしょうか。
「おい」
「な、なんですか……!」
地面で悶える千鶴へ、阿倍野が声をかけました。
「あいつ逃げたぞ」
「……え?」
千鶴が顔を上げます。
「…………」
荒川がいません。
「えぇ!?」
どうやら。
千鶴が地面で悶えている間に逃げたようです。
「追ってください!」
「俺が?」
阿倍野は自分を指さしました。
「なんで?」
「…………」
千鶴は考えます。
そして。
「あとで話そうと思っていましたが」
「何?」
「あなたの玉手箱に一億円を提示したのは――」
千鶴は阿倍野を見ました。
「私が護衛している方です」
「…………」
阿倍野の目が変わりました。
「つまり?」
「つまり」
千鶴は、少しだけ偉そうに言います。
「私の機嫌を損ねれば――取引は停止です」
「…………」
「…………」
「は?」
阿倍野の顔から血の気が引きました。
「取引停止?」
「はい」
「一億もらえないってこと?」
「そうです」
「…………」
「だから、早く追ってくださ――」
「おいおいおい!!」
阿倍野が急に立ち上がりました。
「分かった! 任せろ!!」
「え?」
「ドジっ子!」
「だからドジっ子じゃ――」
「俺があの若禿、捕まえてきてやるから!」
阿倍野は走り出しました。
「一億用意しとけよぉぉぉ!!」
「ちょっ――」
阿倍野は荒川を追って、河川敷を走っていきました。
「…………」
一人。
千鶴だけが残されます。
「ドジっ子って……」
千鶴は呟きました。
「私の機嫌を損ねればって、言ったのに……」
どうやら。
まったく気にしていません。
「…………」
そして。
「痛い……」
右足首を抱えます。
「痛い、痛い……」
ごろん。
「もう帰りたい……」
河川敷で一人。
江藤千鶴の悲痛な声だけが響いていました。
めでたし、めでたし。
――おしまい。




