第七話 きびだんご
今々、あるところに。
二人の、奇妙なものを持つ男がおりました。
片や、バッグの中に隠した――。
亀から出てきた、黒ずんだ箱。
《玉手箱》。
片や、ポケットの中に隠した――。
桃から出てきた、きびだんごのような琥珀玉。
阿倍野浩二と、荒川太一です。
ですが。
まだ阿倍野は、荒川の存在に気づいておりません。
「払え!」
「払わん!!」
部長である仁尾太地と、退職金を巡って揉めているからです。
そんな阿倍野を見ながら、荒川はほくそ笑みました。
一億円。
間違いありません。
先ほど街で見かけた、一億円を持っているという男です。
荒川は、入り口のすぐ近くにあった鉄製のロッカーへ近づきました。
そして。
ガンッ! ガンッ!
拳で叩きます。
「はいはい。注目してくれ」
「…………」
阿倍野と仁尾の口論が止まりました。
ほかの社員たちも、一斉に荒川を見ます。
荒川は皆の視線を浴びながら、満足そうに笑いました。
「はい、どうも」
「…………」
まるで、自分がこの場を支配したかのような表情です。
荒川は辺りを見渡し――。
「ふっ……えーっと、お前」
阿倍野を指さしました。
阿倍野は隣にいる仁尾を見ます。
「部長。若禿が呼んでますよ」
「お、俺なのか? お前じゃないのか?」
「え? 部長の知り合いじゃないんですか?」
阿倍野は二人の頭を見比べました。
「髪の毛の数が同じ……いや」
もう一度見比べます。
「部長のほうが多いか」
「どう見ても俺のほうが多いだろ」
仁尾は少しだけ機嫌を直しました。
「…………」
その会話を聞いていた荒川は、黙りました。
数秒後。
「誰が若禿だぁぁぁ!!」
突然、沸点に達しました。
「舐めやがって!!」
「誰がって……」
阿倍野は冷静に荒川を見ます。
「どう見ても若禿……」
そして、少し考えました。
「すまん。若くねぇのか」
「二十歳だよ!!」
「嘘つけ。俺より若いわけねぇだろ、その毛量で」
阿倍野は仁尾を見ました。
「部長もそう思いますよね?」
「あ、う……うん」
仁尾も頷きました。
「てめぇら……!」
荒川の額に青筋が浮かびます。
「俺を舐めたらどうなるか、分かってんだろうな」
「いや、知らねぇよ」
阿倍野は首を傾げました。
「初対面だろうが。お前、どこの誰なんだよ」
そして、入り口を指さします。
「ここ会社だぞ。部外者は出ていけ」
「部外者……」
仁尾が呟きました。
「そうだな。部外者は出ていくべきだ」
「さすが部長……って、なんで俺を押すんですか」
仁尾は阿倍野の背中を押し始めました。
「部外者だからだ」
「俺!?」
「それに、あの若禿……」
仁尾は咳払いしました。
「おほん。あの少年は、お前に用があるみたいだ。外でやってくれ」
もう仁尾は割り切っていました。
阿倍野は会社を辞めた。
つまり、部外者です。
その判断は正しいと思います。
しかし。
阿倍野は首を横に振りました。
「おい。まだ退職金もらってない」
まだ、ごねています。
「もういいだろ! 一億円もらえるんだろ!」
仁尾は怒鳴りました。
「俺はな! お前に会社の金が渡るのが嫌なんだ!」
「おい。俺が働いた対価だぞ」
「なら、お前は会社で何をした!」
「…………」
阿倍野は黙りました。
思いつきませんでした。
取引先へ行かなかったこと。
遅刻は日常茶飯事。
部長に怒られたこと。
そんな記憶しかありません。
そういう男です。
――俺、何してたんだっけ。
自分でもそう思いました。
しかし、それを口に出すわけにはいきません。
「会社に来てただろ」
「それだけか!」
「パソコン触ってた」
「仕事の内容を言え!」
「部長の説教食らってた」
「それは仕事じゃない!!」
とりあえず、やっていたことを報告しました。
この男、本当に仕事をしていませんね。
「それで対価を払えと……なんという男だ!」
同意見です。
「…………」
その頃。
阿倍野と仁尾が盛り上がる中、完全にないがしろにされている男が一人おりました。
荒川です。
――選ばれた俺が、端に押されてる。
ふざけるな。
そう思った瞬間。
荒川の少ない髪が、逆立ちました。
「お前らぁ!!」
再び、大声を上げます。
「俺の話を聞け!!」
全員の視線が荒川へ向きました。
どうやら、かなりの目立ちたがり屋のようです。
荒川はポケットへ手を入れました。
「見ろ」
取り出したのは――。
透き通るような、琥珀色の小さな玉。
それを、皆に見えるよう高く掲げます。
阿倍野は首を傾げました。
「何それ?」
「ふっ……聞け」
荒川は不敵に笑います。
「かつて――桃太郎は」
「桃太郎?」
阿倍野が口を挟みました。
「なんだそれ。今関係あんのか?」
「聞けよ!?」
荒川が叫びました。
「一回聞いてくれよ!」
「…………」
阿倍野は少し考えます。
「短くまとめろよ」
「偉そうだな……!」
荒川は苛立ちながらも、すぐに表情を戻しました。
「まあいい。ふっ……聞け」
先ほどのやり取りは、なかったことにしたようです。
「かつて桃太郎は、きびだんごを与え――」
荒川は琥珀玉を掲げます。
「犬、猿、雉を従え、鬼を退治した」
「…………」
「そして英雄となり、その名は現代まで語り継がれている!」
「そだね」
阿倍野は手を叩きました。
パンパン。
「はい。みんな仕事始めて」
「一番仕事をしないお前が仕切るな!!」
すかさず仁尾の注意が入りました。
そして、社員たちは本当に仕事へ戻ろうとします。
「…………」
また無視され始めました。
「ちっ……!」
荒川は舌打ちしました。
「こいつら……舐めやがって……!」
誰も見ていません。
それでも荒川は、大声で続けました。
「だが!!」
声がオフィス中に響き渡ります。
「現代で、桃太郎がなぜ英雄になれたのか!」
誰も見ません。
「それは説明されていない!」
誰も見ません。
「だが、俺は気づいた!」
誰も見ません。
「その秘密は――きびだんごの力だ!!」
荒川は琥珀玉を掲げました。
「そして!!」
にやり。
「俺は手に入れたのだ!!」
「ふふ……」
肩が震えます。
「ふふふ……ははははははは!!」
高笑いが部屋を覆いました。
若禿が、一人舞台をしています。
観客はいます。
誰も観ていません。
「つまり!!」
荒川は両腕を広げました。
「俺は次の英雄に選ばれたんだよ!!」
「…………」
「桃太郎が、どうやって鬼を倒したのか……」
荒川は、すぐ手前にある鉄製のロッカーへ近づきました。
「見せてやる」
琥珀玉を――。
ロッカーへ触れさせます。
コツン。
「…………」
何も起こりません。
阿倍野が鼻で笑いかけた――。
そのとき。
ドンッ。
「……ん?」
ドンッ。
「…………」
ドンッ!!
鉄のロッカーが、ひとりでに動き始めました。
「……は?」
仁尾が目を見開きます。
そして。
「ワンッ!」
「…………」
「ワンッ! ワンッ!」
ロッカーが――。
吠えました。
「…………」
オフィスが静まり返ります。
先ほどまで騒がしかった《魚魚》の社員たちも、さすがにこれには仕事の手を止めました。
「はは……」
荒川が笑います。
「ははははははは!!」
両腕を広げました。
「これが俺の力だ!!」
ドンッ!!
鉄のロッカーが走り出しました。
「うわぁぁぁ!?」
社員たちが逃げます。
ロッカーはオフィスの中を駆け回り、作業机へ体当たりしました。
ガシャァァン!!
机が倒れます。
パソコンが床へ落ちます。
別のロッカーへぶつかります。
「ワンッ! ワンッ!!」
「なんだ、これ……」
阿倍野はその光景を見ながら、呟きました。
「マジック?」
「え?」
周囲の社員たちが、一斉に阿倍野を見ました。
この状況で、その感想なのでしょうか。
「マジックだぁ?」
荒川の眉がつり上がります。
「違う!!」
琥珀玉を握りしめました。
「俺に与えられた祝福だ!!」
「祝福?」
「そうだ!」
荒川は両手を広げ、低いオフィスの天井を見上げました。
「俺はこの力で世界を手に入れる!」
「…………」
「そして――俺の国を作る!!」
阿倍野は首を傾げました。
「そんなんで世界取れんのか?」
「あ?」
「阿倍野!」
机の後ろへ避難していた仁尾が叫びました。
「煽るのをやめろ!」
「なんだ、お前」
荒川が阿倍野を睨みつけます。
「俺に喧嘩売ってんのか?」
「ただの質問だろ」
阿倍野は平然と答えました。
「質問も駄目なのか?」
「…………」
「お前が国王なら独裁国家だな」
阿倍野は腕を組みました。
「昔々から、独裁国家は崩壊すると語られてるぞ」
「阿倍野! 煽るな!!」
「俺、煽ってます?」
煽っています。
しかし、本人にその自覚はありません。
「クソが……!」
荒川の顔が歪みます。
「クソが……クソが……!!」
琥珀玉を強く握りしめました。
「俺に逆らう奴は、俺の世界にはいらない!!」
「いや、お前の世界じゃない」
「阿倍野ぉぉぉ!! 黙れぇぇぇ!!」
仁尾の悲鳴が響きました。
「死んで後悔しろ!!」
荒川はロッカーの上に置かれていたファイルへ、琥珀玉を触れさせました。
すると。
バサッ。
「……ん?」
バサバサバサッ!!
ファイルが開き、空中へ舞い上がりました。
「ケーン! ケーン!」
「…………」
鳴き始めました。
さらに。
机の上に置かれていたボールペン。
マジックペン。
小さな文房具。
荒川が次々と琥珀玉を触れさせていきます。
「キーッ! キーッ!」
ペンたちは飛び跳ねました。
「ワンッ! ワンッ!」
鉄のロッカーが部屋を駆け回ります。
「ケーン! ケーン!」
ファイルが空中を飛び回ります。
「キーッ! キーッ!」
文房具が机から机へ飛び移ります。
犬。
猿。
雉。
まるで――。
かつて桃太郎に仕えた、三匹のお供のようでした。
荒川は笑います。
「ははははははは!!」
琥珀玉を手に、次々と無機物へ触れていきました。
そのたびに。
一つ。
また一つ。
命などないはずの物が、動き始めます。
「名も知らない無能が」
荒川は阿倍野を指さしました。
「何も知らないまま死ね」
「……は?」
「お前が――」
荒川は笑いました。
「俺の国、最初の犠牲者だ」
その瞬間。
「ワンッ!!」
鉄のロッカーが床を蹴りました。
一直線に。
阿倍野へ。
「え?」
ドゴォォン!!
「かはっ!?」
ロッカーが阿倍野の身体へ激突しました。
「阿倍野!!」
その身体が吹き飛びます。
背後には――窓。
バリィィィン!!
ガラスが砕け散りました。
「…………え?」
阿倍野の身体が。
バッグが。
そして――。
《玉手箱》が。
割れた窓の向こうへ放り出されました。
「阿倍野ぉぉぉ!!」
仁尾が叫びます。
株式会社《魚魚》の営業部があるのは――。
ビルの六階。
阿倍野浩二は、落ちていきます。
さて。
主人公は助かるのでしょうか。
めでたし、めでたし。
……いや。
主人公、大丈夫?
――おしまい。




