第五話 選ばれた男
今々、あるところに。
若くして、頭のてっぺんが禿げた少年がおりました。
その少年は胸を張り、堂々と街を歩いていました。
荒川太一。
無職の童貞です。
もっとも、少年と呼ぶには禿げすぎています。
ですが、まだ二十歳です。
そんな荒川は数年前、川であるものと出会いました。
それは、彼の人生を大きく変える出来事だったのです。
では、少しばかり昔のお話をいたしましょう。
ふわふわふわふわ……。
――回想です。
◇
荒川は高校生の頃、いじめられていました。
なぜ、いじめられていたのでしょうか。
頭が禿げていたから?
いいえ。
童貞だったから?
いいえ。
不細工だったから?
いいえ。
すべて正解ですが、いじめられた原因ではありません。
正解は――性格が悪かったからです。
もっとも、最初からいじめられていたわけではありません。
むしろ荒川は、スクールカーストの頂点に君臨していました。
頭のてっぺんは禿げていましたが、言葉巧みで、人を引きつけることに長けていたのです。
話し方も、声も、なかなかのものでした。
もし髪の毛がふさふさで、顔立ちがもう少し整っていれば、さぞかし立派な一軍男子になっていたことでしょう。
しかし、荒川には、それ以上に大きな特徴がありました。
それは、自分に絶対の自信を持っていることです。
「お前らは俺に従うしかないんだよ」
荒川は、いつも堂々としていました。
そして、周囲には彼に従う生徒たちが集まっていたのです。
しかし、その自信は、決してよい方向には働きませんでした。
荒川は、学校で立場の弱い生徒たちをいじめていました。
いわゆる、三軍と呼ばれる生徒たちです。
無理やり雑用を押しつけたり。
金を持ってこさせたり。
ときには、暴力を振るわせることもありました。
ただし、荒川自身が直接手を下すことは、ほとんどありません。
「おい、あいつ気に入らねぇな。やっとけよ」
そう言って、取り巻きたちに命令するのです。
そして自分は少し離れたところから、その様子を眺めていました。
「ははっ! いいぞ、もっとやれ!」
なんとも、性格の悪い男です。
そんな荒川は、毎日を楽しく支配していました。
本人にとっては、実に有意義な高校生活だったのでしょう。
しかし、ある日のこと。
そんな荒川のもとに、一人の少年が現れました。
三軍の生徒です。
普段は目立たず、教室の隅で静かに過ごしているような少年でした。
その少年が、荒川に言いました。
「……放課後、河原に来い」
少年の手は震えていました。
「……あ?」
「一対一で勝負しろ」
荒川はしばらく少年を見つめていました。
そして。
「……ははははははは!」
高笑いをしました。
「いいぜ。俺に喧嘩売って負けたお前は、明日どうなるんだろうな」
荒川は自信満々でした。
当然です。
自分はスクールカーストの頂点。
相手は、教室の隅にいる地味な少年。
自分が負けるなど、考えたこともなかったのですから。
◇
放課後。
河原には、大勢の生徒たちが集まっていました。
荒川と、三軍の少年。
二人の勝負を見届けるためです。
「おいおい、震えてるじゃねぇか」
荒川は笑っていました。
「今なら謝れば許してやるぜ?」
しかし、少年は何も答えません。
ただ、静かに荒川を見つめていました。
「……ふん」
荒川は鼻で笑いました。
そして、拳を握ります。
「明日から楽しみだな!」
こうして、二人の勝負が始まりました。
さて。
結果は、どうなったのでしょうか。
荒川の圧勝?
いいえ。
接戦?
それも違います。
荒川の完敗でした。
「ぐはぁっ!!」
荒川は河原の地面に倒れ込みました。
特に血は出ていません。
まるで小学生の喧嘩でした。
少年は、その前に立っています。
「…………」
荒川は、何が起こったのか理解できませんでした。
相手は、自分より大きな少年だったのでしょうか。
いいえ。
むしろ小さいです。
運動部に所属していたのでしょうか。
いいえ。
むしろ貧弱です。
では、文化系だったのでしょうか。
はい。
それも、教室の隅で静かに過ごしているような少年でした。
いわゆる、オタクと呼ばれる生徒です。
そんな少年に、荒川は負けたのです。
それも、大勢の生徒たちが見守る前で。
「…………」
荒川は地面に倒れたまま、周囲を見渡しました。
取り巻きたちが、こちらを見ています。
しかし、誰も助けようとはしません。
それどころか。
「……なんだよ、あいつ」
「弱くね?」
「……ただのハゲじゃん」
誰かが、そう言いました。
「…………」
荒川の顔が、みるみる赤くなっていきます。
「……お前ら、明日覚えろよ」
しかし、誰も荒川の言葉を聞こうとはしませんでした。
こうして荒川は、スクールカーストの頂点から転落したのです。
◇
それからというもの。
荒川の学校生活は一変しました。
今まで自分に従っていた生徒たちは、荒川から離れていきました。
それどころか、今度は荒川自身がいじめられるようになったのです。
「おい、ハゲ!」
「……あ?」
「ちょっと河原まで来いよ」
かつて、自分が他人にしていたこと。
それを今度は、自分がされるようになりました。
荒川は何度も河原へ呼び出され、そのたびに殴られました。
抵抗しようとしても、相手は一人ではありません。
かつての取り巻きたちが、今度は荒川を取り囲んでいたのです。
そんな日々が続いた、ある日のこと。
荒川は、いつものように河原で倒れていました。
「……くそっ。なんで俺が……」
身体のあちこちが痛みます。
制服は泥だらけ。
顔には、殴られた痕が残っていました。
「……ふざけやがって。ぜってぇ許さねぇ」
荒川はゆっくりと身体を起こしました。
そして、川を眺めます。
「…………」
そのときです。
どんぶらこ。
どんぶらこ。
川の上流から、何かが流れてきました。
「……ん?」
荒川は目を細めました。
丸いものです。
大きく、桃色をしています。
「…………」
荒川は首を傾げました。
「……桃?」
そうです。
桃でした。
それも、普通の桃より、ずっと大きな桃です。
「……なんで桃?」
荒川はしばらく川を眺めていました。
しかし、桃は答えてくれません。
当然です。
桃なのですから。
「…………」
荒川は立ち上がりました。
そして、汚れた川へ足を踏み入れます。
「……冷てぇな」
制服が濡れることなど、気にしませんでした。
荒川は川の中を進み、流れてきた桃を両手でつかみました。
その瞬間。
ぱかっ。
「……は?」
桃が割れました。
「…………」
荒川は割れた桃を見つめます。
中に入っていたのは、琥珀色の小さな玉でした。
光にかざすと、内部が透き通って見えます。
その姿は、まるで琥珀で作られたきびだんごのようでした。
「……なんだ、これ」
荒川は玉を手に取りました。
そして。
「…………」
何かを感じたのでしょうか。
荒川はしばらく玉を見つめていました。
その口元が、ゆっくりとつり上がります。
「……ははっ」
荒川は笑いました。
「……そういうことか」
そして、鼻で笑います。
「ふん。明日からが楽しみだ」
何が「そういうこと」なのでしょうか。
残念ながら、荒川以外には分かりませんでした。
◇
それから、数日後。
学校では、ある事件が起こりました。
複数の生徒が、病院へ運ばれたのです。
その中には、荒川をいじめていた生徒たちも含まれていました。
そして――。
一人の退学者が出ました。
荒川太一です。
いったい、何があったのでしょうか。
詳しいことは、分かりません。
ただ、一つだけ確かなことがあります。
それ以来、荒川は、ある言葉を口にするようになったのです。
「俺は選ばれた」
そうです。
「俺は選ばれた」
何度も、何度も。
「……俺は、選ばれた男だ」
荒川は禿げた頭をかき上げました。
どうやら、格好をつけるのが好きなようです。
こうして荒川太一は、高校を去りました。
そして、数年の月日が流れます。
ふわふわふわふわ……。
――回想終了です。
◇
さて。
現在に戻りましょう。
荒川太一は、街の中を堂々と歩いていました。
若くして禿げた頭。
自信に満ちた表情。
そして、胸を張った歩き方。
高校を退学してから数年。
荒川は、今も無職です。
しかし、本人はそんなことなど気にしていません。
なぜなら、自分は選ばれた人間だからです。
「……ふっ」
荒川は不敵に笑いました。
そのときです。
「一億ぅ〜♪ 一億ぅ〜♪」
どこからか、歌声が聞こえてきました。
「……ん?」
荒川は、声のする方へ顔を向けました。
一人の会社員が、街を歩いています。
満面の笑みを浮かべ、なんとも楽しそうに歌っていました。
「億万長者ぁ〜♪」
阿倍野浩二です。
どうやら今日も、自作の歌を熱唱しているようです。
「俺に逆らえる者はいなぁい〜♪」
阿倍野は拳を突き上げました。
「部長のデブッチョもぉ〜♪」
そして。
「ワンパァァンチ!!」
勢いよく拳を突き出しました。
もちろん、誰も殴っていません。
そんな阿倍野が、荒川の横を通り過ぎました。
「…………」
荒川は阿倍野の背中を見つめました。
「……一億?」
先ほどの歌が、耳に残っています。
一億円。
億万長者。
「…………」
荒川の口元が、ゆっくりとつり上がりました。
「……へぇ。そりゃいいな」
にやり。
どうやら、何か悪いことを思いついたようです。
荒川は、阿倍野の後を追い始めました。
一方、阿倍野はというと。
「一億ぅ〜♪ 一億ぅ〜♪」
相変わらず、楽しそうに歌っています。
自分が何者かに狙われていることなど、まったく気づいていません。
さて。
この二人が出会ったことで、いったい何が起こるのでしょうか。
めでたし、めでたし。
――おしまい。




