第四話 億万長者 現る
今々、あるところに。
ベッドの上で大騒ぎしている男がおりました。
阿倍野浩二です。
「うひゃあああ!! 一億円! 一億円!!」
阿倍野はスマートフォンを握りしめながら、ベッドの上を転げ回っていました。
いったい、何があったのでしょうか。
実は、昨日ネットオークションに出品した玉手箱が、朝起きると一億円になっていたのです。
もちろん、玉手箱そのものが一億円に変わったわけではありません。
入札金額が、一億円を超えていたのです。
「やべぇ!! 億万長者じゃねぇか!!」
阿倍野は満面の笑みを浮かべました。
昨日まで、何度捨てても戻ってくる玉手箱に悩まされていたというのに。
今では、その玉手箱が愛おしくて仕方ありません。
「あの海亀のおかげだなぁ!」
阿倍野は天井を見上げました。
「今度、海藻でも買ってやるか!」
なんとも安上がりな恩返しです。
「……いや」
阿倍野は首を傾げました。
「どこにいるか分かんねぇし、無理か。ごめんな、海亀」
一人で納得してしまいました。
「うひひひ……!」
阿倍野はスマートフォンを抱きしめます。
笑みが止まりません。
「一億円……一億円かぁ……!」
ベッドの上でごろごろと転がります。
「これで会社辞められるじゃん!!」
今まで毎日のように怒鳴られていた部長とも、おさらばです。
朝早く起きる必要もありません。
営業成績を気にする必要もありません。
毎日、好きなだけ寝て、好きなだけ釣りができます。
「……はぁ」
阿倍野はベッドに大の字になりました。
「幸せだぁ……」
なんとも幸せそうな顔です。
もっとも、まだオークションは終了していません。
当然、代金も受け取っていません。
しかし、そんなことは阿倍野にとって、どうでもよいのでしょう。
すっかり億万長者になったつもりでいました。
そんなときです。
プルルルル。
「……ん?」
スマートフォンが鳴りました。
阿倍野は画面を覗き込みます。
そこには、ある名前が表示されていました。
『デブッチョ』
「…………」
誰でしょうか。
阿倍野はしばらく画面を見つめていました。
そして、スマートフォンを耳に当てます。
「……はい?」
『ばぁぁぁっかもん!!』
「うおっ!?」
突然の怒鳴り声に、阿倍野はスマートフォンを耳から離しました。
この声。
そうです。
阿倍野の部長です。
毎日のように阿倍野を怒鳴りつけている、あの部長でした。
どうやら阿倍野は、部長の電話番号を『デブッチョ』という名前で登録していたようです。
なんとも失礼な男です。
「……はい、なんでしょうか?」
阿倍野は恐る恐る尋ねました。
『なんでしょうか、じゃないだろうが!!』
「……はい?」
『お前、昨日は何をしていたんだ!!』
「……昨日?」
阿倍野は首を傾げました。
昨日、何かあったのでしょうか。
思い当たることがありません。
『取引先に行かなかっただろうが!! この馬鹿もん!!』
「…………」
『先方から連絡が来たんだぞ! お前、いったい何を――』
プツッ。
阿倍野は電話を切りました。
「…………」
静寂。
阿倍野はスマートフォンを見つめました。
そして。
「……やべぇ。やっちまった」
思い出しました。
昨日、阿倍野は玉手箱をネットオークションに出品するため、仕事中にもかかわらず家に帰ってきたのです。
そして、玉手箱を風呂で洗い、写真を撮り、ネットオークションに出品しました。
その後、満足して眠ってしまったのでした。
「…………」
取引先。
そうです。
昨日は、取引先へ行く予定があったのです。
しかも、それは部長から任された仕事でした。
普段から営業成績の悪い阿倍野に、部長がようやく与えてくれた仕事だったのです。
それを、すっぽかしました。
「……あわ」
阿倍野の顔が、みるみる青ざめていきます。
「あわわわわわ……!!」
ベッドから飛び起きました。
「あわわわわ!! やべぇ!! やべぇって!!」
部屋の中をぐるぐると歩き回ります。
「あわわわわわ!!」
人間、本当に慌てると「あわわわ」と言うものなのですね。
もっとも、あわわわと言っても何も変わりません。
阿倍野は頭を抱えました。
「……どうすんだ、これ! 俺、クビか……?」
部長に怒られる。
それどころか、会社をクビになるかもしれません。
「……やべぇ」
阿倍野は立ち止まりました。
「…………」
しばらく考え込みます。
そして。
「……あれ?」
何かに気づいたようです。
「別によくないか?」
阿倍野はスマートフォンを見ました。
画面には、ネットオークションの入札金額が表示されています。
一億円。
「…………」
阿倍野の表情が、少しずつ変わっていきます。
「……そうだ」
一億円。
そうです。
阿倍野には、一億円があるのです。
正確には、まだ一円も受け取っていませんが。
「……俺、金持ちじゃん」
阿倍野は呟きました。
「……会社、辞めればよくね?」
なんということでしょう。
阿倍野は開き直ってしまいました。
「そうだ! 会社なんか辞めちまえばいいんだよ!!」
先ほどまでの青ざめた顔は、どこへやら。
阿倍野は再び満面の笑みを浮かべました。
「もう部長に怒られる必要もねぇじゃん!」
そして、ふと思い出します。
今まで、毎日のように怒鳴られてきたことを。
営業成績が悪いと叱られたこと。
仕事が遅いと叱られたこと。
そして、昨日のこと。
「…………」
阿倍野は拳を握りしめました。
「……最後に、あのデブを殴ってやろう」
おやおや。
何やら物騒なことを考え始めました。
「慰謝料ぐらい払ってやるよ!」
阿倍野は鼻で笑いました。
「俺は億万長者だからな!!」
どうやら、金さえ払えば何をしてもよいと思っているようです。
しかし、阿倍野はすっかりその気になっていました。
「……よし!」
ベッドから飛び降り、勢いよく立ち上がります。
「会社、行ってやるか!!」
阿倍野は鼻歌を歌いながら、着替え始めました。
いつもなら、会社へ行くことなど面倒で仕方ありません。
しかし、今日は違います。
足取りは軽く、表情も晴れやかです。
なぜなら、今日で会社を辞めるつもりだからです。
そして最後に、部長を一発殴ってやろうと心に決めていたのでした。
なんとも、おかしな覚悟です。
こうして、阿倍野浩二は意気揚々と会社へ向かいました。
部長と喧嘩をするために。
めでたし、めでたし。
……ん?
これ、本当にめでたいのでしょうか。
まあ、本人が幸せそうなので、よしとしましょう。
――おしまい。




