第三話 玉手箱、売ります
今々、あるところに。
仕事中に家へ帰った男がおりました。
阿倍野浩二です。
なぜ、阿倍野は仕事中にもかかわらず、家に帰ってしまったのでしょうか。
何か深い事情でもあったのでしょうか。
いいえ。
そんなものはありません。
ただ、玉手箱を一刻も早くネットオークションに出品したかったからです。
それだけです。
「……ふぅ、やっと帰れた」
阿倍野は玄関で靴を脱ぎ捨てると、まっすぐ寝室へ向かいました。
そして、ベッドの上を覗き込みます。
「…………」
ありました。
玉手箱です。
黒くくすんだ、古びた木箱。
今朝、出勤途中に捨てたはずの玉手箱が、何事もなかったかのようにベッドの上に置かれていたのです。
いつもなら、これを見た阿倍野は不快そうに顔をしかめるところでしょう。
しかし、今日は違いました。
「おおっ!!」
阿倍野の顔が、ぱぁっと明るくなります。
「俺の愛しの金づるぅ〜♪」
満面の笑みです。
「俺は海で亀を釣るぅ〜♪」
どうやら、歌っているようです。
「亀が吐いた箱で金を得るぅ〜♪」
しかも、ラップです。
もちろん、自作です。
結構、痛い人間です。
「いぇい!」
阿倍野は両手を広げ、得意げにポーズを決めました。
なんとも、ひどいラップでした。
しかし、本人は大満足のようです。
「……よし!」
阿倍野は玉手箱を持ち上げました。
「お前のおかげで、俺は億万長者だ!」
先ほどまで呪いの箱と呼んでいたことなど、すっかり忘れているのでしょうか。
人間の中でも、稀に見るほど現金な生き物です。
阿倍野は玉手箱をベッドの中央に置き、スマートフォンを取り出しました。
「さて……写真でも撮るか」
カメラを起動し、玉手箱に向けます。
カシャッ。
「…………」
画面を確認します。
「それにしても……汚ねぇな」
黒くくすんだ木箱。
古びた表面。
お世辞にも、高価な品物には見えません。
「……これじゃ売れないかもしれないな」
阿倍野は首を傾げました。
そして、何かを思いついたようです。
「玉手箱ぉ〜♪ お前は写真にどう映るぅ〜♪」
まだラップを続けていました。
「いぇい!」
いい加減、やめていただきたいものです。
「……ちょっと磨いたほうがいいな」
阿倍野は玉手箱を抱え、風呂場へ向かいました。
◇
「ふぅ〜……」
阿倍野は湯船に浸かっていました。
そして、その隣には玉手箱がありました。
そうです。
阿倍野は、自分の身体と一緒に玉手箱を洗うことにしたのです。
「……お前とも、もうすぐお別れか」
阿倍野は玉手箱を手に取りました。
「別れが恋しいぜ……」
つい先日まで、海へ蹴り飛ばしていた箱です。
今朝まで捨てようとしていた箱です。
それなのに、今では別れを惜しんでいます。
もっとも、明日には戻ってくると思っているのですが。
「よし。きれいにしてやるからな」
阿倍野は玉手箱を丁寧に磨き始めました。
ごしごし。
ごしごし。
「…………」
ごしごしごしごし。
「……ん?」
阿倍野は手を止めました。
玉手箱を持ち上げ、じっと眺めます。
「…………」
黒い。
相変わらず、黒くくすんでいます。
「……汚れが取れねぇ」
もう一度、磨いてみます。
ごしごしごしごし!!
「…………」
変わりません。
「……なんだよ、これ」
阿倍野は顔をしかめました。
「俺が磨いた時間返せよ」
せっかく風呂にまで入れてやったというのに、玉手箱は少しもきれいになりませんでした。
しかし、阿倍野はすぐに気を取り直します。
「……まあ、玉手箱は玉手箱だし、大丈夫か」
どれほど汚くても、玉手箱は玉手箱。
昔話に登場する、あの伝説の宝物なのです。
本物かどうかは、知りませんが。
「……よし、売ろう!」
阿倍野は玉手箱を持ち上げ、風呂場を後にしました。
◇
さて。
風呂から上がった阿倍野は、さっそくネットオークションを開きました。
商品を出品するためです。
「……写真は、これでいいか」
先ほど撮影した玉手箱の写真を登録します。
続いて、商品名です。
阿倍野は少し考えました。
「…………」
そして、スマートフォンに文字を打ち込みます。
『亀からもらった玉手箱』
なんとも怪しい商品名です。
しかし、阿倍野は大真面目でした。
「……よし!」
続いて、商品説明。
何を書けばよいのでしょうか。
阿倍野はしばらく考えました。
そして、思いつくままに入力していきます。
『海で釣った亀からもらいました。 本物の玉手箱です。 俺になついています』
「……完璧だな」
どこがでしょうか。
売れる気がしない商品説明です。
それどころか、詐欺を疑われてもおかしくありません。
しかし、阿倍野はそんなことを気にしませんでした。
詐欺?
信じたほうが悪い。
そんな考えです。
もっとも、本人も本物の玉手箱なのかどうか、どうでもよさそうですが。
そして、阿倍野は出品ボタンを押しました。
「……よし!」
無事、出品完了です。
阿倍野はスマートフォンを眺めながら、満足そうに頷きました。
「……これで俺も金持ちか」
売る。
戻ってくる。
また売る。
また戻ってくる。
これを繰り返せば、一生働かずに暮らせるというわけです。
なんとも素晴らしい計画ではありませんか。
ただし、一つ問題がありました。
「…………」
それから数時間。
阿倍野はベッドの上で、じっとスマートフォンの画面を見つめていました。
「……あれ?」
商品名。
『亀からもらった玉手箱』
商品写真。
黒くくすんだ、古びた木箱。
商品説明。
『海で釣った亀からもらいました。 本物の玉手箱です。 俺になついています』
「…………」
阿倍野の表情が、少しずつ曇っていきます。
そして。
「……こんなん、誰が買うんだ?」
ようやく気づきました。
売れなければ、何度戻ってきても意味がないのです。
「……売れないこと考えてなかったぁぁぁ!!」
阿倍野の叫び声が、部屋中に響き渡りました。
なぜ、今になって気づいたのでしょうか。
営業マンとして、商品の需要を考えることは大切なはずです。
もっとも、阿倍野は営業成績が悪く、毎日のように部長から怒られています。
そう考えれば、納得できる話かもしれません。
「……はぁ」
阿倍野はベッドに倒れ込みました。
「……まあ、いいか」
よくありません。
しかし、阿倍野は考えることをやめました。
今日は会社をサボって帰ってきたのです。
明日になれば、また部長から怒られることでしょう。
それなのに、阿倍野はそんなことなど気にも留めず、布団をかぶりました。
「……売れたら起こしてくれ」
誰に言っているのでしょうか。
もちろん、返事はありません。
こうして阿倍野は、玉手箱をネットオークションに出品し、一攫千金を夢見ながら眠りについたのでした。
めでたし、めでたし。
……ん?
おやおや。
どうやら、まだ終わりではないようです。
阿倍野が眠っている間に、スマートフォンの画面が光りました。
ピロン。
玉手箱に、入札がありました。
一円。
十円。
百円。
千円。
一万円。
十万円。
百万円。
一千万円。
そして――。
一億円。
どうやら、阿倍野の出品した玉手箱を、どうしても手に入れたい人間がいるようです。
いったい、誰なのでしょうか。
そして、なぜ、こんな汚い箱に大金を支払おうとしているのでしょうか。
残念ながら、阿倍野は何も知りません。
本人は、すやすやと眠っています。
明日の朝。
目を覚ました阿倍野は、いったいどんな顔をするのでしょうか。
それは、また次のお話。
めでたし、めでたし。
――おしまい。




