第5話 後編 ぼろ小屋の主
街の北の外れ。石畳が途切れた先に、廃屋が点々と並ぶ一角があった。
「ここが、『忘れられた通り』と呼ばれる場所だそうです」
案内役を買って出てくれたのは、ミーナだった。非番らしく、私服の淡い緑のワンピース姿だ。
「どうして、君が来てくれたんだ」
「ギルド職員として、冒険者の住居探しをお手伝いするのは、当然です」
少しだけ視線を逸らす彼女の隣で、シルファが無言で俺の腕にしがみついている。
「……あの、シルファさん?」
「何でもないわ」
何でもない、という声の温度が、やけに低い。
(この二人、何かあったか?)
首を傾げつつ、ミーナの案内で、何軒かの廃屋を見て回った。屋根が抜けているもの、壁が崩れているもの。どれも一筋縄ではいかなそうだ。
最後に案内されたのは、通りの突き当たりにある、小さな平屋だった。
石造りの壁に、苔が這っている。窓は板で塞がれ、扉は蝶番が外れかけていた。それでも、屋根はしっかりしていて、基礎も頑丈そうだ。
「ここは、もともと薬師のおばあさんが住んでいた家です。亡くなってから、十年ほど空き家のままで。持ち主は、隣のお宅のオルガさんですね」
「隣?」
見ると、隣の小さな家の窓から、白髪の老婆が顔を覗かせていた。
「何だい、買い手かい」
「はい。冒険者のレイジといいます」
「こんな崩れかけの家を? 物好きだねえ」
オルガと名乗る老婆は、窓から身を乗り出して、俺たちをじろじろと眺めた。
「家賃は、月に銀貨三枚でいいよ。直したけりゃ、勝手に直しな。ただし、壊したら弁償だよ」
「ありがとうございます。それで構いません」
「それと」
老婆は、シルファを指差した。
「そこの嬢ちゃん、耳を隠さなくていいよ。私の目は、もう曇ってるからね」
シルファが、びくりと身を強張らせた。
「見えて、いない、のですか」
「半分はね。ただ、見えなくても、わかることはあるさ。この辺じゃ、よくあることだよ」
老婆は、にやりと笑った。
「困ったことがあったら、隣の婆さんを頼りな」
「……はい。ありがとうございます」
シルファは、小さく頭を下げた。その肩から、ほんの少しだけ、力が抜けているのがわかった。
ミーナが帰ったあと、俺たちは、さっそく掃除に取りかかった。
工具の類は、まだ板に鍵がかかっている。だが、日用品で十分だ。
『ほうき&ちりとり 銅貨 1 枚』
『雑巾 10枚入り 銅貨 1 枚』
『バケツ 銅貨 1 枚』
『住宅用洗剤 銅貨 1 枚』
『ブルーシート 銅貨 2 枚』
次々と購入して、窓の板を外し、床の埃を掃き、壁の苔を擦り落としていく。シルファは、慣れない手つきで雑巾をしぼり、窓枠を磨いた。
「この洗剤、すごい。擦るだけで、汚れが浮いてくる」
「だろ」
「……私、掃除って、あまりしたことがなかったの」
「貴族のお嬢様か?」
何気なく言ったつもりだった。
シルファの手が、止まった。
「……そう見える?」
「いや、冗談だ。悪い」
「ううん。いいの」
彼女は、小さく笑って、また雑巾を動かし始めた。
「いつか、話すわ。ちゃんと」
「ああ。待ってる」
日が暮れる頃には、居間と寝室の二部屋が、見違えるほど綺麗になっていた。穴の空いた屋根はブルーシートで塞ぎ、床には、板で買った厚手の敷物を広げた。
「これで、ひとまず雨は凌げそうだ」
「すごい。昨日まで、ただの廃屋だったのに」
壁にもたれて座り込んだシルファが、満足げに息を吐く。
「……ねえ、レイジ。ここが、私たちの家、なのよね」
「ああ。そうなるな」
「そう。……ふふ」
彼女は、ふにゃりと笑った。
俺は、黒い板を取り出した。ちょうど、画面が淡く光っていた。
『お届け先:登録が可能です』
『現在地を、お届け先に登録しますか?』
「登録?」
迷わず、『はい』を押した。
『登録が完了しました。この建物の内部は、お届け範囲に含まれます』
「……配達範囲が、家全体に広がったってことか」
これで、半径十メートルの縛りを気にせず、家の中のどこにでも商品を届けられる。便利な機能だ。
そして、板の下のほうに、新しい文字が一行だけ増えていた。
『ようこそ、お帰りなさいませ』
「……お帰りなさい、か」
誰に、何を、言われているのか。
得体の知れない板だが、この言葉だけは、どこか、温かかった。




