第4話 後編 鳴子と月夜
夜も更けた頃、俺は寝袋の中で目を覚ました。
隣で眠っているはずの、シルファの気配がない。
「……起きてるか」
小声で呼びかけると、テントの入口から、囁きが返ってきた。
「静かに。来てるわ」
のそりと起き上がって、入口の隙間から外を窺う。
月が雲に隠れ、森が墨のように黒い。シルファはテントの入口に身を寄せ、弓を握り締めていた。
「何が」
「足音が、六つ。二つは、少し離れてる。……ゴブリンの偵察ね」
俺には、風が梢を揺らす音しか聞こえない。
「何分後だ」
「たぶん、もう少し。野営地を囲もうとしてる」
「わかった」
夕方のうちに、準備はしておいた。
テントの周囲、膝の高さに、釣り糸を張り巡らせてある。その糸の端には、空になったカップ麺の容器と、缶詰の空き缶を括りつけておいた。簡易的な鳴子だ。
カラン。
静寂を破って、乾いた音が響いた。
「そこだ」
俺はテントから飛び出し、右手のLEDライトを点けた。
白い光が、闇を貫く。
灰緑色の肌。尖った耳、黄色く濁った目。粗末な棍棒を握ったゴブリンが、光の中で身を竦めた。
「ギャッ!?」
「今だ、シルファ!」
「ええ!」
テントの影から、鋭い風切り音が一つ。
矢が、先頭のゴブリンの肩を貫いた。続けて二射目。三射目。
彼女の動きには、一切の無駄がなかった。構え、引き、放つ。その間に呼吸すら乱れない。森の民の技は、噂以上だった。
光に目を焼かれた別の二匹が、鳴子に足を取られて転倒した。そこへ、俺が剣を振り下ろす。
「……っ!」
手応えは、重い。だが、動けない相手なら、俺の腕でも仕留められる。
残りの三匹は、仲間が倒れるのを見て、棍棒を放り出して逃げ出した。
「逃がさない」
シルファが矢をつがえた。弦が鳴る。闇の奥で、短い悲鳴が上がり、それきり静かになった。
森に、風の音だけが戻ってきた。
「……終わった?」
「ええ。たぶん、全部」
肩で息をしながら、彼女は弓を下ろした。額に汗が浮かんでいる。それでも、口元には、満足げな笑みがあった。
「どう? 少しは、役に立てた?」
「少しどころじゃない。完璧だった」
「よかった」
小さく息を吐いて、シルファは、ぺたりと座り込んだ。
「ちょっと、疲れた。弓を引くの、久しぶりだったから」
「無理するな。残りは俺が片付ける」
ゴブリンの亡骸を調べる。討伐証明の耳を切り取り、持ち物を確認した。
ほとんどは、粗末な棍棒と、腰布だけだった。
だが、先頭にいた一匹の背負い袋の中身で、俺の手が止まった。
「これは」
縄と、鉄の輪。
手枷だった。
しかも、新品に近い。ゴブリンが自分で作れる代物ではない。
「レイジ? どうしたの」
「……いや」
咄嗟に、袋の口を閉じた。
シルファの手首の、赤黒い擦れ跡が、頭をよぎった。
「何でもない。ただの、ガラクタだ」
「そう」
彼女は何かを感じ取ったように、じっとこちらを見ていたが、やがて、静かに目を逸らした。
(ゴブリンが、手枷を持ち歩く理由はなんだ)
誰かが、ゴブリンに持たせたのか。あるいは、ゴブリンが、どこかから奪ったのか。
どちらにせよ、この件は、まだ、シルファには話さないほうがいい。
夜が明けるまで、俺はほとんど眠れなかった。
朝焼けの中、俺たちは街に向けて歩き出した。
「ねえ、レイジ」
「ん?」
「昨日の夜、私に何か隠したでしょう」
足が止まりかけた。
「……鋭いな」
「当たり前。私は耳がいいのよ」
シルファは、前を向いたまま言った。
「話したくなったら、話して。でも、一人で抱え込まないで」
「……ああ。わかった」
「約束よ」
差し出された小指に、俺は少し戸惑ってから、自分の小指を絡めた。
「これは、指切りっていう、俺の国の約束の仕方だ」
「ふうん。おもしろい」
彼女は嬉しそうに、絡めた指を揺らした。
板が、胸元でわずかに光った。
『お客様の評価:★ 1.5』
---




