第4話 前編 森へ行く支度
翌朝、俺は宿の床で黒い板を睨んでいた。
『お客様の評価:★ 1.2』
『所持金:銀貨 3 枚 銅貨 8 枚』
昨夜の報酬を預けて、残高は銅貨換算で三十八枚。解放された『アウトドア』のカテゴリーには、見ているだけで楽しくなる商品が並んでいる。
「レイジ、何をにやにやしているの?」
ベッドの上で、シルファが半眼でこちらを見ていた。寝癖で銀髪がところどころ跳ねている。
「にやにやしてない」
「してた」
「……ちょっとだけな」
ギルドで受けたい依頼がある、と俺は切り出した。
「街道脇の森に、ゴブリンの偵察隊が出るらしい。放っておくと近くの村が襲われる。報酬は銀貨五枚。ただし一泊の野営が必要だ」
「野営なら慣れてるわ。私は森の民だもの」
「そいつは心強い。ただ、俺たちには道具が足りない」
銅貨を十枚、板に預ける。表示された商品の中から、慎重に選んでいった。
『二人用ドームテント(軽量タイプ) 銅貨 10 枚』
『寝袋 冬用×2 銅貨 8 枚』
『小型ガスコンロ+ボンベ 銅貨 5 枚』
足りない分を預け足して、確定ボタンを順に叩く。
部屋の床に、畳まれたテントと寝袋、小さな箱が次々と現れた。
「……これが、テント? こんなに小さいの?」
シルファは袋に入ったテントを持ち上げ、しきりに首を傾げている。
「広げれば二人で寝られる。骨組みは軽い金属だ」
「金属が、こんなに軽いなんて」
「俺の国の技術ってことにしておいてくれ」
彼女はじとりと俺を見たが、何も言わずに寝袋の手触りを確かめ始めた。やがて、ほう、と息を漏らす。
「ふかふか。……ねえ、これ、今夜から使えない? 森に行く前に」
「宿の床で寝るのは、さすがにもう勘弁してくれ。野営の前に、一度テストするか」
そう言うと、彼女の耳がぴくりと跳ねた。
出発前に、街の道具屋に寄った。
軒先に、使い古された短弓が立てかけてある。弦は新しく張り替えられていて、手入れも悪くない。
「これ、いくらだ」
「古い狩猟用だよ。銀貨一枚でいい」
シルファは弓を手に取り、弦を軽く引いた。立ち姿が、急に別人になった。
「……いい弓。少し固いけど、癖がない」
「使えるか?」
「ええ。魔力を封じられていても、弓なら誰にも負けないわ」
誇らしげな横顔に、迷いはなかった。銀貨一枚を払い、矢筒を足して、俺たちは街を出た。
森までは、歩いて半日ほどだった。
街道脇の木々が深くなるころ、日が傾き始めていた。俺たちは小さな沢の近くを野営地に決めた。
「ここなら、水が確保できるし、見通しもいい」
「地面が少し傾いてる。もう一歩、右ね」
シルファの助言通りにテントを張る。広げると、慣れない骨組みに悪戦苦闘した。彼女は面白がって、俺の手元を覗き込んでいる。
「そこ、そのしなる棒を通すんだ」
「こう?……わっ」
ぼふん、とテントが膨らんだ。
「立った! 立ったわ、レイジ!」
子供みたいにはしゃぐ彼女を見ていると、こちらまで頬が緩む。
日が落ちた頃、俺はコンロに火を灯した。青い炎が、ぼっと音を立てて立ち上がる。
「火の魔石を、使ってるの?」
「ガスっていう、燃える気体だ。細かいことは、聞かないでくれ」
沢の水を小鍋で沸かし、板で買った『カップ麺 醤油味 銅貨 1 枚』の蓋を開けて、お湯を注いだ。
「三分、待つんだ」
「三分」
シルファは小さな容器を、じっと見つめた。耳が、すこしずつ前に傾いていく。
「……いい匂い」
「そうだな」
「まだ?」
「まだ一分だ」
「まだ?」
「二分半」
彼女はそわそわと膝を揺らし、俺は懸命に笑いをこらえた。
三分。蓋を剥がして、割り箸を渡す。
「はい、どうぞ。熱いから、気をつけろ」
「……いただきます」
一口すすって、彼女の動きが止まった。
「……おいしい」
「だろ」
「細くて、のびやかで、塩気があって、でも優しい味。レイジの国のひとは、毎日こんなものを食べているの?」
「毎日ではないが、まあ、よく食べる」
「うらやましい」
真剣な口調で言われて、噴き出しそうになった。
星空の下、青い炎と、湯気と、小さな幸せがそこにあった。




