第3話 後編 夜の畑の光
夕暮れまでに、俺は一度宿へ戻った。
シルファは、言われた通りに休んでいたらしく、顔色はだいぶよくなっていた。カイロを握ったまま居眠りしていたらしく、俺が入ると、慌てたように耳を立てた。
「お、おかえりなさい」
「ただいま。今夜は、一緒に来てもらう。見張り小屋で待っているだけでいい」
「戦わなくて、よいのですか?」
「今日は、観客でいてくれ」
彼女は少し不満そうだったが、「わかりました」と小さく頷いた。
レインコートの上に、宿の主人から借りた古い外套を羽織らせる。見た目は田舎の少女だ。街外れの畑なら、人目も少ない。
月が高く昇る頃、俺たちは、ハンスの畑の見張り小屋に身を潜めていた。
扉の隙間から、夜の畑が見える。白い月明かりが、整然と並んだ畝を照らしていた。風が草を揺らす音以外、何も聞こえない。
「……来ます」
小声でそう言ったのは、シルファだった。
「え?」
「左手、森のほうから。足音がたくさん。二十……いえ、もう少し多いです」
俺には、何も聞こえない。
だが数十秒後、畑の端の暗がりから、小さな影がぽつぽつと現れ始めた。
灰茶色の毛並み。額から伸びる、短剣ほどの長さの白い角。
ホーンラビットの群れだった。
「……本当に、いた」
彼らは慣れた様子で畝に散らばり、野菜を引き抜き始めた。ざっと見て、十五匹以上。かじる音が、夜気の中にやけに大きく響く。
「どうするのですか?」
「待て。もう少し、畑の真ん中に集まるまで」
息を殺して、タイミングを計った。
やがて、群れの大半が畝の中央に寄ってきたところで、俺は小屋の扉を静かに押し開けた。右手にはライト、左手には剣。
スイッチに指をかける。
(営業の基本は、最初のインパクトだ)
カチ。
白い光が、闇を切り裂いた。
夜が昼になったかと思った。
細く絞った光の束が、畑の中央を一直線に照らす。ホーンラビットたちの目が、一斉に光を反射して、緑色に輝いた。
「キュッ!?」
十五匹が、同時に動きを止めた。
夜行性の目に、いきなりの強い光は致命的だ。動物が車のライトで固まるのと同じ理屈である。
「よし」
俺は走り出した。
動けないウサギに、剣を振り下ろす。
一匹、二匹。普段なら、突進をかわすだけで精一杯の相手が、ただの的になる。
「ギ、ギキィッ!」
何匹かが、光から逃れようと跳ね回り始めた。ライトを小刻みに左右へ振ると、連中は方向感覚を失って、互いにぶつかり合う。
(効果は絶大だな……)
だが、三匹目を仕留めたとき、背後で、シルファの鋭い声が上がった。
「レイジさん、右後ろです!」
反射的に振り向く。
光の外から、ひときわ大きな影が、猛然とこちらへ駆けてきていた。他の個体の倍はある体格。角も長い。群れのボスらしい。
光は他の連中に向けたままだ。間に合わない。
「っ……!」
剣を構える暇もなかった。
その瞬間、風を切る音がして、小さな石が、ボスの眉間に突き刺さった。
「ギャッ」
ボスがもんどり打って転がる。
小屋の入口に目をやると、シルファが投擲の姿勢のまま立っていた。右手には、もう一つの石が握られている。
「……すみません。つい」
「いや。助かった」
俺はライトをボスに向け、倒れた巨体に剣を突き立てた。それを合図に、残りの群れが、光と悲鳴の中を散り散りに逃げていった。
静けさが戻ったとき、畑には十七本の角が転がっていた。
「す、すごい……!」
小屋に戻ると、ハンスが戸口で目を丸くしていた。夜明け前から様子を窺っていたらしい。
「一晩で、こんなに片付けてもらえるとは。恩に着る」
「いえ。事前に準備してきただけです」
報酬の銀貨二枚に、追加分の銅貨十七枚。さらにハンスは、「持ってけ」と言って、大根と芋を袋いっぱいに詰めてくれた。
「また、頼むかもしれん。その、あの光る道具は、一体」
「企業秘密です」
営業の笑顔で、さらりと流した。
帰り道、夜明け前の薄青い空の下を、俺とシルファは並んで歩いた。
彼女はしばらく黙っていたが、やがて、おずおずと口を開いた。
「レイジさん。さっきの光は、光魔法ですか?」
「いや。ただの道具だ」
「でも、詠唱もなく、魔力の流れも感じませんでした。あんなに強い光なのに」
「そうか」
「それに、あのカイロも、お菓子も、あの缶のスプレーも。……ぜんぶ、この世界のものではない気がします」
足が止まった。
シルファは、まっすぐに俺を見ていた。責めるのでも、怖がるのでもない、静かな目だった。
「あなたは、普通の人間では、ないのですね」
「……さあな」
否定も、肯定も、できなかった。
自分でも、よくわかっていないのだ。この板のことも、自分が転生者だということも。
「でも、聞きません」
彼女は、小さく首を振った。
「助けてもらった身で、詮索はしません。話したくなったら、そのときに、聞かせてください」
「……ありがとう」
朝焼けの光が、彼女の銀髪を淡く染めていく。
しばらく歩いたあと、ふと、シルファが足を止めた。
「ねえ、レイジさん」
「ん?」
「次は、私も戦っていい? もう、ただ守られてるだけは、嫌なの」
あまりにも自然に出た言葉に、俺は一瞬、反応が遅れた。
シルファ自身も、一拍遅れて、はっと口を押さえた。
「あ……し、失礼しました。つい」
「いや」
自然と、笑みがこぼれていた。
「それでいい。そのほうが、ずっといい」
「……では、遠慮なく」
シルファは、少し照れたように耳を伏せて、それでも嬉しそうに微笑んだ。
宿に戻り、報酬を黒い板に預けたときだった。
画面が、ふわりと光った。
『お客様の評価が更新されました:★ 1.2』
『新しいカテゴリー「アウトドア」が、ご利用いただけるようになりました』
ホーム画面の灰色のカテゴリーの一つで、小さな鍵が、かちりと音を立てて外れた。
「……条件ってのは、評価のことか」
板の下のほうに、昨夜と同じ、新しい文字が一行だけ浮かんでいた。
『商品のご評価、ありがとうございます。持ち主様の次のご活躍を、お待ちしております』
(誰が、俺を評価してるんだ?)
その疑問に、板は、何も答えてくれなかった。




