第3話 前編 朝のぬくもり
窓の隙間から差し込む朝日で目が覚めた。
床に毛布を敷いて寝ていたせいで、背中が固まっている。ベッドは一つしかないので、当然、シルファに譲った。
「おはようございます、レイジさん」
小さな声がした。彼女はもう起きていて、ベッドの端で膝を抱え、毛布を肩まで引き上げていた。唇が、少し青い。
「寒いのか」
「いえ、大丈夫です。……少しだけ」
季節は晩秋らしい。安宿の壁は薄く、朝は吐く息が白くなる。衰弱した体にはこたえるだろう。
俺は黒い板を取り出した。残高は銅貨四枚。『日用品』のカテゴリーを開き、目当てのものを探す。
『使い捨てカイロ 10個入り 銅貨 2 枚』
確定すると、薄い袋が毛布の上に落ちた。一枚取り出して、外袋を破る。
「これを、手で揉んでから持ってみてくれ」
「揉む、のですか?」
言われた通りに、シルファは白い小袋をむにむにと揉んだ。しばらくして、その手がぴたりと止まる。
「……あたたかい」
「だろ?」
「火の魔石、ですか? でも、魔力は感じません」
「鉄が錆びるときの熱らしい。俺も詳しくは説明できないけどな」
「錆びる……」
彼女は首を傾げたまま、カイロを両手で包み込んだ。ぴんと張っていた長い耳が、ゆるゆると垂れていく。
(わかりやすい)
笑いそうになるのをこらえて、もう一枚を彼女の背中側に貼ってやった。
「ひゃっ」
「悪い、説明が先だったな。服の上から貼るやつだ」
「い、いえ……すごく、楽になりました」
安心したように息を吐く姿を見て、俺は少しだけ報われた気分になった。
朝食は、昨日の黒パンの残りと干し肉だ。それだけでは寂しいので、もう一つだけ試してみることにした。
『カロリーバー チョコレート味 銅貨 1 枚』
「これは、食べ物だ。甘いぞ」
細長い箱から取り出した一本を渡すと、シルファは包装を不思議そうに眺め、俺の真似をして端から破った。
小さくかじる。
動きが止まった。
「…………」
「どうだ?」
「……あまい」
目が、これ以上ないほど見開かれていた。
「あまい、です。とても。それに、いい匂いが」
「気に入ったか」
「はい。あの、こんな貴重なものを、私が頂いても」
「朝飯だ。遠慮するな」
彼女は小さく頷くと、一口ずつ、惜しむように食べ始めた。三口目で耳が上下に揺れ始め、俺は見なかったふりをした。
(営業時代の経験上、商品の良さを一番伝えてくれるのは、本物の反応だな)
残高は銅貨一枚。今日は、稼がないといけない。
「ギルドに行ってくる。シルファは、ここで休んでいてくれ」
「私も、行けます。戦うことも」
「まだ本調子じゃないだろ。枷を外されて、まだ三日も経ってない」
痛いところを突かれたのか、彼女は黙った。魔力を封じられていたせいで、体の調子が戻りきっていないのだと、昨夜聞いている。
「その代わり、今夜は一緒に来てもらうかもしれない。夜の依頼を取るつもりだ。昼間のうちに、体を休めておいてくれ」
「……はい。わかりました」
「宿の主人には、妹が風邪気味だと言ってある。誰か来ても、扉は開けるなよ」
渋々といった様子で頷く彼女に手を振り、俺は宿を出た。
朝のギルドは、いつもの喧騒に包まれていた。
掲示板の前には、低ランクの冒険者たちが群がっている。俺は人波の後ろから眺めて、残っている依頼を一つずつ確認した。
(人気のあるものは、もう取られてるな)
そのとき、聞き慣れた声が背中に刺さった。
「おい、荷物持ち。まだ街にいたのか」
振り返ると、酒場の席に『赤牙』の面々が座っていた。ボルクは腕を組み、その横では槍使いのダインが、眠そうな顔で欠伸をしている。
「ああ。お陰様でな」
「ふん。せいぜい薬草でも摘んでろ」
ボルクは鼻で笑ったが、ダインが小声で愚痴をこぼしているのが耳に入った。
「……昨夜の野営、飯が冷たかったよな。誰が火の番だっけ」
「うるせえ。今日は俺が見る」
どうやら、俺がいなくなった穴は、早くも出始めているらしい。
(まあ、俺が気にすることでもない)
踵を返して、受付へ向かう。
「おはようございます、レイジさん」
昨日と同じ亜麻色の髪の受付嬢が、笑顔で迎えてくれた。ミーナだ。
「おはよう。今日の依頼で、何か残ってるものはあるか」
「そうですね……あ、一つだけ。ただ、あまりお勧めできないんですけど」
彼女は引き出しから、一枚の依頼書を取り出した。
『畑荒らしのホーンラビット駆除
依頼主:街外れの農夫ハンス
報酬:銀貨 2 枚(討伐証の角一本につき、銅貨 1 枚を追加)
備考:夜間、数が多い。怪我人あり』
「夜に出る魔物なので、冒険者さんが皆さん嫌がってしまって。もう五日も残っているんです」
「ホーンラビットは、強いのか?」
「一匹なら、大きな犬くらいです。でも群れで突進してくると、角で足を刺される方が多くて」
銀貨二枚。討伐数に応じた追加報酬もある。
(夜間、危険、不人気。……つまり、競争相手がいない)
営業の勘が、そう囁いた。
「受けよう」
「え? お一人で、ですか?」
「大丈夫だ。ちょっと、道具を用意してある」
ミーナは何か言いたげに唇を動かしたが、結局、小さくため息を吐いて、書類に判を押した。
「……無理は、しないでくださいね」
農夫のハンスは、日に焼けた五十がらみの男だった。街外れの畑の脇にある、粗末な見張り小屋の前で、俺を待っていた。
「一人かい。大丈夫なのか」
「ええ。夜を待って、様子を見ます。それと」
俺は少し間を置いて、営業の笑顔を作った。
「道具代として、前金を少し頂けませんか。駆除の効率が、かなり変わるので」
ハンスは疑わしげな顔をしたが、懐から銅貨を五枚、手のひらに乗せてくれた。
「これで足りるのか」
「十分です」
小屋の窓から畑を見渡す。月が昇れば、あの畝のあたりに奴らが現れるらしい。
俺は黒い板を取り出し、銅貨を滑り込ませた。残高の欄が、六枚に増える。
『日用品』の中の、『アウトドア・防災』のコーナー。そこに、探していたものがあった。
『強力LEDライト(予備電池付き) 銅貨 5 枚』
夜を待つ時間が、急に楽しみになった。




