第2話 後編 銀貨一枚の夜
ギルドに駆け込んだのは、閉まる直前だった。
受付カウンターには、見慣れた顔の受付嬢が座っていた。亜麻色の髪を後ろでまとめた、二十歳前後の女性だ。
「あら、レイジさん。今日はもう戻らないかと思っていました」
「薬草の依頼を達成してきた。確認を頼む」
袋を逆さにして十束をカウンターに並べる。受付嬢は一つずつ手に取り、手際よく数えていった。
「……はい、状態もいいですね。銀貨一枚です。第一層でこんなに綺麗に採れる人は、珍しいですよ」
「ありがとう。それと、一つ報告がある」
声を落とした。
「第一層で、グレイウルフの群れに遭遇した。四匹以上だ」
受付嬢の手が止まった。
「……本当ですか? グレイウルフは、本来は第三層以降のはずですが」
「ああ。罠でも張って、何とか逃げ切った。第一層の依頼は、しばらく控えさせたほうがいい」
「わかりました。すぐに調査班に連絡します」
彼女は真剣な顔で頷いて、それから、ふっと表情を緩めた。
「無事に戻ってこられて、本当によかったです。……あ、そういえば、レイジさん。『赤牙』のパーティーから外れたと、噂で聞きました」
「耳が早いな」
「冒険者のゴシップは、ギルドの一番の娯楽ですから」
苦笑いが漏れた。
酒場のほうを振り返ると、確かに数人がこちらを見ていた。あの無能がまだ生きていた、という顔だ。
「あの」
受付嬢が少し声を落とした。
「パーティーを外れても、依頼はいつでも受けられますからね。何かあれば、私に言ってください。ミーナと言います」
「……ありがとう。覚えておく」
銀貨を握りしめ、ギルドを出た。
パン屋に寄って、固めの黒パンと干し肉を買った。残りの銅貨で、宿の前払い金を二人分確保する。
小屋に戻ると、シルファは言われた通り、扉の内側で静かに座っていた。
「待たせたな。夕飯だ」
「あ……ありがとうございます」
黒パンを受け取った彼女は、両手でそっと持ち、ためらいがちに口をつけた。
「……硬いです」
「だよな。俺も正直、まだ慣れない」
顔を見合わせて、二人で小さく笑った。
それから、人通りの少なくなった路地を選び、宿へ向かった。黄色いレインコート姿の少女に好奇の視線が向けられたが、「雨が降りそうだから」と言い張って、何とか押し通した。
宿の主人には、「妹が迷子になっていた」と説明した。疑わしげな顔をされたが、追加の銅貨で口を閉じてくれた。
狭い部屋に入り、ようやく一息つく。
シルファは部屋の隅にちょこんと座り、レインコートのフードを恐る恐る外した。
「……レイジさん。重ね重ね、ありがとうございます」
「礼はもういい。それより、少し真面目な話をさせてくれ」
俺は懐から黒い板を取り出した。
「この板のことを調べたい。君にも見えるか?」
「……はい。見たことのない文字が、たくさん浮かんでいます」
「やっぱり、俺にだけ読める文字じゃなさそうだな」
シルファの目には、日本語が別の文字に見えているらしい。後で確かめる必要がありそうだ。
画面を操作して、『ご利用ガイド』の項目を開いた。
『所持金のご登録:この世界の通貨を端末に預けることで、商品をご購入いただけます』
『お届け:ご注文確定後、ただちに持ち主様の手元へお届けします』
『お届け範囲:持ち主様の半径十メートル以内』
『ご利用に関するご案内:一部のカテゴリーは、条件を満たすまでご利用いただけません』
「条件、か」
ホーム画面に戻ると、確かに、いくつかのカテゴリーが灰色に表示されている。『家電』『工具』『医薬品』『特別』。どれも触れようとすると、小さな鍵のマークが出るだけだった。
「ひとまず、日用品と食料品だけってことか」
そして、その下に、もう一つの項目があった。
『お客様の評価:★ 0.0 (購入履歴が少ないため、評価はまだ算出されません)』
「評価制度まであるのか……ますます、ただの通販サイトだな」
だが、ただの通販サイトが、ダンジョンの壁に埋まっているはずがない。
画面の隅の『所持金』欄には、さっき宿代を払って残った、銅貨が数枚だけ。それでも、明日からの生活は、確実に変わる。
「シルファ」
「はい」
「君さえ良ければ、しばらく俺と一緒にいてくれ。ここなら、奴隷商人もすぐには追ってこないだろう」
彼女の赤い瞳が、大きく見開かれた。
「……よろしいのですか?」
「ああ。ただし、一つだけ頼みがある」
「何でしょう?」
「その敬語、そのうち外してくれ。堅苦しいのは、前の職場だけで十分だ」
シルファは目を瞬かせ、それから、小さく、ほんの少しだけ笑った。
「……考えておきます。レイジさん」
窓の外では、夜の街がゆっくりと静まっていく。
膝の上の黒い板が、ふと、淡く光った。
灰色のカテゴリーの一番下。さっきまでなかったはずの、小さな文字が、ひとつだけ増えていた。
『――ようこそ、新しい持ち主様』




