第23話 前編 資料室の灯
教会区は、街の北西にあった。
石畳の道の両脇に、灰色の尖塔が並んでいる。雪が薄く積もり、鐘の音だけが、静けさの中に響いていた。
「では、行ってまいります」
セレスは、ベルトランの紹介状を懐に入れ、白樺屋の門の前で振り返った。
「夕刻までに戻らなければ、手筈通りに」
「ああ。ただし、戻ってこい」
「善処……いえ」
彼女は、言い直した。
「戻ります。約束です」
灰色の外套の背中が、雪の向こうへ遠ざかっていく。隣で、シルファが、小さく息を吐いた。
「……行っちゃった」
「心配か」
「少しだけ。でも、あの人なら、きっと大丈夫」
「珍しいな。信頼してる」
「してないわ」
即答だった。
「ただ、あの人が失敗するところは、想像できないだけ」
その頃、セレスは、旧教会区の資料室の前に立っていた。
「白樺屋の紹介で参りました。ハーデル男爵家の家政係、セレスと申します」
応対に出たのは、白い法衣の老司書だった。
「男爵家の方が、何用ですかな」
「古い織物の文様について、調べております。聖堂の祭具に、同じ意匠があると聞きまして」
紹介状に、白樺屋の印が押されている。老司書は、しばらく眺めてから、頷いた。
「教会御用達の紹介なら、断れませんな。ただし、閲覧は、二時間まで。持ち出しは、禁止です」
「承知しました」
通された部屋は、天井まで届く書架に埋め尽くされていた。
セレスは、一冊ずつ背表紙を追った。古い言語。聖典。典礼の記録。
(板に関する記述は、聖遺物の項目に、あるはず)
三十分ほどで、それらしい巻を見つけた。
『聖遺物目録 第四巻』
頁をめくる指が、止まった。
『黒き板 ―― 異界の民の、願いを映す鏡』
『三つの鍵により、封印は解かれ、板は、真の姿を現す』
『持ち主は、鍵を集める者。ただし、板が真の姿を現したとき、持ち主の、最も大切な「縁」が、代償として、失われる』
「……代償」
息を呑んだ。
さらに、頁の余白に、細い字で、書き込みがあった。
『マレン殿へ。決して、三つ目の鍵を、開けてはならない。――教会司祭長 ガルシア』
(マレン。前の持ち主の、名前)
背後で、扉の開く音がした。
「お探しのものは、見つかりましたかな」
振り返ると、さきほどの老司書が、静かに立っていた。
その目は、もはや、穏やかではなかった。




