第20話 後編 捕らえた男
「くそ、退け! 一度、退け!」
赤い光の向こうで、誰かが叫んだ。
「後退だ! 囲みを、崩すな!」
だが、遅かった。
ブザーの音が、まだ林に鳴り響いている。方向感覚を失った連中は、互いにぶつかり合い、味方の矢で脚を射られる者まで出た。
「同士討ちを、始めたわね」
「想定以上だな」
俺は、ライトを点けて、前へ出た。白い光が、赤い炎と混ざって、林の中を昼のように照らす。
「武器を捨てろ。ここで、全員を相手にする気はない」
「……ふざけるな」
残った数人が、剣を構えた。
そのとき、荷馬車の下から、小さな影が飛び出した。
「レイジさん、後ろ!」
ティオだった。
反射的に身を捻る。背後の茂みから、短剣を握った男が、音もなく迫っていた。
刃が、頬をかすめる。
「……っ」
「死ね!」
男が、二撃目を振りかぶった。
その瞬間、ティオが、手に持っていたホイッスルを、ありったけの息で吹いた。
ピィィィィィィッ!
至近距離の鋭い音に、男が、一瞬、怯んだ。
「今です、姉さん!」
「よくやったわ、ティオ!」
矢が、男の手首を貫いた。短剣が、地面に落ちる。
俺は、男に体当たりして、組み伏せた。腕を捻り上げ、板で買った結束バンドで、手首を縛る。
「ぐ……放せ……」
「大人しくしろ。聞きたいことがある」
周りを見回すと、残りの連中は、すでに、林の奥へ逃げ去っていた。倒れたまま動けない者が、四人。そのうち三人は、仲間に見捨てられた形だ。
静けさが戻った。
ブザーが、ようやく、電池切れで止まった。
「……耳が、ガンガンする」
シルファが、顔をしかめて、耳をさすっている。
「ごめん。後で、ココアを、特別に濃く作る」
「約束よ」
「約束だ」
荷馬車の下から、セレスが、そろそろと出てきた。
「お見事でした。……あの、ティオ君も」
「えへへ」
少年は、顔を真っ赤にして、耳を伏せた。
「怪我人は?」
「俺の頬が、少し切れた程度だ。みんな、無事だな」
「ええ」
シルファが、傷口を見て、眉を寄せた。
「また、怪我してる」
「かすり傷だ」
「前も、そう言った」
「……前も、かすり傷だった」
「ばか」
彼女は、救急箱から、絆創膏を出して、貼ってくれた。指先が、少し震えている。
「怖かったのか」
「怖くないわ。ただ」
「ただ?」
「あなたが、死んだら、嫌だっただけ」
小さな声だった。
聞こえなかったふりをして、俺は、捕虜のほうへ向き直った。
縛られた男は、三十代半ば。右手の甲に、青い刺青はない。代わりに、首筋に、小さな印が焼き付けられていた。
「青印じゃ、ないな」
「……雇われだ」
男は、観念したように、口を開いた。
「金で、動いてる。俺たちは、ガレンハルトの、傭兵ギルドの者だ」
「依頼主は」
「『灰青商会』。それ以上は、知らん」
セレスが、静かに、前へ出た。
「灰青商会の依頼内容は、何でしたか」
「『黒い板を持つ男を、生け捕りにしろ』。それだけだ。殺すな、とも言われた」
「生け捕り……」
シルファの肩が、わずかに強張る。
「その板を、どうするつもりだったんだ」
「知らねえ。ただ、『総督閣下が、お待ちだ』とだけ」
「総督が」
俺は、セレスと目を合わせた。
「それと、もう一つ」
男は、苦い顔で続けた。
「ガレンハルトの城門は、もう、見張られてる。灰青商会の私兵と、教会の聖騎士団が、同じ人間を、探してる。鉢合わせして、小競り合いまで、起きてるって話だ」
「教会も?」
「ああ。『黒い板は、教会の聖遺物だ』と、言い張ってる」
聖遺物。
またひとつ、わからない言葉が増えた。
「教会は、板を、どうしようとしてるんだ」
「さあな。回収して、封印する、って噂は聞いた」
男は、ふいに、小さく笑った。
「あんた、とんでもないものを、拾ったもんだな。商会も、教会も、青印も、みんな、あんたを、欲しがってる」
「……そうか」
「逃げたほうが、いいぜ」
「逃げる気は、ない」
男は、目を見開いて、それから、肩をすくめた。
「馬鹿だな」
「よく、言われる」
捕虜は、近くの宿場の衛兵に、引き渡すことにした。名前と、依頼の経緯を記した書類を、セレスが、手早く作成した。
「これで、ガレンハルトの傭兵ギルドにも、通達が行くはずです。あちらも、商会の依頼を、無条件で受けるわけにはいかなくなります」
「相変わらず、手回しがいいな」
「恐れ入ります」
セレスは、口元を、ほんの少しだけ緩めた。
その夜は、結局、誰も眠れなかった。
明け方、板が、そっと光った。
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