第19話 後編 街道の夜
出発の朝、オルガが、玄関先で待っていた。
「行っといで。帰ってきたら、スープを、作ってやる」
「必ず、戻ります」
「約束だよ」
老婆は、杖で、地面を、とんと突いた。
「ああ、それと、シルファ」
「はい?」
「あんた、少し、顔つきが、変わったね。いい顔だ」
シルファは、きょとんとして、それから、耳の先まで、赤くなった。
「……ありがとうございます」
馬車は、街外れの停車場から出た。四人で、荷台に腰を下ろす。
セレスは、窓の外を眺めながら、手帳に、何かを、書き込んでいた。ティオは、シルファの膝に頭を預けて、うとうとしている。
「ねえ、レイジ」
「ん?」
「ガレンハルトって、どんな街なの」
「俺も、知らない。……セレスさん」
「はい」
彼女は、手帳を閉じた。
「北方最大の都市です。人口は、三万を超えます。高い城壁に囲まれ、中央に、総督府。商会と、ギルドと、教会が、三つ巴で権力を争っています」
「教会?」
「古い、信仰の組織です。ガレンハルトの、地下大聖堂跡も、本来は、教会の管轄でした」
「つまり、教会が、鍵に関わっている可能性もある」
「その通りです」
「面倒な、街ね」
シルファが、小さく呟いた。
「ええ。ですが、面倒な街は、金になります」
セレスは、にこりと笑った。
三日目の夜、馬車は、街道沿いの宿場に、泊まった。
だが、宿は、満室だった。
「申し訳ない。今夜は、行商団が、貸し切りでして」
宿の主人が、困り顔で頭を下げる。
「野営で、いいですよ。宿場の裏の空き地を、お借りしても?」
「それは、構いませんが。……最近、夜に、変な連中が、うろついていまして」
「変な連中?」
「黒い外套の、男たちです。三、四人で、馬を連れて」
シルファの背中が、ぴくりと強張った。
「いつ頃から」
「ここ、三日ほどです。旅人に、何かを、尋ねて回っているようで」
「何を、尋ねているんですか」
「『黒い板を、持った男を見なかったか』と」
背筋が、凍りついた。
セレスが、静かに、俺を見た。
「……やはり、追われていますね」
「どうして、街道を、分かったんだ」
「祠で、ヴェイルに、姿を見られたからでしょう。そして、彼は、あなたが北へ向かうと、予測していた」
宿の主人に、礼を言って、空き地へ移動した。
テントを張り、焚き火を起こしながら、小声で、作戦を練った。
「ここで、襲ってくる可能性は?」
「低いとは思います。ただ、ゼロでは」
「鳴子を張る。それと、交代で、見張りを立てる」
シルファが、頷いた。
「私が、先に起きてる。耳が、一番いいから」
「ティオは、休ませる」
「え、僕も、見張りします!」
「君は、まだ、休んでほしい。明日、役に立ってもらうから」
「……はい」
少年は、不服そうに、テントへ入った。
夜が、更けていく。
深夜。
シルファが、テントの外で、弓を握ったまま、座っていた。
俺は、毛布を肩にかけて、隣に腰を下ろす。
「眠れないのか」
「ううん。ただ、考えてた」
「何を」
「里のこと。それと、ヴェイルの言葉」
焚き火の火が、ぱちぱちと、弾けた。
「『板に殺された』って、何だと思う?」
「わからない」
「怖くない? あなたも、同じ目に遭うかも、しれない」
「怖い」
素直に、言った。
「怖いけど、板が、俺を、傷つけるとは思えない。……あの一文が、嘘とは、思えないんだ」
「『私は、あなたを、傷つけません』」
「ああ」
「板は、生きているのね」
「たぶん、な」
シルファは、膝を抱えて、火を見つめた。
「ねえ、レイジ。もし、板が、いつか、あなたを、必要としなくなる日が来たら」
「うん」
「……そのとき、あなたは、どうなるの」
答えられなかった。
マレンは、「もう、必要なくなった」と笑って、板を手放した。だが、ヴェイルは、「殺された」と言った。
二つの言葉は、矛盾している。
「わからない。でも、俺は、もう、一人じゃない」
「うん」
「君がいる。仲間が、いる。それが、一番の、答えだと思う」
シルファは、ゆっくりと、頷いた。
「……そうね」
沈黙が、心地よかった。
炎のゆらめきの向こうで、星が、またたいている。
その時、彼女の耳が、ぴくりと動いた。
「来た」
「え」
「足音。十、いえ、もっと」
俺は、毛布を跳ね除けて、立ち上がった。
「どっちから」
「東の、林。……囲まれてる」
「全員、起こす!」
テントに駆け寄ろうとした瞬間、鳴子が、けたたましく鳴った。
カラカラカラ、と、空き缶の音が、夜気を裂く。
黒い影が、林の間から、幾つも、飛び出してきた。




