第17話 後編 守り手と、傷の男
足元の水が、ゆっくりと、渦を巻き始めた。
石室の四隅から、水の柱が、立ち上がる。
それは、人の形を取り、やがて、半透明の、巨大な戦士となった。
『鍵の守り手。試練を、課す』
声が、頭の中に、響く。
「戦うの?」
「たぶん、そうだ」
水の戦士が、片腕を振り上げた。
水が、鞭のようにしなって、床を叩く。石畳が、えぐれて、水しぶきが、ライトの光の中で、きらきらと輝いた。
「うわっ!」
俺は、ティオを抱えて、転がった。
「当たったら、骨が折れるわ!」
「見ればわかる!」
シルファが、矢を放つ。
だが、矢は、水の体を貫通して、向こうの壁に、突き刺さるだけだった。
「効かない!」
「水だからか」
剣で斬っても、同じだろう。
(水。……水の弱点は)
営業時代、設備会社の担当をしていた頃を、思い出した。
水は、状態が変われば、性質が、まったく変わる。
「シルファ、時間を稼げるか」
「どれくらい」
「一分」
「……任せて」
彼女は、床の水を蹴って、守り手の注意を引いた。ひらり、ひらりと、攻撃を避けながら、矢を撃ち続ける。
俺は、板を取り出した。
『日用品』ではない。『アウトドア』のコーナーの、奥。
『携帯用冷却スプレー(急速冷却) 銅貨 3 枚』
『ドライアイス 5kg 銅貨 4 枚』
『保冷剤 大型×10 銅貨 2 枚』
迷わず、ドライアイスと冷却スプレーを、全部、購入した。
足元に、発泡の箱が、ごとりと現れる。
「ティオ君、手伝ってくれ。この箱の中身を、水の足元へ、できるだけ、撒いてほしい」
「これは、何ですか」
「素手で触るな。凍傷になる。この棒で、すくうんだ」
「は、はい」
濃い白煙が、石室に、広がった。
「な、何、これ」
「氷の仲間だ。水を、凍らせる」
ティオが、必死に、箱から塊を撒いていく。冷却スプレーを、守り手の足元に、集中して吹きつけた。
水の戦士の動きが、わずかに、鈍った。
「……効いてる」
「シルファ! 足を、狙って!」
「分かった」
弦の鳴る音とともに、矢が、守り手の膝に、突き刺さった。
水の巨体が、ぎしり、と音を立てて、固まり始める。
凍った。
『……見事』
守り手の動きが、止まった。
氷の像となった戦士の胸が、ぱりん、と砕けて、中から、淡い金色の光が溢れる。
その中心に、一本の鍵が、浮かんでいた。
古びた銀色の、柄に円の紋様が刻まれた、小さな鍵だった。
『古き鍵。持ち主へ』
石碑の文字が、静かに、告げた。
『この鍵は、扉を開く。だが、扉の先で、選ぶのは、汝だ』
鍵が、ふわりと宙を舞って、俺の手のひらに、落ちた。
ひんやりとした、金属の重み。
同時に、板が、ひときわ強く、光った。
『第一の鍵を、確認しました』
『お客様の評価:★ 4.6』
「やった……」
シルファが、膝から崩れ落ちた。
「疲れた」
「お疲れさま。……君のおかげだ」
「あなたの、ドライアイスのおかげよ」
「ふふ。氷の魔法だって、思われるかもな」
ティオが、鍵を見つめて、目を輝かせている。
「すごい。シルファ様も、レイジさんも」
「君も、よく頑張った」
少年の頭を、撫でた。ティオは、照れて、耳を伏せた。
その時、通路の奥から、拍手が、聞こえた。
ぱち、ぱち、ぱち。
「実に、見事だ」
石室の入口に、あの男が立っていた。
右の頬に、深い傷。黒い外套。胸元の、円と三線の、ペンダント。
廃坑で、闇に消えた男だった。
「また、会えたな。『持ち主』」
「……お前」
「名乗っていなかったな。ヴェイル、と呼ばれている」
男は、笑った。
「第一の鍵を、手に入れたか。上出来だ。私の部下たちは、何日かけても、祠を開けなかったのに」
「里の人たちを、どこへやった」
シルファが、弓を引き絞った。
「落ち着きなさい、森の娘。長老は、無事だ。今のところは」
「今の、ところ?」
「そうだ。『鍵』が、揃えば、返そう。約束する」
ヴェイルは、悠然と、懐から、一枚の紙を取り出した。
「第二の鍵は、北の都市、ガレンハルトの、地下にある。ここへ、鍵を持って、来い。期限は、一か月」
紙が、ひらひらと、床に落ちる。
「断れば?」
「長老の命は、保証しない」
シルファの手が、震えた。
「卑怯者」
「そう呼ばれるのは、慣れている」
ヴェイルは、背を向けた。
「ああ、そうだ。もう一つ」
男は、肩越しに、俺を見た。
「その板の、『前の持ち主』は、私の、旧い知り合いでな。……彼女は、板に、殺されたんだよ」
石室に、冷たい沈黙が、落ちた。
「何?」
「いずれ、分かる。板が、本当は、何者なのかを」
その背中が、闇の中へ、溶けていった。




