第15話 後編 森の入り口で
出発の朝は、薄い霧が、街を包んでいた。
ダインと、リゼと、オルガに、留守を頼んだ。
「店は、私らが、守っておくよ。あんたらは、気をつけて行ってきな」
「ありがとう、オルガさん」
「それと、これを持っていきな」
老婆が、懐から、小さな布の包みを、取り出した。
開くと、古い、革張りのノートが一冊。
「マレンの日記だよ。あんたに、渡そうと、ずっと思っててね」
「いいんですか」
「あの子は、板の秘密を、少し、書き残してた。私には、読めない文字だけどね。……あんたなら、読めるかもしれない」
表紙を開くと、そこには、日本語で、こう書かれていた。
『この板を拾った、次の誰かへ』
胸が、どくんと鳴った。
「……日本語」
「ニホンゴ?」
「俺の、故郷の文字だ。……この人も、同じ国から来たのかもしれない」
シルファが、息を呑んだ。
「それって」
「でも、今は、読む時間がない。森から戻ってから、ゆっくり、読もう」
ノートを、懐に仕舞った。
東の森の入り口には、朝のうちに着いた。
背の高い杉の木立が、霧の中に、黒く並んでいる。猟師の小屋が、一軒だけ、扉を固く閉ざしていた。
「ここから先は、里の領域」
シルファが、帽子を、すっと脱いだ。
銀色の髪と、長い耳が、露わになる。
「森の中では、隠す必要は、ないの。……ここは、私の、家だから」
「うん。似合ってる」
「…………」
彼女は、顔を赤くして、そっぽを向いた。
「もう。急に、そういうこと、言わないで」
「事実だ」
「だから、余計に、困るの」
笑いを、こらえながら、俺は、荷物を背負い直した。
ヘッドライト、ケミカルライト、ロープ、救急セット、レトルト食品、そして、ココアの粉末。
「準備は、いいか」
「うん」
森へ、一歩、踏み込む。
足元の苔が、ふかふかと、音を吸い込んだ。
しばらく歩くと、シルファが、突然、足を止めた。
「……ここ」
彼女の前に、黒く焦げた、柱の残骸があった。
その向こうに、屋根の落ちた家々が、点々と並んでいる。
里の跡だった。
「……ひどい」
低い呟きが、霧に溶けた。
壁は、煤けて、扉は壊れ、地面には、斬り合いの痕が、そのまま残っている。三年の月日が経っても、傷は、癒えていない。
シルファは、ゆっくりと歩いて、一軒の家の前で、立ち止まった。
「ここが、私の家」
「…………」
「窓辺に、小さな花を、植えてたの。……もう、枯れちゃったけど」
彼女は、腰を屈めて、地面に落ちた何かを、拾い上げた。
それは、小さな、銀の髪飾りだった。
「お母さんの」
手の中に、そっと握りしめ、彼女は、立ち上がった。
「……ここから、もう一度、始める」
「ああ」
俺は、彼女の隣に立った。
その時、板が、懐の中で、はっきりと、脈打った。
取り出すと、画面に、見たことのない、金色の文字が、浮かんでいた。
『第一の遺物の反応を、確認しました』
『「古き鍵」の購入条件:里の再興への、誓い』
「誓い……?」
『誓いを立てますか? はい/いいえ』
シルファが、不安そうに、こちらを見た。
「レイジ」
「大丈夫だ。……俺が、決めることじゃない」
俺は、板を、彼女に差し出した。
「君の里の話だ。君が、決めてくれ」
彼女は、じっと、画面を見つめた。
そして、深く、息を吸った。
「……誓う。私は、里を、必ず、取り戻す」
指が、画面の『はい』に触れた瞬間。
森全体が、低く、鳴動した。
霧の向こうで、青白い光が、一筋、空へ向かって立ち上った。




