第14話 後編 最後の一杯
その夜は、屋台の片付けが、いつもより、遅くなった。
ダインとリゼを帰したあと、俺は、一人で、カウンターを拭いていた。
夜更けの路地に、足音が、一つ。
「……よう」
顔を上げると、ボルクが、立っていた。
衛兵の詰所から、出てきたのだろう。服は、汚れ、頬はこけ、あの威圧的な体躯が、一回り小さく見えた。
「何の用ですか」
「ドルトンの野郎に、金を貰った」
ボルクは、ぽつりと、言った。
「お前の屋台を、潰す手伝いをしろ、ってな。銀貨十枚で、請け負った。……ガズを、紹介したのは、俺だ」
「そうですか」
「驚かねえのか」
「薄々、気づいていました」
ボルクは、目を見開いて、それから、力なく笑った。
「……そうか。お前は、最初から、そういうやつだったな」
「そういうやつ、とは」
「いつも、黙って、全部、見てやがった」
彼は、カウンターの前の石段に、どさりと腰を下ろした。
「パーティーは、解散した。ダインも、リゼも、いなくなった。俺は、Bランクから、Dランクまで落とされた。……全部、自業自得だ」
「…………」
「今更、謝って許される、とは思ってねえ。ただ、一つだけ、言っておきたかった」
ボルクは、膝に、肘をついた。
「お前を追い出したとき、お前が、一番、うちのパーティーを、見てくれてたって、気づいてた。気づいてて、認めたくなかった」
声が、かすれていた。
「俺は、自分より、できる奴が、怖かったんだ」
沈黙が、落ちた。
遠くで、犬が、一声、吠えた。
俺は、小鍋に、残っていた湯を、マグに注いだ。ココアの粉を、一匙。砂糖を、一本。
「どうぞ」
「……何だ」
「最後の一杯です。今日は、売り切れですが」
ボルクは、呆然とマグを見つめ、それから、震える手で、受け取った。
一口、含む。
「…………甘え」
「ええ」
「……うめえな」
彼は、俯いたまま、しばらく動かなかった。肩が、小さく、揺れていた。
「……悪かった」
「聞きました」
「それだけだ」
ボルクは、マグを、石段の脇に置いて、立ち上がった。
「街を、出る。北の砦で、傭兵を募ってるらしい。そこで、一からやり直す」
「そうですか」
「お前に、一つだけ、忠告してやる」
振り返ったボルクの目は、昔の、傲慢な光ではなかった。
「ドルトンの後ろには、もっとでかい奴がいる。あいつは、ただの、手先だ。気をつけろ」
「……ありがとうございます」
「礼を、言うな」
ボルクは、背を向けた。
その背中は、もう、大剣の持ち主のそれではなかった。
闇に消える足音を、見送りながら、ふと、胸の奥が、すこしだけ、軽くなった。
「……行ったのね」
屋台の影から、シルファが、顔を覗かせた。
「聞いてたのか」
「ええ。耳が、いいから」
「ずるい」
「でも、あなたのやり方、好き」
彼女は、俺の隣に並んで、ボルクが残したマグを見つめた。
「あの人、やっと、自分の弱さと、向き合えたのね」
「だといいな」
「だって、全部飲んでるもの」
見ると、マグは、底まで、きれいに空だった。
翌朝、ギルドから、報せが届いた。
ドルトンは、組合の理事を、解任された。ガズの証言と、セレスが集めた帳簿の記録が、決め手になったという。男爵家の名の下に、罰金と、商業活動の一年停止が、言い渡された。
「男爵様は、ご機嫌でした。ドルトン商会の取引先が、いくつか、こちらに流れてきましたので」
セレスが、涼しい顔で報告した。
「……あなた、まさか、最初から、そこまで」
「さあ。何のことでしょう」
眼鏡の奥で、彼女の目が、楽しそうに細くなった。




