第7話 後編 燻された屋敷
準備は、夕方までかかった。
地下貯蔵庫の扉の隙間に、板で買ったガムテープ(銅貨1枚)を貼って目張りする。換気口には、濡れた布を詰めた。煙が屋敷全体に流れないようにするためだ。
燻煙剤は、全部で六缶。貯蔵庫の四隅と、中央に置く。
「これに、火をつけるのですか」
セレスが、缶を興味深そうに眺めている。
「いえ。蓋に水を注ぐと、勝手に煙が出ます」
「水で、煙が」
彼女は手帳を取り出し、さらさらと何かを書き込んだ。
「……メモしないでください」
「失礼。性分です」
一度に缶を開け、水を注ぎ、俺たちは地下から飛び出した。扉を閉める。
「完了だ。後は、待つだけ」
「どのくらい?」
「三時間。それまで、中には入らない」
その間、俺たちは屋敷の応接間で、お茶を出してもらった。
男爵本人は、赤ら顔の恰幅のいい中年だった。彼は、ソファに深々と座り、にこやかに笑っている。
「いやあ、噂は聞いておるよ。光る道具を使うそうだな。是非、我が家の警備にも」
「ご要望は、承ります。ただ、あくまで冒険者の私物ですので」
「ほう? 金なら出すぞ?」
「そうですか。でも、お譲りできるものではないので」
営業の笑顔で、さらりと線を引く。
男爵は、少し不満そうに髭を撫でたが、セレスが静かに咳払いをして、話題を変えてくれた。
(この人、優秀だな)
三時間後。
扉を開けると、白い煙が薄く残っていた。マスク(銅貨1枚)をつけ、中へ入る。
床一面に、黒い虫の死骸が転がっていた。
「……うわ」
シルファが、ライトの光の下で、目を逸らす。
「掃除は、使用人の方に任せよう。確認するのは、巣の元だ」
「巣の元?」
「これだけの数が湧くのは、どこかに発生源があるからだ。毒餌を、そこに運ばせたい」
セレスが、頷いた。
「地下の、奥の壁でしょうか。以前から、そこだけ湿っています」
貯蔵庫の最奥。積み上げられた樽の裏に、壁の一部が、わずかに崩れた穴があった。
虫が、その穴から、這い出してきた形跡がある。
俺は、穴にライトを突っ込んだ。
「……空洞だ」
「奥が、あるの?」
「ああ。人が一人、通れるくらいの」
セレスの顔色が、変わった。
「この屋敷に、地下の隠し部屋があるなど、聞いたことがありません」
「入ります。シルファ、念のため、外で待機してくれ」
「嫌」
「え」
「あなた一人に、危ない場所へ行かせるわけには、いかない」
きっぱりと言い切られて、反論の余地がなかった。
穴を抜けると、小さな石室だった。
古い、乾いた空気。壁に、埃をかぶった棚。中身は、ほとんど朽ちている。
そして、棚の隅に、一つだけ、金属の小箱が残っていた。
「……これは」
蓋を開けると、中には、黒ずんだ金属板が一枚。
表面に、見覚えのある文様が刻まれていた。
円の中に、三本の線が交わる、簡素な印。
俺の手の中の、黒い板の裏側に刻まれている印と、全く同じだった。
「レイジ。それ」
「……ああ」
思わず、懐の板を握りしめる。
板が、ごく微かに、熱を帯びていた。
「セレスさん。この箱、持ち帰っても?」
「男爵家の所有物のはずですが。……ですが」
彼女は、眼鏡を押し上げ、小さく笑った。
「害虫駆除の成功報酬に、追加で、『壁の穴の調査費用』を、お支払いするということでいかがでしょう。調査の結果は、私だけに報告ください」
「……恩に着ます」
「いえ。むしろ、こちらが、貴方に興味があるので」
彼女は、まっすぐに俺を見た。
「貴方は、ただの冒険者ではありませんね」
「よく、言われます」
「いずれ、ゆっくりお話ししましょう。仕事の話を、含めて」
報酬は、銀貨十五枚に、調査費の銀貨三枚。帰り道の荷物は、確かに重くなっていた。
「ねえ、レイジ」
「ん?」
「あの人、あなたのこと、ずっと見てた」
「仕事の話だろ」
「それだけじゃない、と思う」
シルファの耳が、むすっと横に倒れていた。




