第6話 後編 名前のない約束
結局、騒ぎは、ミーナとギルド長が割って入って、収まった。
ボルクは、「覚えてろ」という古典的な捨て台詞を残して、赤牙の仲間を引き連れて去っていった。ダインだけが、去り際に、俺に向かって小さく頭を下げたのが、印象に残った。
「……あの人、悪い人じゃない気がするわ」
帰り道、シルファがぽつりと言った。
「ダインのことか?」
「ええ。あの人、ずっと、あなたに謝りたそうだった」
「そうか」
「でも、あの大きな人は、嫌い」
彼女は、きっぱりと言い切った。
「あなたを、道具みたいに、言った人だもの」
「……ありがとう」
「どういたしまして」
胸を張る横顔が、妙に誇らしげで、思わず頭を撫でてしまいそうになる。やめておいた。耳が、赤かったからだ。
家に戻ると、夕暮れだった。
「今日は、ご馳走にしよう」
「ご馳走?」
「ああ。これだ」
『レトルトカレー 中辛 銅貨 2 枚』
『ごはん(パック) 銅貨 1 枚』
二つずつ購入して、湯煎で温める。部屋中に、スパイスの香りが広がった。
「な、何、この匂い。さっきから、お腹が」
「待て。まだだ」
「まだ?」
「あと、一分」
シルファは、台所で正座して、鍋の中のパウチを見守り始めた。耳が、前へ前へと傾いている。
湯から上げ、皿に盛る。
白いごはんに、とろりとした茶色いルウ。
「いただきます」
「いただきます」
一口、含んだ瞬間、シルファの目が、大きく開いた。
「……っ! か、からい。でも、おいしい。何、これ。深い。複雑な味がする」
「香辛料が、たくさん入ってるんだ」
「こんな贅沢な料理、王都でも、食べたことない」
「大げさだな」
「大げさじゃない」
彼女は、一口ごとに、目を細めて、噛みしめるように食べた。
「レイジの国の食べ物は、すごい。きっと、王様みたいな暮らしなのね」
「いや、ごく普通の庶民だった。……毎日、会社で怒鳴られて、終電で帰るような」
「会社?」
「仕事場、みたいなものだ。……ずいぶん、遠い話だよ」
笑ってみせたが、彼女は、スプーンを置いて、こちらをじっと見つめた。
「ねえ。レイジは、帰りたい? 自分の国に」
「……どうだろうな」
正直に言えば、わからなかった。
未練がないわけではない。だが、あの世界に戻っても、俺が過ごしていた日々は、もう、ない。
「今は、ここの暮らしも、悪くないと思ってる」
「そう」
シルファは、静かに頷いた。
「じゃあ、お願い。もし、帰る方法が見つかっても、私に、最初に相談して」
「何だ、急に」
「約束して。そうしないと、私が、困る」
彼女の声は、いつもの強気な調子ではなく、少しだけ、震えていた。
俺は、スプーンを置いた。
「わかった。約束する」
「……うん」
「ただ、そうなったときは、君も、ついてくるか?」
冗談のつもりで言った。
だが、シルファは、真面目な顔で、首を傾げた。
「いいの?」
「え」
「ついていっても、いいの?」
「……あ、ああ。そのときは、考えよう」
慌ててはぐらかした俺を、彼女は、ちょっと残念そうな目で見た。だが、すぐに、ふっと笑った。
「うん。そのときに、また、聞くわ」
夜が更けた。
寝室から、すうすうと、穏やかな寝息が聞こえる。
俺は、居間のテーブルで、黒い板を開いていた。
『お客様の評価:★ 1.9』
『新しいカテゴリー「医薬品(一部)」が、ご利用いただけるようになりました』
「……医薬品、か」
解熱剤、胃腸薬、抗生物質。もしそれが、この世界で使えるなら、命を救える。
そして、同時に、危うい力でもある。
画面の隅に、また、新しい一行が、静かに浮かんでいた。
『持ち主様の、願いを、確認しました』
「……誰だ」
声に出して問いかけても、返事はない。
ただ、画面の奥で、ごく微かに、何かが瞬いた。
ゴブリンの荷物にあった、あの手枷。
シルファを追う、何者か。
この板の、正体。
どれも、まだ、遠い霧の中だ。
「……まあ、今は、いいか」
俺は板を閉じ、毛布をかぶった。
窓の外で、風が、カーテンを揺らしていた。




