腐ったカフェオレは客人に振る舞って大丈夫か
「ご依頼通り、あの娘を煽ったわよ。」
「あぁ、おかげでよく聞こえた。」
温かい橙色の照明で照らされている部屋に二人の男女がいた。
銀髪に紫色の瞳をした、女神と見紛う美貌の持ち主であるセナ。
その対面のソファに座っているのは足を組み、肘掛けに腕を置き、頬杖をついている気怠げな雰囲気の男だ。男の名はセイ。裏ではその名を知らぬ者がいないほどの情報屋である。
「そう。」
セナは微笑んではいるが、いつもより感情が多少は読み取れる表情をしている。
セイは臙脂色の髪を無造作にかきあげた。その瞳は異能者の証しである紫色――古代紫――に染まっていた。
それを見たセナの瞳の色は僅かに深くなった。
「チっ」という舌打ちと共に、セイの瞳の色は鶸茶色になった。異能の使用をやめたからだ。
「今日の分で私が貴方から貰った情報の代金は払ったわ。ここから先は別料金よ。」
セナの声色には感情が一欠片も籠もっていなかった。
「わーってるからそんなに殺気立つなよ。」
「あら、この程度貴方なら何ともないでしょう?」
セイは後頭部に片手を置き、照れたような仕草をする。
「いや~そんなに褒めるなよ。」
「褒めてないわ。」
セイの言葉は冷ややかな声に一刀両断された。
「そんなに照れるなって。おぉっと、すまんすまん。流石にからかいすぎたな。」
セナからゴミを見るような視線を向けられると、セイは肩をすくめ、やっと肘掛けにもたれていた体を起こした。
「さっさと本題に入りなさい。」
「へーい。」
命令口調を受けてもセイは適当な返事をした。
セナは慣れているのか眉一つ動かさずにテーブルの上のマグカップを持ち上げ、中身を一口飲んだ。
「客人に腐ったカフェオレを出すなんて……闇医者、紹介しましょうか?」
マグカップの中の液体は淡い茶色で、湯気を立てている。
一見すると普通のカフェオレだが、腐っている食べ物特有の酸味があった。よく見ると、白い液体と茶色の液体が分離しており、黒い何かが浮いている。
「やっぱ腐ってたか。」
セイもマグカップに口をつけ、一口飲むとテーブルに戻した。
「『やっぱ』って……知ってたのね。」
「開封してから三ヶ月は経ってたからな。なんとなくそんな気はしていたが……懐かしい味だろ?」
あからさまに話題をすり替えに来ていた。
セナはセイの言葉を無視し、マグカップの中身を口に流し込む。全て飲むと、音を立ててテーブルに置いた。
「思い出したくはない過去ね。まぁ、今まで口にしてきた物の中では美味しい部類だけど。」
口元を腕で拭いながら淡々と感想を言った。
「死んで数日経った蜘蛛のほうが不味いからな。」
二人の会話は常人が聞いたら絶句するような内容だ。しかし、二人にとっては数年前までは日常だったことである。
「今日の昼間、咲葵の心を読んだ。正直、最悪の予想のほうが的中したな。」
「でしょうね。」
「ククッ……わかっててあんなに煽ったのか?」
「依頼者のご要望に応えただけよ。それに、『零華』なら接するだけであの娘を煽れるわ。面白いくらい簡単に、ね。」
いつの間にか話題が昼間のことに変わっていた。
セナが零華として通っている学園での話だ。咲葵が知ったら二人は間違いなく殴り飛ばされるだろう。
今日の出来事は全て仕組まれていたのだということを。
「そうか。ほらよ。約束のもんだ。少し色を付けといたからな。」
そう言って投げられたUSBメモリをキャッチし、スマホに差した。数秒で端末から抜き取り、セイがしたように放り投げた。
「ありがとう。」
「存分に感謝しろよ。優しい優しいこの俺に。」
セイはソファの上でふんぞり返っている。それを映すセナの瞳は相変わらず温度がない。
「で、何を企んでるの?」
「……はぁ〜。ったくよぉ……もう少しおもしれぇ反応示せよ。依頼者のご要望には応えるんだろ?」
セイは嘆くように照明で微妙に色づいている天井を仰ぎ見る。
(いい性格してるわね。)
普段のセナも大概なので、彼女も人のことを言えたものではない。
「代金を貰った時点で貴方からの仕事は終わったわ。ここからは別料金、と言ったはずだけれど?」
「サービスくらいいいだろぉ?」
今度は縋るように手を合わせた。
(情報屋なんか辞めてホストでもしたら儲かりそうね。)
「色を付けてくれたことには感謝するわ。だけど、今回私が貴方に頼んだ情報は白愛さん関連よ。私も貴方も今は気に入られているけれど……もし敵対したら武器や道具を手に入れにくくなるわよ。もしかしたら裏からも居場所が消えるかも。」
白愛――その名を聞くと、一瞬だが、セイから軽薄な笑みが消えた。
白愛とは、裏社会の流通を支配する商人だ。彼に目をつけられたら裏社会ですら生きていけなくなる。
「そんときゃ仲良く心中でもすっか?」
「貴方を売って生き延びることにするわね。」
セナは何のためらいもなく言い放った。
「ひっでぇなぁ。一緒に地獄から逃げ延びた仲だろぉ?」
「何のことかしら?」
地獄、確かにセナとセイは同じ施設にいた。
今でもあの日見た炎の海は鮮明に思い出せる。それはどんな異能者でも変わらない。
あの施設から逃げ出せた異能者の脳裏に刻まれた映像だ。
「相変わらずとぼけんのが上手いねぇ。ま、今後の大まかな依頼はそのUSBに情報と一緒に入れてある。俺が連絡入れたら来い。詳しく話す。」
「了解。さようなら。」
セナは素っ気なく挨拶をし、外に出た。
その顔にはいつもの微笑みが浮かんでいた。人間が意図せず警戒を解いてしまう優しく、穏やかな微笑みだ。
切り替えが恐ろしいほど早かった。
(はぁ……セイ相手だと隠すだけ無駄だから楽でいいわね。)
セイはセナの過去を知る数少ない人物の一人だ。セイからしても、セナは己の過去を知る数少ない人物の一人である。お互い、気を遣わなくていい分、他の人間と接するよりも肩肘張らなくていいのである。
「どこの間者かしら?」
流れるように路地の角を曲がろうとしていた男の首筋に背後からナイフを突きつけた。
「商会長より、こちらを渡せと厳命された次第です。」
男に差し出された封筒の封蝋にはアンスリウムの花弁が数枚挟まれていた。
(呼び出しね。この男は伝言役。見ない顔ね。)
男は平凡で、記憶に残りにくい容姿だった。
「ご苦労様。日付を越える前に行くと伝えておいて。」
「承知致しました。」
セナの言葉に男は一礼し、用は終わったとばかりに歩き去った。
カフェオレは……実体験のとこもあります。
カフェオレ様は最期、異臭を放ってくるので夏場は冷蔵庫にいれるかすぐ飲み干しましょう。腐ってたら飲み干すことなく捨ててください。
普通にまずいです。世界が変わるレベルで。




