50.行ってきます
「わっはっはっ! これでわらわたちも小金持ちじゃ!」
サリサは両手で抱えるほどの硬貨袋を掲げ、満面の笑みを浮かべた。袋の中で金属が擦れ合う、じゃらりという音がやけに重く響く。
「持ち歩いたら狙われてしまいますから、早くアイテムボックスに入れてください」
ティナは周囲を気にしながら、少し声を潜めて言う。その目には本気の心配が浮かんでいた。
「分かっておるわ。ちょっと、金の重みを確かめたかっただけじゃ」
サリサは名残惜しそうに袋を軽く持ち直し、満足げに頷くと、すぐにそれをアイテムボックスへとしまい込んだ。
六十万コルト。旅をするには十分すぎる資金。むしろ、しばらくは何も困らないほどの大金だ。
安心は、ある。けれど――。
「……」
胸の奥に、じんわりと広がる感情があった。それは、不安ではなくて。この町を離れることへの、寂しさだった。
教会へ戻る道すがら、見慣れた風景がやけに鮮明に目に入る。石畳の道、軒先に干された洗濯物、笑い声。どれも、ほんの少し前までは当たり前だった日常。
それを、今から手放すのだと実感してしまう。教会の前に着いたときだった。
「あっ、メルたちだ!」
一人の子供が気付いた途端、その声が波紋のように広がる。ぱたぱたと足音が増え、気付けばあっという間に人だかりができていた。
「三人とも、もう用事は済みましたか?」
テレセスが、いつもの柔らかな声で問いかけてくる。けれど、その微笑みはどこか少しだけぎこちなかった。
「うん。物を売って、お金にしてきたよ。これで、もういつでも出発できる」
できるだけ明るく、いつも通りに答える。けれど――。
「そうですか……。では、行ってしまうんですね」
テレセスは視線を落とした。その一言が、静かに胸に刺さった。
周りの子供たちも、言葉を失ったように黙り込んでいた。さっきまでの賑やかさが嘘みたいに消えて、重たい沈黙が場を包む。
「メル、ティナ、サリサ」
その空気を切り裂くように、デルマが一歩前に出た。まっすぐな目だった。逃げも、迷いもない、強い目。
「三人のお陰で、みんなで生活できる基盤が整った。本当にありがとう」
その言葉には、嘘も飾りもなかった。ただ真っ直ぐな感謝が込められている。
「少しでも役に立てたなら、それでいいよ。……みんなの話を聞いて、黙っていられなかっただけだし。お節介だったかもね」
そう言うと、デルマは即座に首を横に振った。
「なんでメルが気にするんだよ。全然そんなことない。……すげぇ、いいお節介だった」
にっと笑うその顔は、少しだけ大人びて見えた。その言葉を聞いた瞬間、胸の奥にあった迷いが、ふっと軽くなる。
ああ、やってよかった。心から、そう思えた。
「これからは俺がみんなを守る。だから、安心して旅立ってくれ」
力強い宣言。それを聞いて、私はふと口元を緩めた。
「テレセスも?」
「ばっ!? それは――!」
途端に慌てふためくデルマ。その分かりやすさに、思わず笑いがこぼれる。重かった空気が、少しだけ和らいだ。
そのとき、静かに前へ出てきたのは、テレセスだった。そして何も言わず、まずはサリサを、次にティナを、最後に私を順番に、ぎゅっと抱きしめる。細い腕なのに、不思議と温かくて、離れがたい力があった。
「……本当は、もっと一緒にいたかったです」
ぽつりと零れた本音。
「ですが、引き留めるのは違いますね。だから――」
顔を上げたテレセスは、しっかりと笑っていた。
「笑顔で、お見送りさせてください」
「……うん」
自然と、こちらも頷いていた。
「私はここにいます。また会いたくなったら、いつでも来てください。必ず、温かく迎えますから」
その言葉は、約束のように胸に残る。帰ってきてもいい場所がある。それだけで、どれだけ心強いか。
次の瞬間。
「やだよぉ……行かないで……!」
「また来てくれるよね!?」
「メルーっ!」
子供たちが一斉に押し寄せてきた。袖を引かれ、腕にしがみつかれ、あちこちから声が飛んでくる。泣き顔も、必死な顔も、全部が真っ直ぐで――胸に刺さる。
「大丈夫。また来るよ」
一人一人にそう伝えながら、頭を撫でる。別れは寂しい。でも、それは繋がりがあった証だから。
その場を離れて、最後にもう一度だけ振り返る。教会の前に並ぶみんなの姿。手を振る子、涙を拭う子、じっとこちらを見る子。その光景を、しっかりと胸に焼き付けて。
「じゃあ、みんな――」
大きく息を吸って。
「行ってきます!」
そう言って、私たちは一歩を踏み出した。背中に、たくさんの想いを感じながら。
◇
キャンピングカーがゆっくりと進んでいく。開けた窓からは風が吹き込んできて、優しく頬を撫でてくれる。
「良い奴らじゃったな……」
「……はい」
「うん。今までで一番いい人たちだった」
サリサの言葉にティナと一緒に同意する。久しぶりに人の温かさを感じる日々を過ごせた。まるで、両親が生きていた頃のような安心感がある日々。
しばらく、誰も言葉を続けなかった。ただ、車輪の回る音と、外を流れていく景色だけが静かに時間を刻んでいく。
ふと、窓の外に目をやる。遠ざかっていく城壁。あの場所に、確かに自分たちの居場所があったのだと思うと、胸の奥がじんわりと温かくなる。
「……朝、起きたらさ。温かい笑顔で挨拶をして、何気ない話をして誰かが笑ってて……」
思い出すだけで、自然と口元が緩む。
「当たり前みたいに一日が始まって、当たり前みたいに終わるの。ああいうの、久しぶりだった」
誰かがいて、誰かとご飯を食べて、他愛もないことで笑って。特別なことなんて、何一つなかったのに。それでも、確かに満たされていた。
「……贅沢な時間じゃったな」
サリサが、しみじみと呟く。
「わらわはあんな環境じゃなかったから、戸惑ったけれど……いいものじゃった」
その横顔は、どこか柔らかかった。
「毎日が穏やかで、同じようで……でも、ちゃんと違っていて。気付けば、当たり前になっておった」
「はい……私もです」
ティナも静かに頷く。
「誰かのために働いて、感謝されて。それでまた頑張ろうって思えて……とても、心地よかったです」
その言葉に、深く頷いた。心地よかった。本当に、その通りだった。
苦労もあった。忙しい日もあった。大変なことだって、もちろんあった。
それでも。全部ひっくるめて、あの場所で過ごした時間は間違いなく、良いものだった。
「……また、ああいう時間が過ごせるといいですね」
「じゃが、そう簡単には出来んじゃろうな」
ティナの言葉にサリサが少し悲しげに目を伏せる。そんな二人を見て、私は小さく息を吐いた。
「何を言ってるの。そういう場所は、作ればいいんだよ」
「……作る?」
「どうやってですか?」
「もう、私たちは知ってるでしょ。どうすれば、ああいう日常になるのか」
二人の顔を順番に見て、ゆっくりと言葉を重ねる。
「優しくすること。ちゃんと向き合うこと。一緒に笑うこと。それを続けていけば、きっとまた同じものができる」
特別な力なんていらない。ほんの少しの積み重ねでいい。
「私たちが、それをやればいいだけだよ」
少しの沈黙。やがて――。
「……ふふっ」
ティナが、小さく笑った。
「メルらしいですね」
「本当にのう。難しいことを、簡単に言いおる」
サリサも肩をすくめながら、けれどどこか楽しそうに笑う。
「じゃが……悪くない」
その一言に、胸の奥がふっと軽くなった。
「うん。悪くないどころか、きっといいものになるよ」
そう言って、前を向く。窓の外には、もう知らない景色が広がっている。けれど、不安はなかった。
あの温かさを知っている。あの時間を、大切だと思えた。だから、きっとまた作れる。今度は、自分たちの手で。
キャンピングカーは、穏やかな音を立てながら進んでいく。背中に残る優しい記憶と、胸に灯った小さな確信を乗せて。新しい日常へと、向かいながら。
いつもお読みくださりありがとうございます。
この作品は某所にてコンテスト参加作品で既定の文字数を達成したので、一旦ここで完結……と考えていたのですが、思ったよりも向こうのほうで読んでくださる方がいらっしゃったので、継続して連載を続けていこうと思います。
作者の気力と体力とやる気が継続すればですが……。それでも、よろしければ続きも読んでくださると嬉しいです。
毎日連載は辛くなってきたので、次回からは三日に一度の更新になります。力不足で申し訳ありませんが、よろしくお願いします。




