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死者同士の会話は、聞いてはいけない ―午前零時十三分の町内放送―  作者: たむ
第一部 死者からの伝言

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第6話 踏切の向こうの少女

踏切の警報音は、渡ってはいけないと知らせる音です。


けれど、電車が来ないのに鳴り続けている踏切では、何を止めようとしているのでしょう。


向こう側から名前を呼ばれても、数え終わるまでは渡ってはいけません。

 かん。


 かん。


 かん。


 閉鎖されたはずの踏切が、夜の町で鳴り続けていた。


 音無透真は、崩れた空き家の前で立ち尽くしていた。


 耳の奥には、少女の声が残っている。


『次は、早坂澪』


「どうして、澪さんの名前が……」


 透真は自分の喉へ手を当てた。


 先ほど、一瞬だけ声が出なくなった。


 息はできる。


 舌も動く。


 それなのに、声だけが死者の側へ引かれたように消えた。


 美月の想いを届けたあと。


 白石親子の言葉を届けたあと。


 少しずつ、自分の声に異変が起きている。


『残り十一人』


 幽霊たちはそう言った。


 何が十一人なのか。


 すべて届け終えたとき、自分に何が起きるのか。


「考えたくないな……」


 透真は携帯電話を取り出した。


 時刻は午後十一時十九分。


 澪へ連絡しようとして、指が止まる。


 早坂澪。


 同じクラス。


 明るく、誰にでも遠慮なく話しかける。


 透真とはほとんど会話をしたことがない。


 連絡先も知らなかった。


「学校で言えばいいか」


 そう呟いた直後、携帯電話が震えた。


 知らない番号からの着信。


 画面に表示された時刻は、午後十一時十三分。


 数分前の時刻だった。


「どうして過去の時間で……」


 電話は鳴り続ける。


 透真は出なかった。


 知らない相手。


 深夜。


 怪異の直後。


 出る理由が一つもない。


 着信が切れる。


 数秒後、留守番電話の通知が届いた。


 透真は聞きたくなかった。


 だが、画面に表示された文字を見てしまう。


 録音時間。


 零分十三秒。


「十三秒……」


 再生ボタンを押した。


 ざあああ。


 最初に聞こえたのは、激しい雑音。


 その奥で、踏切が鳴っている。


 かん。


 かん。


 かん。


 そして、少女の声。


『十九人』


 一秒の沈黙。


『やっぱり、一人足りない』


 通話が切れる直前、別の声がした。


 若い女性。


『音無くん、助けて』


 透真は携帯電話を耳から離した。


 早坂澪の声だった。


     ◇


 翌朝。


 透真はいつもより早く学校へ着いた。


 教室には、まだ数人しかいない。


 早坂澪の席は空いていた。


 机の上に鞄もない。


「休みかな」


「早坂なら、さっき見たよ」


 後ろから声をかけてきたのは、クラス委員の男子だった。


「どこで?」


「昇降口。先生と話してた」


「ありがとう」


 透真は教室を飛び出した。


 階段を下りる。


 昇降口には、澪と担任の篠崎が立っていた。


 澪は制服の袖を少しめくっている。


 左腕に、赤い擦り傷があった。


「早坂さん!」


 二人が振り返る。


「音無くん?」


 澪は驚いた顔をした。


 篠崎は不快そうに眉を寄せる。


「廊下を走るな」


「すみません」


 透真は澪の腕を見る。


「その傷、どうしたんですか」


「昨日、自転車で転んだ」


「どこで?」


「夕名町の外れ」


 透真の胸がざわつく。


「踏切の近くですか」


 澪の表情が変わった。


「どうして分かったの?」


 篠崎が透真を見る。


「何か聞いたのか」


 低い声。


「何も」


「嘘をつくな」


「先生には言いたくありません」


「音無」


「早坂さんと話をさせてください」


 篠崎はしばらく黙っていた。


 やがて澪へ向き直る。


「昨日のことは、誰にも話すな」


「どうしてですか」


「危険だからだ」


「何が危険なんですか」


「知らなくていい」


 澪が不満そうに口を尖らせる。


 篠崎は透真の肩を掴んだ。


「お前も関わるな」


「もう関わっています」


「関わっているから言っている」


 篠崎の指に力が入る。


「踏切の音を最後まで聞くな」


「最後まで聞くと、どうなるんですか」


「数えられる」


「何を?」


「死者の側の人数だ」


 透真は息を止めた。


「先生は、あの踏切を知っているんですね」


 篠崎は答えなかった。


 手を離し、そのまま職員室の方へ歩いていく。


 革靴の音。


 こつ。


 こつ。


 その音に重なって、別の音が聞こえた。


 かん。


 かん。


 かん。


 校舎の中に踏切はない。


 それでも、篠崎の背中から警報音が聞こえていた。


「先生の近くから……」


「音無くん」


 澪が顔を覗き込む。


「大丈夫?」


「はい」


「顔、真っ青だけど」


「いつもです」


「それはそれで心配だよ」


 澪は昇降口の外を見る。


「昨日の踏切、知ってるの?」


「少しだけ」


「私も聞きたいことがある」


 澪は声を落とした。


「放課後、話せる?」


「できます」


「じゃあ、旧図書準備室で」


「どうしてそんな人気のない場所を選ぶんですか」


「誰にも聞かれたくないから」


「僕は人気のない場所が苦手です」


「怖がり?」


「かなり」


 澪が少し笑った。


「変なの。怖がりなのに、怖いことを知ってそう」


「知りたくて知っているわけではありません」


     ◇


 放課後。


 旧図書準備室は、校舎北側の一階にある。


 現在の図書室が新校舎へ移ってから、ほとんど使われていない。


 窓は小さく、日中でも薄暗い。


 棚には古い本や新聞の束が積まれている。


 透真が入ると、澪はすでに待っていた。


「鍵は?」


「図書委員の水上さんに借りた」


「雫さんから?」


「うん。お姉さんのことで手伝ってくれた人なら、信用していいって」


 透真は複雑な気持ちになった。


 美月の件は、雫の中で終わっていない。


 篠崎が何をしたのか。


 なぜ放送室で怪異が起きたのか。


 まだ真相には届いていない。


「それで、昨日何があったんですか」


 澪は机の上に携帯電話を置いた。


 画面には、一枚の写真が表示されている。


 夜の踏切。


 錆びた遮断機。


 黄色と黒の標識。


「ここ、知ってる?」


「たぶん、夕名町の旧線路ですね」


「十五年前に廃線になった場所」


「どうしてそんなところへ?」


「音を録りに行ったの」


「音?」


 澪は動画投稿のため、町の変わった音を集めているらしい。


 雨樋を流れる水音。


 古い商店街のシャッター。


 無人駅の発車ベル。


 その延長で、使われていない踏切の音を録りに行ったという。


「廃線なら鳴らないでしょう」


「鳴らないはずだった」


 澪が動画を再生した。


 画面には暗い踏切。


 虫の声。


 遠くを走る車。


 最初の一分ほど、異常はない。


 やがて、遮断機の警報灯が赤く点滅した。


 かん。


 かん。


 かん。


 透真の背筋が冷える。


 動画の中で、澪が笑っている。


『本当に鳴った。何これ、すごい』


 遮断機が下りる。


 線路は錆び、雑草に埋もれている。


 電車が通れる状態ではない。


 それでも、警報音は速度を上げた。


 かん、かん、かん、かん。


 動画の端。


 線路の向こう側に、少女が立っていた。


 古い制服。


 胸元の黄色い花。


 顔の左半分が潰れている。


 澪には見えていなかったらしい。


『誰かいる?』


 澪が踏切へ近づく。


 少女が指を動かした。


 一。


 二。


 三。


 誰かを数えている。


 澪が線路へ足を踏み入れた。


「駄目です」


 透真は画面を見ながら呟いた。


 動画の中の澪には届かない。


 少女が数える。


 十六。


 十七。


 十八。


 そこで止まる。


『一人足りない』


 映像には声が入っていない。


 だが、透真には聞こえた。


 少女が澪を指差す。


『あなたで、十九人』


 線路の奥から光が現れた。


 存在しない電車の前照灯。


 澪がようやく危険を感じ、後ろへ下がる。


 しかし、遮断機の向こうに何人もの人影が立っていた。


 逃げ道を塞いでいる。


 男。


 女。


 子ども。


 全員、体のどこかが大きく損傷していた。


『来て』


『こっちへ』


『一人足りない』


 澪の携帯電話が大きく揺れる。


 彼女は遮断機の下をくぐり、転びながら逃げた。


 そのとき腕を擦ったのだろう。


 動画は、澪の荒い息とともに終わった。


「これだけじゃない」


 澪が別の音声を再生する。


 昨夜、透真へ届いた留守番電話と同じ音。


 少女が数える声。


『十九人』


『やっぱり、一人足りない』


「このあと、私の声が入ってる」


『音無くん、助けて』


 透真は澪を見る。


「電話をかけましたか」


「かけてない」


「僕の番号を知っていましたか」


「今朝、水上さんに聞くまで知らなかった」


 つまり、澪本人が助けを求めたわけではない。


 誰かが澪の声を使った。


 放送室で美月の声を使った怪異と同じだ。


「私、変なことに巻き込まれてるよね」


 透真は答えに迷った。


 隠しても、澪は一人で踏切へ戻るかもしれない。


 ならば、最低限のことは話したほうがいい。


「昨日、あの踏切に幽霊がいました」


「見えるの?」


「はい」


「幽霊が?」


「はい」


「本当に?」


「嘘だと思ってくれて構いません」


 澪は透真をじっと見つめる。


「水上さんのお姉さんも見えた?」


「見えました」


「話した?」


「はい」


「だから、伝言を届けられた」


「そうです」


 澪はしばらく黙っていた。


 怖がる。


 笑う。


 信じない。


 そのどれかだと思った。


 しかし、澪は小さく頷いた。


「やっぱり」


「信じるんですか」


「昨日、踏切に女の子がいるのは見えなかった。でも、数える声は聞こえた」


 透真は目を見開いた。


「普通の人には聞こえないはずです」


「普通じゃなくなりかけてるのかも」


 澪は冗談のように言ったが、笑っていなかった。


「十八まで数えたあと、私の耳元で言ったの」


「何と?」


「十九人目を連れてきて、って」


「誰を?」


 澪が透真を指差した。


「音無透真を連れてきて、って」


 部屋の照明が一度消えた。


 すぐに戻る。


 古い本棚の向こうから、踏切の音が聞こえた。


 かん。


 かん。


 かん。


「ここに踏切はありませんよね」


「ないよ」


 本棚の隙間に、少女の顔が見えた。


 左半分が潰れている。


 黄色い花。


『見つけた』


 透真は澪の手を掴んだ。


「出ましょう」


「何かいる?」


「います」


「どこ?」


「後ろを見ないでください」


 少女が本棚の横から出てくる。


 足は床についていない。


 制服の裾から、赤黒い水が滴っている。


『一人足りない』


「誰が足りないんですか」


 透真は少女へ尋ねた。


 澪が驚く。


「話してるの?」


「静かに」


 少女は指を折りながら数え始める。


『一人』


 机の下から男の幽霊が現れる。


『二人』


 本棚の中から少女の顔が覗く。


『三人』


 天井から逆さまの老婆が下りてくる。


「増やさないでください」


『十八人』


 準備室は幽霊で埋め尽くされた。


 全員、透真と澪を見ている。


『十九人目』


 少女が澪を指差す。


 澪の足元に黒い影が広がった。


『二十人目』


 次に透真を指差す。


「さっきは一人足りないと言っていましたよね」


 少女は首を傾げる。


『一人は、逃げた』


「誰が?」


『見ていた人』


 透真は眉を寄せた。


「事故を見ていた人ですか」


 少女の周囲から、列車の走行音が響く。


 ごとん。


 ごとん。


『みんな死んだ』


『私も死んだ』


『一人だけ、逃げた』


 澪が透真の腕を掴む。


「何て言ってるの?」


「過去に事故があったようです」


「旧線路で?」


「十八人が亡くなった」


 少女が首を横に振る。


『十九人』


「十九人?」


『私たちは十九人』


「でも、一人足りないと」


『死んだ人は十九人』


 少女の潰れた顔から涙が落ちる。


『見ていた人を入れれば、二十人』


 透真は理解した。


 少女が探しているのは、十九人目の犠牲者ではない。


 事故を目撃しながら逃げた、二十人目の人間。


「その人を捜しているんですね」


『名前を知らない』


「顔は?」


『忘れた』


「男ですか、女ですか」


『音だけ覚えてる』


「音?」


 少女は耳を澄ます。


『こつ』


 革靴の音。


『こつ』


 透真の脳裏に、一人の人物が浮かんだ。


 篠崎。


 だが、革靴を履く人間は多い。


 それだけでは決められない。


『逃げた人は、鈴を持っていた』


「鈴?」


『ちいさな、銀の鈴』


 少女が胸元の黄色い花を握る。


『事故のあとも、鳴っていた』


 ちりん。


 準備室の扉の向こうから、鈴の音がした。


 透真と澪が同時に振り返る。


 廊下に誰かいる。


 こつ。


 革靴。


 ちりん。


 小さな鈴。


 こつ。


 足音が準備室の前で止まった。


 ドアノブが回る。


 入ってきたのは篠崎だった。


「こんなところで何をしている」


 澪が息を呑む。


 透真は篠崎の右手を見た。


 古い鍵束を持っている。


 その先に、小さな銀色の鈴がついていた。


 少女の周囲にいた幽霊たちが、一斉に篠崎を見る。


『見つけた』


『見つけた』


『逃げた人』


 少女の潰れた顔が、笑った。


『二十人目』


 篠崎の顔から血の気が引いた。


「音無」


 鍵束を強く握る。


「その子と話すな」


「先生は、この少女を知っているんですか」


「知らない」


『嘘』


 少女が一歩、篠崎へ近づく。


 踏切の音が速くなる。


 かん、かん、かん、かん。


「十五年前、旧線路で何があったんですか」


「関係ない」


「十九人が亡くなった」


「黙れ」


「先生は、それを見ていた」


「黙れ!」


 篠崎が怒鳴った。


 澪が肩を震わせる。


 普段、決して声を荒らげない教師。


 その顔には、はっきりと恐怖が浮かんでいた。


「先生が逃げた人なんですか」


 透真の問いに、篠崎は答えない。


 少女が篠崎の前へ立つ。


 篠崎には見えていない。


 それでも気配を感じるのか、一歩後退する。


『一緒に来て』


 少女が手を伸ばす。


 銀の鈴が鳴った。


 ちりん。


 準備室の床が線路へ変わった。


 錆びた二本のレール。


 枕木。


 雑草。


 透真たちは、閉鎖された踏切の中央に立っていた。


 空は真っ暗。


 周囲には、十九人の幽霊。


 遮断機が下りる。


 かん。


 かん。


 かん。


 篠崎が扉へ向かって走ろうとする。


 だが、出口は消えていた。


「やめろ!」


 篠崎が叫ぶ。


「俺は関係ない!」


『見ていた』


「見ていない!」


『聞いていた』


「知らない!」


『逃げた』


「俺は子どもだった!」


 透真は動きを止めた。


「やはり、先生なんですね」


 篠崎の顔が歪む。


「違う」


「今、自分で」


「俺は何もできなかった!」


 踏切の向こうから光が現れる。


 電車の前照灯。


 線路は廃線のはずなのに、レールが震え始める。


 ごとん。


 ごとん。


 十九人の幽霊が、篠崎を囲む。


『二十人目』


『一緒に死のう』


『今度は逃がさない』


 澪が篠崎の腕を掴んだ。


「先生、何があったんですか!」


「離せ!」


「話してください!」


「お前には関係ない!」


「このままだと死にます!」


「分かっている!」


 篠崎は澪の手を振り払った。


「だから、関わるなと言ったんだ!」


 電車の音が近づく。


 透真は少女を見る。


「あなたが本当に届けたい言葉は、復讐ですか」


 少女は答えない。


「先生を殺せば、終わるんですか」


『一人足りない』


「先生が加われば、二十人になります」


『うん』


「それで、あなたたちは救われるんですか」


 少女の笑顔が消える。


 周囲の幽霊たちがざわめく。


『分からない』


『でも、同じにしたい』


『私たちだけ死んだ』


『あの人だけ生きている』


 透真は震える手を握りしめた。


 怖い。


 迫る電車。


 死者の恨み。


 篠崎が何を隠しているのかも分からない。


 それでも、届けるべきなのは復讐ではない。


 死者が、本当に残したかった言葉だ。


「少女の名前は?」


 透真は篠崎へ尋ねた。


 篠崎は答えない。


「先生は知っているはずです」


「知らない」


「嘘です」


「知らない!」


 銀の鈴が激しく鳴る。


 ちりん。


 ちりん。


 ちりん。


 篠崎の制服のポケットから、一枚の古い写真が落ちた。


 透真が拾う。


 写真には、踏切の前に並ぶ二十人ほどの子どもたちが写っていた。


 中央に、今より幼い篠崎。


 その隣に、黄色い花を持つ少女。


 裏側に名前が書かれている。


 夕名町子ども会 夏の遠足。


 篠崎修司。


 そして。


 篠崎真帆。


「先生の妹……?」


 少女が写真を見つめる。


 潰れた顔が、少しずつ元へ戻っていく。


 十歳ほどの、穏やかな少女。


『お兄ちゃん』


 篠崎の肩が震えた。


「呼ぶな」


『見つけてくれなかった』


「やめろ」


『ずっと待ってた』


「やめてくれ……」


 篠崎は両耳を塞いだ。


 少女の声は聞こえていないはずだ。


 それでも、兄には届いている。


「先生」


 透真は写真を握った。


「真帆さんは、あなたへ何を伝えたいんですか」


「知らない」


「知るのが怖いんですか」


「お前に何が分かる!」


 篠崎が透真の胸倉を掴む。


「俺はあの日、妹を置いて逃げた!」


 踏切の音が止まった。


 篠崎の叫びだけが、闇の中へ響く。


「列車が来るのが見えた!」


「なぜ、十九人も線路に?」


「遮断機が上がらなかった!」


「上がらなかった?」


「子ども会のバスが踏切の中で止まったんだ!」


 エンジンが動かない。


 遮断機が下りる。


 引率の大人たちは子どもたちを外へ出そうとした。


 しかし、扉が開かなかった。


 篠崎だけは、割れた窓から外へ出ることができた。


「妹は、僕の手を掴んでいた」


 篠崎の声が震える。


「でも、怖くて離した」


 銀の鈴。


 真帆が兄へ渡そうとした、お守り。


 篠崎はそれだけを握り、線路から逃げた。


「列車が来た」


 ごとん。


 ごとん。


 迫る電車の音。


「俺は振り返らなかった」


 十九人が亡くなった。


 篠崎だけが生き残った。


「先生は、事故を見ていた目撃者じゃない」


 透真は言った。


「事故の生存者だったんですね」


「生き残ってはいけなかった」


「違います」


「俺が二十人目になるべきだった!」


 篠崎が線路へ歩き出す。


 真帆が手を伸ばす。


『お兄ちゃん』


 電車の光が二人を照らす。


 透真は篠崎の腕を掴んだ。


「待ってください!」


「離せ!」


「真帆さんは、先生を殺したいわけではありません!」


「お前に分かるものか!」


「分かりません!」


 透真は叫んだ。


「だから、本人に聞くんです!」


 篠崎の動きが止まる。


 透真は真帆を見る。


「本当に伝えたいことは何ですか」


 少女は兄を見つめている。


 長い沈黙。


 やがて、胸元の黄色い花を差し出した。


『お兄ちゃん』


 一滴の涙。


『逃げてくれて、よかった』


 透真は息を呑んだ。


 復讐ではない。


 恨みでもない。


 少女が十五年間伝えたかったのは、その言葉だった。


「先生」


 透真は篠崎を見る。


「真帆さんは――」


 その瞬間。


 列車の警笛が鳴った。


 ぱああああああん。


 真帆の声がかき消される。


 巨大な光が迫る。


 遮断機の外から、何者かの笑い声がした。


『伝えてはいけません』


 午前零時十三分の放送で聞いた女の声。


 呼名女。


『逃げた人には、罪悪感を残しておかなければなりません』


 真帆の姿が黒い影に包まれる。


 口が塞がれる。


 透真は叫んだ。


「真帆さん!」


『言わせない』


 呼名女の声が踏切全体へ広がる。


『死者の言葉が届けば、一つ空いてしまう』


 篠崎の足元から白い手が伸びる。


 十九人の幽霊ではない。


 黒い爪を持つ、女の手。


 篠崎を線路へ引きずる。


「先生!」


 澪が反対側の腕を掴んだ。


「音無くん、手伝って!」


 透真は一瞬、動けなかった。


 幽霊が見えない澪。


 事情も分からないはずなのに、篠崎を助けようとしている。


「早く!」


「はい!」


 二人で篠崎を引く。


 電車が目前へ迫る。


 真帆が黒い影の中でもがいている。


 口を塞がれたまま、必死に兄へ手を伸ばす。


 透真は彼女の唇の動きを読んだ。


『生きて』


「先生!」


 透真はありったけの声で叫んだ。


「真帆さんは、生きてほしいと言っています!」


 篠崎の目が見開かれる。


「嘘だ」


「逃げてくれて、よかったと!」


「嘘だ!」


「先生が生きていることを、喜んでいます!」


「やめろ……」


「ずっと、それを伝えたかった!」


 篠崎の目から涙がこぼれた。


「真帆……」


 その名を口にした瞬間。


 真帆を覆っていた黒い影が裂けた。


 少女の声が、初めて篠崎へ届く。


『お兄ちゃん』


 篠崎が顔を上げる。


 真帆は笑っていた。


『生きてくれて、ありがとう』


 踏切の向こうから来た電車が、三人の体を通り抜けた。


 轟音。


 冷気。


 数え切れない死者の声。


 透真は目を閉じる。


 次に目を開けたとき、旧図書準備室へ戻っていた。


 篠崎は床に膝をついている。


 澪はその腕を掴んだまま。


 棚の前には、真帆と十八人の幽霊が立っていた。


 真帆は兄へ手を振る。


『さようなら』


 篠崎には姿が見えない。


 それでも、ゆっくりと手を上げた。


「さようなら、真帆」


 十九人の姿が淡い光へ変わる。


 踏切の音が、一度だけ鳴った。


 かん。


 そして消えた。


     ◇


 しばらく、誰も話さなかった。


 篠崎は床に座り込んだまま、銀の鈴を握っている。


 澪が透真を見る。


「終わったの?」


「たぶん」


「たぶんなんだ」


「怪異に確実なことは少ないです」


 透真は自分の喉へ手を当てた。


 真帆の言葉を届けた。


 また一人。


 その代償が来る。


 予想した直後、喉が締まった。


「……」


 声が出ない。


 先ほどより長い。


 息を吐いても、音にならない。


 澪が透真の肩を掴む。


「音無くん?」


 透真は大丈夫だと伝えようとした。


 だが、声は戻らない。


 代わりに、部屋のスピーカーから透真の声が流れた。


『大丈夫です』


 三人が同時に天井を見上げる。


 透真は何も話していない。


 それなのに、放送から自分の声が聞こえる。


『僕には、死者の声が聞こえます』


「止めろ」


 篠崎が立ち上がる。


『死者の想いを届けるたび、僕の声は死者へ近づきます』


「誰が放送している!」


『残り、十人』


 澪が透真を見る。


「残り十人って何?」


 透真は答えられない。


 声が出ないからではない。


 自分にも分からないからだ。


 放送の中の透真が、最後に笑った。


『すべて届けたら、僕もそちらへ行きます』


 ぶつ。


 放送が切れた。


 透真の声が戻る。


「今のは、僕じゃありません」


「分かってる」


 澪は青ざめていた。


「でも、私を呼んだ電話も、私の声だった」


「声を真似る何かがいます」


「そいつが、私たちを動かしてる?」


 篠崎が銀の鈴をポケットへしまう。


「呼名女だ」


 透真と澪が振り返る。


「先生は知っているんですね」


「十三年前、町内放送に入り込んだものだ」


「何者なんですか」


「名前を呼び、死者の側へ連れていく」


「なぜ、死者の言葉を届けることを邪魔するんですか」


 篠崎は透真を見る。


「空席が埋まらなくなるからだ」


「空席?」


「死者が成仏すれば、向こう側に空きができる」


「何のための席ですか」


 篠崎は答えなかった。


 廊下へ出ようとする。


「先生」


「これ以上は話せない」


「また逃げるんですか」


 篠崎の足が止まる。


 言葉は少しきつかった。


 だが、透真は引かなかった。


「真帆さんからは逃げなくてよかった。でも、今度は僕たちを置いて逃げるんですか」


「音無」


「僕は何をさせられているんですか」


「死者を送っている」


「その先に、僕が死ぬんですか」


 篠崎は振り返った。


「お前は、すでに一度死んでいる」


 透真の喉が冷たくなる。


「それは、放送でも聞きました」


「十三年前、旧町内放送局の火災で、お前は死んだ」


「僕はそのとき四歳です」


「ああ」


「でも、生きています」


「母親がお前を連れ戻した」


「どうやって?」


「死者の席を、一つ空けて」


 篠崎は扉を開けた。


「そして今、その席を埋めるために、お前は呼ばれている」


 廊下から、昼間には鳴らない町内放送のチャイムが聞こえた。


 きん。


 こん。


 かん。


 こん。


 続いて、女の声。


『明日、こちらへ来る方のお名前をお知らせします』


 澪の顔が強張る。


「これ……」


 透真は窓の外を見る。


 学校の校庭。


 住宅街。


 電柱に取りつけられた町内放送のスピーカー。


 すべてから同じ声が流れている。


『早坂澪さん』


 透真は澪を見た。


 澪も透真を見る。


『明日の午前零時十三分、お迎えに参ります』


 放送が切れた。


 静寂。


 澪は笑おうとした。


 だが、唇が震えている。


「私、明日死ぬの?」


 透真は答えられなかった。


 澪の背後。


 窓ガラスに、もう一人の澪が映っていた。


 制服は血に濡れ、首には細い線が走っている。


 未来の幽霊。


 彼女は透真へ向かって、静かに口を開いた。


『うん』


 そして、笑った。


『明日から、私たち三人で話せるよ』

最後までお読みいただき、ありがとうございます。


踏切で数えられていたのは、十九人の犠牲者ではなく、事故から生き残った篠崎を含めた二十人でした。


真帆が兄へ届けたかった言葉は復讐ではなく、「生きてくれて、ありがとう」。


しかし、一つの想いが届くたび、透真の声は死者側へ近づいています。


第7話「死者が数えるもの」では、篠崎が隠してきた十三年前の出来事と、死者のために用意された「席」の意味へ迫ります。


そして、翌日死ぬと告げられた澪を救うため、透真は初めて未来の幽霊と直接会話します。

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