↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
死者同士の会話は、聞いてはいけない ―午前零時十三分の町内放送―  作者: たむ
第二部 未来から来た死者

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
13/30

第13話 最後の着信

着信履歴に残っているからといって、その電話が本当に過去からかかってきたとは限りません。


声は偽物でも、沈黙まで同じにはできない。


大切な人からの最後の電話には、話された言葉よりも、話せなかった音が残っています。

 排水路に浮かぶ携帯電話が、一斉に鳴っていた。


 ぴりりり。


 ぴりりり。


 ぴりりり。


 水の中。


 コンクリートの隙間。


 排水口の奥。


 先ほどまでは存在しなかった何十台もの端末が、暗闇の中で青白い画面を光らせている。


 表示されている名前は、すべて同じだった。


 御影冬子から着信中。


「呼名女の正体なんですよね」


 透真は篠崎を見た。


 篠崎は答えない。


 顔から血の気が引いていた。


「先生」


「電話から離れろ」


「御影冬子という人を知っているんでしょう」


「今は話している場合じゃない」


「今話さなければ、また誰かが呼ばれます」


「音無!」


 篠崎が鋭く怒鳴った。


 水面の携帯電話が、一斉に鳴りやむ。


 静寂。


 直後、何十台もの端末から篠崎の声が流れた。


『御影冬子は、呼名女ではない』


 篠崎本人は口を閉じている。


『俺たちが、呼名女にした』


「違う!」


 篠崎が叫ぶ。


 今度は透真の父、誠一の声が端末から流れた。


『冬子さんを放送局に残した』


「やめろ」


 誠一の顔が強張る。


『小夜子も残した』


「その声を使うな!」


 最後に、小夜子の声。


『透真を生き返らせるために』


 水面に浮かぶ端末の画面が、一つずつ赤く変わる。


『みんなで、冬子さんを殺したの』


「母さんはそんなことを言いません!」


 透真が声を上げる。


 携帯電話の一台から、透真自身の笑い声が聞こえた。


『どうして分かるの?』


「母さんの言葉だからです」


『十三年前のことを覚えていないのに?』


 透真は言葉に詰まった。


 呼名女は、人の声を正確に真似る。


 記憶の中にある声だけではない。


 本人が口にしなかった言葉まで、その声で話す。


 だから恐ろしい。


 本物が何を言ったか分からない人間ほど、偽物の声を否定できなくなる。


「全部、壊したほうがいいんじゃない?」


 澪が水中の携帯電話を見る。


「着信を止めるために」


「壊しても音は止まらない」


 篠崎が答えた。


「端末が鳴っているわけじゃない。ここにいる人間が、電話の音を聞かされている」


「じゃあ、耳を塞いでも?」


「無駄だ」


 誠一が息子へ近づく。


「透真。ここを出るぞ」


「でも、御影冬子からの電話が」


「本物じゃない」


「どうして分かるんですか」


「冬子さんは、電話をかけられない」


 誠一の言葉に、篠崎が顔を上げた。


「父さんも知っているんですね」


 誠一は一瞬、目を伏せた。


「声を失っている」


「病気ですか」


「十三年前から、一度も話していない」


「生きているんですか」


「ああ」


 透真は携帯電話の画面を見た。


 記録上では生存している。


 呼名女の正体だと篠崎は言った。


 しかし、本人は声を失っている。


「どこにいるんですか」


「分からない」


「父さん」


「本当に分からない。十三年前、病院から姿を消した」


 水中の携帯電話が再び鳴り始めた。


 今度は一台だけ。


 最も奥。


 赤い傘の影が消えた場所に浮かぶ、黒い端末。


 ぴりりり。


 ほかの電話とは音が違う。


 古い固定電話のベルに似た、低い音だった。


 りん。


 りん。


 りん。


 画面には名前がない。


 非通知。


「さっきまで御影冬子と表示されていた電話です」


 澪が言う。


「今は非通知になってる」


 透真は近づこうとした。


 篠崎が前へ出る。


「触るな」


「でも」


「三回鳴った」


 りん。


 四回目。


 三回で止まらない。


 透真は動きを止めた。


 怪異が人を呼ぶときは、三という数を使うことが多い。


 三回のノック。


 三度の呼名。


 三つの選択。


 しかし、この電話は四回目も鳴った。


 りん。


 五回目。


「怪異の電話ではない?」


 澪が呟く。


 篠崎の表情が変わる。


「本物かもしれない」


「御影冬子本人から?」


「声が出せなくても、発信はできる」


 透真は水の中へ手を伸ばした。


「待て」


 今度は誠一が止める。


「罠だったらどうする」


「出なければ、本物の声まで失います」


「相手は話せない」


「沈黙にも、音はあります」


 透真は黒い端末を拾い上げた。


 画面は濡れている。


 ひび割れている。


 それでも着信は続いていた。


 応答ボタンを押す。


「もしもし」


 返事はない。


 水音も。


 雑音も。


 呼名女の声も聞こえない。


 完全な沈黙。


「御影冬子さんですか」


 返事はない。


「僕は、音無透真です」


 電話の向こうで、何かが動いた。


 かすかな布擦れ。


 呼吸音。


 相手は生きている。


「僕の母、音無小夜子を知っていますか」


 沈黙。


 そのあと。


 こん。


 電話の向こうから、一度だけ音がした。


 指で机を叩いたような音。


「はい、という意味ですか」


 こん。


 もう一度。


 透真は篠崎と誠一を見る。


 二人とも、電話を見つめている。


「あなたは、呼名女ですか」


 長い沈黙。


 やがて。


 こん。


 こん。


 二回。


 短い間隔。


「違う?」


 こん。


 一回。


 肯定。


 透真の胸が高鳴った。


 小夜子と使っていた合図とは違う。


 それでも、相手は音の回数で会話しようとしている。


「質問を変えます。一回で『はい』、二回で『いいえ』にできますか」


 こん。


「御影冬子さんですね」


 こん。


「今も生きていますか」


 こん。


 電話の向こうに、生きている人間がいる。


 十三年間、声を失った御影冬子。


 透真は慎重に質問を続ける。


「呼名女は、あなたの声を使っていますか」


 こん。


「あなたが作ったんですか」


 こん。


 こん。


 否定。


「旧町内放送局で生まれた?」


 沈黙。


 こん。


「十三年前の災害が原因ですか」


 こん。


「母は、その怪異を止めようとした」


 こん。


「あなたも?」


 こん。


 電話の向こうから、急に激しい音がした。


 がたん。


 何かが倒れる。


 御影冬子の呼吸が荒くなる。


「大丈夫ですか」


 返事の代わりに、遠くから放送のチャイムが聞こえた。


 きん。


 こん。


 かん。


 こん。


 電話の向こうの施設で鳴っている。


「呼名女が近くにいるんですか」


 こん。


 冬子の叩く音が強くなる。


「今いる場所を教えられますか」


 沈黙。


 続いて、机を叩く音。


 こん。


 こん。


 こん。


 こん。


 四回。


「四?」


 また四回。


 こん。


 こん。


 こん。


 こん。


 そのあと、水を叩く音がした。


 ぱしゃ。


 ぱしゃ。


 水。


 四。


 透真は考える。


「四番目の水場?」


 冬子の呼吸が激しくなる。


 こん。


 肯定。


「町内の施設ですか」


 こん。


「学校?」


 こん。


「僕たちの学校ですか」


 こん。


 透真は澪を見る。


「学校の四番目の水場って何でしょう」


「水飲み場?」


「校舎に四か所以上あります」


「第四理科室の水道とか」


 篠崎が低く言った。


「第四水泳場」


「何ですか、それ」


「今の学校が建つ前、敷地には四つの防火水槽があった」


 三つは埋められた。


 最後に残った四番目の防火水槽を広げて、現在の学校プールが造られたという。


「学校のプール」


 透真が電話へ尋ねる。


「あなたは、学校のプールにいるんですか」


 返事はすぐには来なかった。


 電話の向こうから、笛の音が聞こえる。


 ぴいっ。


 短く、鋭い音。


 水泳の授業で教師が使う笛。


 そのあと、冬子が机を叩いた。


 こん。


「プールにいる」


 澪が呟く。


「でも、夜の学校は閉まってる」


「御影さんが実際にいるとは限りません」


 透真は電話を強く握った。


「その場所から、声だけがつながっている可能性もあります」


 電話の向こうで、冬子が何かを引きずっている。


 金属音。


 鎖。


 水。


 そして、誰かの足音。


 ぺた。


 ぺた。


 ぺた。


 冬子以外の存在が近づいている。


「御影さん、逃げられますか」


 こん。


 こん。


 否定。


「隠れることは?」


 こん。


 こん。


「僕たちが行くまで、待てますか」


 返事がない。


 代わりに、知らない女性の声が電話へ入った。


『待てません』


 呼名女。


『この電話は、最後の着信です』


「御影さんから離れてください」


『この方は十三年前から、私の中にいます』


「本人は生きています」


『体だけは』


 電話の向こうから、冬子が机を激しく叩く。


 こん。


 こん。


 こん。


 こん。


 何度も。


『御影冬子は、生きている人間ではありません』


「今、呼吸しています」


『死者でもありません』


「では何ですか」


『十三人目の受話器です』


 電話から水音が溢れ出した。


 端末の隙間から黒い水が流れ、透真の手首へ巻きつく。


「音無くん!」


 澪が透真の腕を掴む。


 篠崎が電話を奪おうとする。


 しかし、端末は透真の手に貼りついて離れない。


『音無小夜子は、息子の声を取り戻すために十二人分の声を席へ座らせました』


「母さんは、そんなことを」


『足りなかった』


 呼名女の声が、冬子の息遣いと重なる。


『十三人目として、御影冬子は自分の声を差し出した』


「自分から?」


『はい』


 篠崎が息を呑む。


「冬子さんが……」


『しかし、声だけを差し出した人間は死者になれません』


 呼名女の声が続く。


『生者として話せず』


『死者として届けることもできない』


『電話を受けるだけの存在』


『それが、十三人目の受話器です』


「だから、冬子さんの声を使っているんですか」


『私が初めて得た、生者の声です』


「御影さんの声が、あなたの最初の声」


『そうです』


 呼名女の声が、わずかに変わる。


 無数の声が重なっていた響きが消え、一人の女性の声になる。


 落ち着いた、低い声。


 これが御影冬子の本来の声なのかもしれない。


『この声で、最初の名前を呼びました』


「誰の名前を?」


 沈黙。


 呼名女は答えない。


 代わりに、電話の向こうの冬子が机を叩いた。


 こん。


 こん。


 こん。


 十三回。


 透真は数えた。


 一。


 二。


 三。


 十三。


 叩き終えると、冬子の呼吸が途切れかける。


「何を伝えたいんですか」


 電話の向こうで、紙を引き寄せる音がした。


 鉛筆が紙を走る。


 文字を書く音。


 さら。


 さら。


 さら。


 透真の携帯電話に、一枚の画像が届いた。


 非通知の相手から送信された写真。


 暗い場所で撮影された紙。


 震える手書きの文字。


 十三人目は私ではない。


「でも、呼名女はあなたが十三人目だと」


 新しい画像が届く。


 私は身代わり。


 次。


 本当の十三人目は生きている。


 透真は息を止めた。


 小夜子の留守番電話と同じ言葉。


『十三人目を捜して』


『あの人は、まだ生きている』


「御影さんは、本当の十三人目を隠すために、自分の声を差し出したんですね」


 こん。


「その人が誰か分かりますか」


 こん。


 肯定。


「名前を教えてください」


 長い沈黙。


 写真が一枚届く。


 水に濡れ、色褪せた集合写真。


 十三年前の旧町内放送局。


 職員たちの前に、十三人の子どもが並んでいる。


 透真はその写真を見たことがあった。


 だが、以前の写真とは違う。


 子どもたちの中に、幼い透真がいる。


 その隣に、同じくらいの年齢の少女。


 少女の顔だけが白く塗り潰されていた。


 画像の下に文字が打ち込まれる。


 この子を捜して。


「誰ですか」


 返事はない。


 電話の向こうで笛が鳴った。


 ぴいっ。


 一度。


 続いて、子どもたちの声。


『一人』


『二人』


『三人』


 水を叩きながら、数えている。


『十一人』


『十二人』


 そこで止まる。


『十三人目がいない』


 呼名女の声が電話を遮った。


『時間です』


 冬子が机を激しく叩く。


「待ってください!」


『最後の着信を終了します』


「御影さん!」


 透真は電話へ叫ぶ。


「学校のプールへ行けば会えますか!」


 こん。


「そこで本当の十三人目が分かる?」


 こん。


 電話の向こうで、何かが冬子を掴んだ。


 椅子が倒れる。


 苦しそうな息。


「御影さん!」


 声のない冬子が、最後に机を叩く。


 とん。


 とん。


 とん、とん。


 透真と小夜子だけが使っていた合図。


 ここにいる。


 どうして冬子が知っているのか。


「母さんが教えたんですか」


 一回。


 とん。


 肯定。


「母さんも、そこにいる?」


 長い沈黙。


 やがて。


 とん。


 肯定。


「待っていてください」


 透真は言った。


「必ず行きます」


 冬子の呼吸音が、少しだけ穏やかになる。


 電話の最後に、彼女自身の声が聞こえた。


 呼名女が使う声ではない。


 長いあいだ声を出していなかった人の、擦れた小さな音。


『……来ないで』


 通話が切れた。


 黒い端末が透真の手から落ちる。


 水面へ触れた瞬間、砂のように崩れた。


     ◇


 排水路に浮かんでいた無数の携帯電話も消えていた。


 残ったのは、三谷悠人の古い端末だけ。


 悠人の母親が、胸へ抱きしめている。


 誠一は息子の携帯電話に届いた写真を見ていた。


「この子を知っている」


 透真が父を見る。


「顔を塗り潰された少女?」


「ああ」


「誰ですか」


 誠一の口が動きかける。


 しかし、声が出ない。


 喉を押さえる。


「父さん?」


「名前が……」


 誠一は苦しそうに息を吐く。


「思い出せない」


「知っているのに?」


「顔も、声も覚えている」


「名前だけ?」


「ああ」


 篠崎も写真を覗き込む。


「俺も見たことがある」


「先生も?」


「十三年前、放送局にいた」


「名前は?」


 篠崎の口が止まる。


「出てこない」


 呼名女が奪ったのは、声だけではない。


 本当の十三人目の名前を、人々の記憶から消している。


「母は覚えている」


 透真は言った。


「だから、カセットテープに残したんだ」


 旧放送局で拾った、小夜子の名が書かれたテープ。


 誠一の留守番電話に残る子守歌。


 二つを重ねれば、塗り潰された少女の名前が分かるかもしれない。


「家へ戻りましょう」


 透真は父を見る。


「母さんの留守番電話を聞かせてください」


 誠一はすぐには頷かなかった。


「声を聞けば、また呼ばれるかもしれない」


「もう呼ばれています」


「透真」


「母さんの声を、偽物だけに使わせたくない」


 誠一の表情が苦しそうに歪む。


 それでも、最後には頷いた。


     ◇


 音無家へ戻ったのは、午前二時近くだった。


 三谷悠人の母親は、篠崎が警察と救急へ連絡し、病院へ送った。


 今回の出来事を、どのように説明するかは決まっていない。


 ただ、彼女はもう息子の偽物の声を追って、水へ入ろうとはしなかった。


 居間の食卓に、三つの機器を並べる。


 小夜子のカセットテープ。


 誠一の予備の携帯電話。


 篠崎が旧放送局から持ち出していた、小型の再生機。


「先生、持ち出していたんですか」


「必要になると思った」


「盗難では?」


「旧施設の所有者へは、あとで謝る」


「水上さんの件と一緒に警察へ話してください」


「ああ」


 篠崎は反論しなかった。


 誠一が予備の携帯電話を操作する。


 留守番電話の履歴。


 発信者は、十三年前に解約した小夜子の番号。


 録音日時は昨夜。


 午前零時十三分。


 再生する。


 ざあああ。


 雑音。


 そのあと、子守歌が流れた。


 歌詞のない、短い旋律。


 透真が幼い頃、何度も聞いた歌。


「この曲、名前はあるんですか」


 澪が尋ねる。


「ないと思います」


 誠一が答えた。


「小夜子が作った」


 旋律は十三音で一つのまとまりになっていた。


 同じ部分を繰り返しているように聞こえる。


 だが、二回目。


 四番目の音が抜けている。


 三回目。


 七番目。


 四回目。


 十三番目。


「音が欠けています」


 透真は言った。


「四、七、十三」


 篠崎が数字を書き留める。


 次に、小夜子のカセットテープを再生機へ入れる。


 再生ボタンを押す。


 きゅる。


 ざあああ。


 最初は何も聞こえない。


 テープが切れているため、再生できないと思われた。


 しかし、留守番電話の子守歌と同時に流すと、カセットから別の音が現れた。


 小さな笛。


 ぴいっ。


 子守歌の欠けた四番目。


 ぴいっ。


 七番目。


 ぴいっ。


 十三番目。


 二つの音声が、互いの欠けた部分を埋めている。


「音量を上げてください」


 透真は目を閉じた。


 子守歌。


 笛。


 雑音。


 さらに奥に、小夜子と冬子の会話がある。


『名前を消すしかない』


 冬子の声。


 現在の電話で聞いた、擦れた声とは違う。


 十三年前の、はっきりした女性の声。


『忘れられたら、あの子は呼ばれない』


 小夜子が答える。


『でも、誰からも名前を呼ばれなくなる』


『生きていられる』


『それを生きていると言える?』


『死ぬよりはいい』


『冬子さん』


『小夜子。息子を選んだあなたに、私を責める権利はない』


 会話が途切れる。


 透真は胸を押さえた。


 母と冬子は、本当の十三人目を守る方法を巡って争っていた。


『プールの底へ沈める』


 冬子の声。


『名前も』


『声も』


『記録も』


『誰にも見つからない場所へ』


 小夜子が何かを言う。


 雑音で聞き取れない。


 笛が鳴る。


 ぴいっ。


 その直後。


 幼い少女の声が録音されていた。


『お母さん』


 透真は目を開ける。


 少女は誰を呼んだのか。


 小夜子ではない。


 冬子の呼吸が止まる音が入っている。


『お母さん、どこ?』


 冬子の娘。


 顔を塗り潰された、本当の十三人目。


 少女が泣きながら名前を名乗る。


『みかげ――』


 激しい雑音。


 名字のあとが消される。


 呼名女が声を奪ったのだ。


「もう一度再生してください」


 同じ部分を繰り返す。


『みかげ――』


 名前は聞こえない。


 だが、その直後に音がある。


 水へ飛び込む音。


 ざぶん。


 笛。


 ぴいっ。


 そして、プールサイドを走る足音。


 子どもたちの数える声。


『一人』


『二人』


『十二人』


 最後に、小夜子が叫ぶ。


『十三人目は、まだ水の中!』


 録音が止まった。


 部屋に沈黙が落ちる。


 透真はカセットテープを見つめた。


「御影冬子の娘が、本当の十三人目」


「おそらくな」


 篠崎が答える。


「でも、生きていると母さんは言いました」


「十三年前、プールの中から助かったのかもしれない」


 澪が写真を見る。


「それなら、今は高校生くらい?」


「透真たちと同じ十七歳前後だ」


「同じ学校にいる可能性は?」


 誰も答えられなかった。


 本当の十三人目は、名前を消された。


 顔も記録も塗り潰されている。


 周囲の人間は存在を覚えていても、名前だけを思い出せない。


「明日、学校で捜します」


 透真が言う。


「待て」


 誠一が止める。


「冬子さんは来るなと言った」


「でも、助けを求める音を送ってきました」


「最後には来るなと言った」


「呼名女に言わされた可能性もあります」


「本人の声だった」


「だからこそ、理由を確かめます」


 誠一は息子を見つめる。


「お前は、声が聞こえれば何でも助けに行くのか」


「何でもではありません」


「同じだ」


「父さんも排水路へ来ました」


「だから言っている」


 誠一の声が強くなる。


「助けたいという気持ちは、怪異に利用される」


「分かっています」


「分かっていない!」


 食卓の上の携帯電話が鳴った。


 四人が動きを止める。


 発信者。


 音無小夜子。


 時刻は午前二時十三分。


 誠一が青ざめる。


「この番号から、一晩に二度かかってきたことはない」


 着信音は子守歌だった。


 透真はすぐには出なかった。


 一回。


 二回。


 三回。


 電話は切れない。


 四回目。


 五回目。


「本物かもしれません」


 透真が応答ボタンを押す。


「母さん?」


 電話の向こうから、水音が聞こえた。


 ちゃぷ。


 ちゃぷ。


 そのあと、小夜子の声。


『透真』


 穏やかな、記憶どおりの声。


『プールへ来てはいけません』


「どうして?」


『あの子が起きる』


「本当の十三人目?」


『いいえ』


 笛が鋭く鳴った。


 ぴいっ。


『プールの底にいるのは、十三人目ではない』


「では、誰がいるんですか」


 小夜子の呼吸が乱れる。


『十三人を数えた人』


「何を言っているの?」


『水から上がった人数を、間違えた人』


 電話の向こうで、子どもたちが数え始める。


『一人』


『二人』


『三人』


 声は十二で止まった。


 長い沈黙。


 そして、水中からもう一人の声がした。


『十三人目は、ここだよ』


 小夜子が叫ぶ。


『透真、電話を切って!』


 通話へ別の声が入った。


 少女の声。


 顔を塗り潰された写真の子どもと同じ声。


『明日の授業で待ってるね』


「授業?」


『水泳の授業』


 澪が時間割を確認する。


 明日の二時間目。


 二年生合同の水泳授業。


 透真たちのクラスも参加する。


『笛が三回鳴ったら』


 少女が楽しそうに笑う。


『水から上がっちゃ駄目だよ』


 通話が切れた。


 直後。


 家の外から、笛の音がした。


 ぴいっ。


 一回。


 透真たちは窓を見る。


 暗い庭。


 誰もいない。


 ぴいっ。


 二回目。


 窓ガラスに、濡れた子どもの手形がいくつも現れる。


 そして。


 ぴいっ。


 三回目。


 家中の蛇口から、一斉に水が噴き出した。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。


御影冬子は呼名女そのものではなく、十三年前に自分の声を差し出した「十三人目の受話器」でした。


しかし、彼女もまた本当の十三人目を守るための身代わりにすぎません。


顔と名前を消された少女。


御影冬子の娘。


その手がかりは、学校のプールの底に沈められています。


第14話「プールの笛」では、予定どおり水泳授業が始まります。


授業を中止しようとしても、生徒たちは誰も異常を信じません。


そして笛が三回鳴ったとき、プールから上がった生徒の人数は、入った人数より一人多くなっていました。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。