旅の拾い唄 第七章 道の唄
この章の唄は、拾ったものではない。私が生まれたときから持っていたものである。旅団の唄を余所の唄と同じ書き方で並べるのは、身内の顔を人相書きに写すようで妙な具合だが、道の唄だけ載せないのでは拾い方の名がすたる。土地の欄が書けないことだけ、先に断っておく。道の唄の土地は、道の上としか言いようがない。
二十七「轍の唄」
拾った土地と年 道の上。年は知らない。物心ついたときには歌っていた。
場 出立の朝。荷積みが済むと、轍方が問いを出し、皆が受ける。
(轍方)みちはあるか
(皆) なければつくる
(轍方)かわはあるか
(皆) あればわたる
(轍方)ゆうべのやどに わすれもの
(皆) わすれたぶんだけ かるくなる
(轍方)ならばゆこうか
(皆) くるまをおして ほい
注。仕舞いの、ほい、で車が実際に動き出す。だからこの唄は、終わりの一声だけ全員の腰が入る。わすれたぶんだけかるくなる、の一句のおかげで、宿に鍋を忘れた者も笑われるだけで済む。責める文句が一つもない出立の唄を、私はほかの土地で聞いたことがない。旅団の性分は、たぶんこの一句に全部出ている。
二十八「冬入りの唄」
拾った土地と年 冬営地の入口。これも年は知らない。
場 冬の初め、あとから着いた組が冬営地の門口で歌い、先に着いた組が内から受ける。問いと答えの唄。
(内)だれがきたのか ゆきのなか
(外)わだちのなかま かえってきた
(内)なにをはこんだ ゆきのなか
(外)ことしのみやげと あたらしいうた
(内)うたがまことか うたってみせろ
(外)(ここで、その年に拾った唄を一つ歌う)
(内)とをあけろ ひをかきたてろ なかまがかえった
注。中へ入るには、その年に拾った唄を一つ歌ってみせる決まりになっている。歌えなくとも締め出されはしない。冷やかされながら通されるだけだ。それでも皆、この門口のために一つは唄を取っておく。私が唄に惚れた遠因を辿っていくと、どうやらここに行き着く。幼い私にとって、唄とは、雪の中を運ばれてきて、戸を開けさせるものだった。
二十九「留守唄」
拾った土地と年 冬営地。私が覚えたのは母の膝の上でだが、母も母の母から覚えたと言っていた。
場 春に出た組の帰りが遅い秋、留守方が火の番をしながら歌う。
いっていったきり はるのくみ
かえるころには ゆきがくる
るすのかまどは けさずにおくよ
ひだねのあるうち かえっておいで
とおいわだちに ゆきつもる
つもったぶんだけ はなしがたまる
注。若いころ、この唄は歌われる側で聞いていた。峠の向こうで冬入りに遅れた年、冬営地に着いたら竈に火が残っていて、ああ留守唄の火だ、と思ったのを覚えている。足を悪くして留守方に回った年の冬、こんどは自分が歌う側になって、はじめて仕舞いまで一人で歌った。つもったぶんだけはなしがたまる、という文句のやさしさは、待つ身にならないと分からない。帰らなかった組の話を、留守唄はしない。それはべつの唄の仕事で、その唄は本書には載せないことにした。
三十「数え直しの唄」
拾った土地と年 道の上。荷改めのたび、つまり毎朝。
場 出立前の荷改め。数え上げの唄で、欠けた荷のところで唄が止まる。
ひとつ なべのかず
ふたつ ほろのかず
みっつ つなとくい
よっつ こなのたる
いつつ ほしにくたば
むっつ ちえのはこ
ななつ こどものかず
みんなそろって やっつめのうた
注。荷が欠けていると、その数のところで唄が止まる。止まった所を探せばよいのだから、荷札より確かである。ななつ目に子供の数が入っているのは、荷物あつかいで気の毒なようだが、おかげで旅団は子を置き忘れたことが一度もない。むっつ目のちえのはこには、拾い方たちの書き付けた紙の束が入る。私の手控えもそこに入っていた。つまりこの一冊は、四十年のあいだ、毎朝むっつ目に数えられて道を運ばれてきたのである。
最後のやっつめのうた、が何の唄かは決まっていない。全部そろった朝は、誰かが何かしら歌い出し、それがその日のやっつめになる。




